複雑な狂人の乙女心

 さらりと床に広がった金糸の髪は長い。

 紅潮した頬に手を添える姿は愛らしい。

 まるでか弱さの象徴であるかのように華奢な体躯は未成熟な少女と変わらない。


 ふくろうグレーの瞳に翔を映す。

 血に濡れてなお女は可憐で美しかった。


「惚れ直しちゃった」


 ……こんな状況でもなければ倒錯的な感情を覚えたかもしれない。


 漆黒の翼を持つツロモアはルィロとアンスのハーフであり大鎌を武器として愛用する。

 紛うことなき狂人だ。


 彼女と会う前にこの場から去りたかったが一足遅かったらしい。

 翔は隠すことなく舌打ちを響かせた。


「うるさい黙れ戦闘狂」

「辛辣な言葉もス・テ・キ」


 からかいを含んだ声が場違いなほど甘ったるく響く。

 見目は未成熟な少女でも中身は成人済み。

 それなりに経験も積んでいる。

 大人の余裕で正しく翔をからかっているのである。


 ふわり、と巻き起こった風に体を掬い上げられ思わず目を見開く。

 ……しまった!

 ツロモアの風魔法だ。

 投擲されたナイフに仕込みでもあったのだろう。

 魔力の流れが感知できなかった。


 反射的に相殺するが意識をツロモアから逸らした一瞬の内に銃口を払われ距離を詰められる。

 顔が近付いた。


「……あん、もう。野暮な子ね」


 ゼロ距離となる前に翔の口元を覆った手にツロモアは不満を漏らす。


「や、野暮でも何でもダメだ!」


 反論したのはユースピリアだ。

 間一髪のところで翔の唇を守った彼女はそのまま抱き寄せてツロモアから引き剥がす。

 ……さすがユリア。頼りになる。

 翔は後頭部に当たる柔らかな感触を極力意識しないよう気を付けた。


「ま。構わないんだけど」


 笑い直したツロモアの指が翔の襟元に引っ掛けられてハイネックのそれを引き下げる。

 晒された首筋にかぶり、と噛み付くようなキスを落とした。

 舌が這う。


「なっ……!」


 絶句も絶句。

 ピシッと固まった翔は、ユースピリアに抱きしめられたまま、おもむろに掲げた拳を振り下ろした。


「いったぁーっ!」


 頭部を押さえ痛がるツロモアに翔は冷ややかな目を向ける。

 当然だ。

 それなりに力を込めたのだから痛くなくては困る。



 ……まったく。

 これだから顔を合わせたくなかったんだ。


 強さこそ至上の実力主義であるツロモアが翔に興味を持つのは、ある種、必然だった。

 何せゲーム内の時間軸で言って、何百という年月を掛けている翔のレベルが低い訳がない。

 仮にツロモアに負けて殺されたとしても勝つか逃げ切るか、繰り返し、生き残れるようになるまでコンテニューすることができる。


 そういう意味では負け知らずだ。


 ツロモアが今より若く、殺し屋としても精彩に欠けていた頃。

 死都の烏なんて仰々しい通り名が付けられるよりも以前の話で、標的こそ仕留めはしたものの、しつこい追っ手に深手を負わされたことがあった。

 多分、あのまま1人で戦っていても勝てただろうし、死にはしなかっただろう。

 深手と言ってもその程度の傷だった。


 そこにふらりと現れて、ツロモアを助けたばかりか、ご丁寧に手当てまで施した。

 当時の翔の行動を彼女は鼻で笑ったものだった。


 翔自身も何故あの時、彼女を助けてしまったのかと後悔をしている。


 ……気付いていなかったのだ。

 ただ、その容姿から、捨て置くことができなくて。

 お互いの名前さえ知らないまま。


 ユースピリアと出会うより前の話でもあり、お互いの活動地域が重なっていたことから、たびたび顔を合わせては言葉を交わした。

 翔の身のこなしから実力を察せないほどツロモアは鈍くない。


 ただ、出会い頭に襲いかかるようなことも、キスを迫るようなこともなかった。

 彼女がそのような行動に出るようになったのはユースピリアを相棒に置いてからの話である。



 その『強さ』が自らの隣にないのなら殺して消してしまいたかった。

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