第17話 父との時間
街から放たれる光は心を落ち着かせる様に窓を越して入ってくる。
今夜も皆、楽しい夜を過ごしているのだろう。
学校から帰宅したダージリンはリュックを床に捨て、制服のままベッドの上で横になっていた。
仮眠を取っている最中、扉からコンコンと音が響くと次に女性の声が部屋に入って来た。
「王子様、夕食でございます」
侍女に起こされたダージリンは、頭をクシャクシャにかき、体を持ち上げた。乱れた制服から部屋着に着替えて下へ降りると、ダイニングへの扉を開けた。
中へ入るとセバスティアンがデキャンタのワインをグラスへ注ぎ、そのワインを片手に父親が先に夕食を取っていた。
父親は、カメリア王国の十代目国王スリランカ・アールグレイ。
強面に似合うやや硬めの髪質と白く整った長袖の上から見てもわかるガッシリとした肉体。
だが、眼つきや鼻はどことなくダージリンに似ており、やはり親子だ。
「……お疲れ様です。お父さん」
「あ、ああ。ありがとう」
ぶっきらぼうに答える父に視線を下ろしながら、ダージリンは反対側の席に座った。
席に座ると同時に、メインディッシュ、スープ、サラダ、ライスの順番と夕食が次々と運ばれてきた。今日のメインディッシュはポークソテーのガルムソース添え。
表面の肉汁は金剛石の如く輝いており、食欲を湧き立てる。
いただきます、と呟きナイフとフォークを巧みに使って肉を切り、口へ運ぶ。
舌が唸る料理の筈だが、ダージリンは沈んだ表情で黙々と食べた。
ダイニングは食器が鳴る音だけが響く。
静かに食べるダージリンにスリランカは目を配っていた。
――きょ、今日こそは……
「が、学校はどうだった?」
「……いつも通りです」
「い、いつも通りか……な、何か、ほら、変わった事とかなかったのか……?」
「……特にないです」
一瞬、ダージリンは『同級生から数学を教えてもらった』出来事を思い浮かべたが、スリランカに伝えようとはしなかった。
「そ、そうか……」
父親として息子と楽しい会話をしたかったが、それ以降は黙々と食事をし、何も進展がないまま、会話が終わった。
夕食の後はティータイム。二人の元に純白と赤の縁取りがされたティーカップとソーサーが置かれると、ポットを持ったセバスティアンが紅茶を注いだ。
紅茶は空気を立てながらカップの中を綺麗に赤く染めていく。
「王子、この茶葉は『精霊の茶葉』というブランドものでございます」
折角セバスティアンが説明するも、ダージリンは無言で砂糖とミルクを入れようとしたので、慌てたセバスティアンがその手を止めさせた。
「お待ちください王子。まずは入れずに飲んでみてください」
セバスティアンに静止され、砂糖を入れるスプーンを置き、カップを持ち上げ、口に付けた。
(無糖なんて、緑茶と変わらないよ……)
言われた通りに砂糖を入れずに渋々飲んでみると、
「……美味しい」
ダージリンの目から鱗が落ちた。
「そうでしょう。この『精霊の茶葉』は特殊な食材でして、砂糖を入れなくても程よい甘さを持っております」
「まさかこれ、砂糖を予め入れておいたんじゃ?」
「とんでもない。王子、陛下と一緒に私が紅茶を淹れる所を見てたでしょう。私が怪しい事してましたか?」
少し黙り込んで考えたがダージリンはすぐに、
「……してない」
と、セバスティアンの話を認めた。
「そうでしょう!」
セバスティアンはスリランカの方に視線を向け頷いた。
(すまない。セバスティアン)
スリランカはぎこちない喋り方だったが、話題を切り出した。
「せ、精霊と言えばダージリン、精霊人間(スピルシャン)を知っているか?」
「……スピルシャン?」
スリランカは一冊の本を取り出し、それを開くと手を翳した。
本に刻まれた文字が次々と光を照射し、絵が作られていく。
ダージリンは紅茶にミルクと砂糖を入れながら、締まりのない目で絵を眺めた。
――かつてこの世界には精霊が存在した。
――精霊は人間と力を合わせて生活していた。
――だが『炎』を巡る争いで、殆どの精霊が姿を消し、人間は彼らが遺した技術や力を受け継ぎ、『幻想術』を開発した。
――精霊人間(スピルシャン)は、精霊の魂が人間に宿って生まれてくる正に『運命が作った英雄』だ。
