第10話 恩師スダップ

 人々の賑やかな声が街中に溶けていく。

 今日も平和だと伝えてくる中、ダージリンは俯きながら歩いていた。

 買い物籠を持って談話する主婦。

 道路の端っこで横になり欠伸をする猫。

 花壇に水を差し、微笑む老人。

 幸せに満ちた光景が胸の中を縛り付け、賑やかな声が響く程強まっていく。

 何もかもが偽物に思える程だ。

 それでも何とか我慢し、息を荒くしながらも歩き続けたおかげで無事学校へ到着した。


 ここは、ステュアートにある王立高等学校。

 七百人くらいの生徒が在籍しており、ダージリンもその一人だ。

 遅めの登校という事もあり、校門を潜った先にあるグラウンドでは他のクラスメイトが掌に風や水を生み出して操作したり、剣に『生命力(エナジー)』を集中させたりと、緊迫した授業が行われていたが、ダージリンは目も呉れず昇降口を潜った。

 小汚い上履きに履き替えると、ダージリンは階段を上り、四階にある教室へ向かった。


「階段、きつい」


 これが王子様の扱いか、と不満を零しつつも何とか階段を上り切る。

 四階は物置に使われている教室が多く、その中にコツンと空いた殺風景な部屋があった。

 部屋には机が一つと椅子が四つ。寂しそうに花瓶が一つだけ置いてある。

 ダージリンは鞄を机に置くと、ハッと顔を上げた。


「……あ。課題、取りに行かなきゃ」


 職員室へ向かおうとするが、ここは四階。

 一階にある職員室まで中々距離がある。

 どうして履き替えた直後に取りに行かなかったのだろう、と後悔しながら部屋を出て、長い階段を下りた。


 職員室の前まで来たがドアノブには手を付けず立ち尽くした。

 ダージリンは緊張感に襲われていた。

 扉の向こうには無愛想に仕事をする先生達と重苦しい空気があるに違いない。

 人見知りのダージリンにとっては大きな壁であり、乗り越えるのに勇気がいるのだ。


「し、失礼……します……」


 ドアを恐る恐る開けて中へ入ると、先生を呼んだ。


「……おはようございます。スダップ先生」

「あ、ダージリン君おはようございます」


 小太りで眼鏡を掛けた男性が書類を片手にやって来た。

 スダップ先生は丁寧な言葉遣いをする柔和な人物。

 一学年の副担任を務めているが普段はダージリンの面倒を見ており、実質ダージリン担当の教師でもある。


「昨日はよく眠れましたか?」

「……普通」

「普通……ですか……」

「……先生、今日のプリントを」

「……あ、はい。こちらですね」


 両手で渡された課題を、ダージリンは不器用に受け取った。

 今日もご機嫌斜めなダージリンを見て、スダップはソワソワしている。


「きょ、今日はこれをやるよう、デリック先生が言っておられました」

「……はい。ありがとうございます」

「……何かあったのですか?」

「いつも通りです。心配しないでください」


 元気がない事に気遣うスダップだが、ダージリンは淡々と返した。


「そうですか……勉強を見たい所ですが、私この後、他のクラスで数学の授業がありまして……」

「……気にしないでください」

「また後でそちらに行きますからね」

「……はい。失礼します」


 スダップ先生に笑顔で見送られながら、職員室を後にした。


 部屋に戻る途中、ダージリンは階段の途中に付けられている鏡の前に立つと、両眉を上げ、くの字に口を曲げる。

  しかし、顔の筋肉が震えてしまいすぐにしかめ面に戻ってしまう。

  浅い溜息をつくと、頭をコンと鏡にぶつけた。


 ――やっぱり笑えない。


 こみ上げてくる苛立ちと共に目が痛くなった。

 スダップはいつも笑顔でダージリンを迎えてくれる。

 ダージリンも自分を受け入れてくれるスダップにとても感謝しているが、それ以上に自然に振舞いながら笑える事が羨ましかった。

 いつも無愛想な自分は先生に失礼な事をしているのではないだろうか。

 頭を上げ、再び鏡に映る自分を確認する。


(最低な奴だな。僕は)


 目がやや赤くなっている以外はいつもの暗い自分だと認識し、再び階段を上った。

 人気のないに部屋に戻ったダージリンは、渡された課題を机に置き着席。

 リュックから筆箱や教科書を取り出し、課題を始めた。

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