変わりゆく絵に合わせてスリランカが熱く語るが、ダージリンは魅力のない話に耳を傾け、紅茶を飲んだ。
やがて映し出される絵が終わりを迎えると、スリランカは本を閉ざした。
「と、ところでダージリン、思い……出せたか?」
「……何を?」
「一年、いや、半年くらい前に付近の山で起きたあの大爆発の事だ」
スリランカの言う半年前の出来事とは、カメリア王国サンチャ村付近の山で起きた謎の大爆発だ。
事件当時の夜、人々は賑やかに過ごしていたが突然街全体を揺るがす程の爆発音が発生したのだ。
サンチャ村で目撃した人達によると、紅蓮の炎が立ち上がるものではなく、白と黒が混じって炎上した不可思議な現象だったと云う。
焼け跡は粒子が消滅を繰り返し、木々や草花は触れれば跡形も無く崩れ落ち、とても自然が再生出来る様な状態ではなく、今は完全に消火されているが、焼け跡は当時の悲惨さを物語っているとの事だ。
そして、どういうわけか事件が起きたその場所にダージリンはいたのだ。
スリランカに言われて思い出したダージリンは肘を付けて拳を少しだけおでこに当てて思い返した。
「山と……大爆発と……光と闇……誰かが僕を守ってくれた……」
「それは前にも聞いた。他には?」
「……覚えてない」
「断片的な事でもいいんだ」
あの忌々しい記憶は決して良いものではない。
それを求める父に対し、ダージリンは苦い表情を浮かべる。
「もういいじゃん。過ぎた事なんだから……」
「そうはいかないんだ。あの大爆発の時、どうしてお前があの場にいたのか、俺はどうしても気になるんだ。」
頭を澄まして無理矢理思い出そうとするが、どす黒く映し出される記憶が心を痛ませ、吐き気や苦痛を催す。
「……思い出せないよ。ていうか、もう思い出したくない」
「ダージリン、辛いかもしれないが」
「父さんだって!」
突然叫びだしたダージリンにスリランカは肩を竦めて硬直した。セバスティアンも仰天したかの様に目を丸くしている。
「父さんだって、忘れたい事とかいっぱいあるでしょ? 『二人でもう一度やり直そう』って言ってくれたのは父さんだよ?」
ダージリンは紅茶を飲み干すと、席から立ち上がりスリランカの横まで近づいた。
「目の隈、凄いでしょ? 毎晩同じ夢を見てうなされてるんだ」
切なげに息子の目元を見るスリランカ。
無意識に額からも汗が流れていた。
「父さんは、僕やカメリアの為に真実を知りたいのかもしれない。でも僕は早く忘れたいんだ。嫌な事は全部、水に流したいんだ。思い出したら『人』は戻ってくるの? 来ないでしょ? 死んだ人はもう存在しないんだよ」
話す度に潤声と化していき、辛うじて目の中に涙が留まっている。
「だから、もう忘れよう」
スリランカは、口と目を固く閉ざして黙り込んだ。
ダージリンが切り出すまで、数分だけ続いた沈黙が数時間の様に感じた。
「……もう、部屋に戻っていい?」
「……え? あ、ああ」
「……お休みなさい」
「お、お休み」
セバスティアンに一礼し、廊下へ通じる扉の元へ歩みドアノブを握った。
部屋を出ようとした時、スリランカが呼んだ為、ダージリンはドアノブを握りながら立ち止まった。
「ダージリン、やりたい事、見つけたか?」
柔らかな顔でスリランカが言葉を掛けるが、ダージリンは父の目を避けながら暗鬱な声で答えた。
「……やりたい事なんか、ないよ」
ドアノブを回し、ダージリンは部屋を出た。
バタンと閉まる扉は、内に潜む反抗心の様だった。
「……ダージリン王子は、決してスリランカ様の事を嫌っているわけではありません。ですので……」
「いいんだセバスティアン。俺が悪いんだ。今までのツケが来てるだけなんだ」
セバスティアンに励まされながら、スリランカはティーカップに入った紅茶を飲む。
「あの大爆発は、ダージリン、いや俺達の運命を揺るがすものだと思うんだ」
「何故、そう思われるのです?」
「わからない。一つ言えるのはダージリンがあの場所にいたという事。ただ事じゃないと思うのは当たり前だ」
飲み干したカップには、寂しく茶渋が残されていた。
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