授業こそ睡眠学習
「あーあ。お前のせいで朝、桜井さんとあんま話せなかったじゃねーか」
——SHR終了後。
移動教室の荷物を片手に京介はぼやいた。
璃乃は既に教室を出ている。
SHRを睡眠にあてた翔の覚醒を待っているところだ。
「……お前が殴るからだろ」
翔は閉じかけの目元を解しつつ立ち上がる。
だいたい、無視を決め込んだ俺のことなんて仕方ない奴だとでも言って放っておけば良かったのだ……。
そうすれば翔は眠れて、京介は璃乃と話せた。
どう考えてもWin-Winじゃないか。
それなのに殴ってでも意識を保たせようとしたのは、ひとえに璃乃の話し掛けた相手が京介ではなく翔だったから。
自分の思いよりも相手の意思を尊重できるのは京介の美点だが損な性格をしているとも思う。
あと俺に対する遠慮なさをもう少し改めろ。
殴るにしても加減しろ。
SHR前の口論を再開しつつ、ちらほらと残るクラスメイトをおいて2人は教室を後にする。
——翔の手には一切の教材が握られていない。
1限目の教科は情報処理。
その名の通りデータの集計演算から表やグラフの作成など情報を処理する技術を学ぶ科目だ。
授業は主に第3情報処理室にて行われる。
——学力、規模、オール平均値の御影池高校は、しかし、国の情報処理に関する人材育成プログラムに参加するだけの施設とカリキュラムを備え、その質はトップクラスを誇っている。
実技で使用する機器にプレドマを挙げる情報処理では当然のこと。
国語。数学。社会。理科。英語。
基本の5教科を含めて使用を推奨する授業が大半を占めることから全校生徒並びに教職員はその所持が義務化されていた。
毎月の通信料など家計への負担はあるものの特別校割引や特待生制度の適用で軽減される他、配布される有形の教材はデータ化によって所持する必要がなくなる。
事前申請により購入から二週間内であれば返品返金も受け付けられているので実質無償だ。
……まあ、そうは言っても、ダウンロード用のデータなどない。
1から10まで自力でデータ化し、かつ1文字の漏れもないことが確認されてようやく認可は下りる。
掛かる労力から許可証を発行する者とそうでない者は半々に別れるが。
翔は全ての教材をデータ化していた。
教科別に発行された許可証を、机の挿入口に差し込むことで自身の正当性を証明することができる。
体育や家庭科の実技といったデータ化のできない授業を除けばプレドマ1つで事足りるのだ。
「今日はお前、どうするんだ?」
口論にも一区切りがついたところで尋ねられた。
SHRの間だけで睡眠不足は解消されないだろう、と。
是である。
ついでに言っておくと翔は真面目な生徒ではない。
「寝る」
即答だった。
「くっそ余裕かよ。羨ましいな畜生」
程々にしておけだとか寝るなだとか。
京介もここで忠言を返すようなタイプではなかった。
第3情報処理室とプレートに書かれた教室に着いた2人は扉を開けて中に入る。
プレドマを扱うのに充分な広さが確保されただけの、長机が並ぶそこは情報処理室と言うよりは会議室に近い。
壁際に置かれた数機のプリンターが唯一それらしさを演出していた。
翔と京介は出席番号で指定されたそれぞれの席に向かう。
時計を見やれば授業開始の1分前。
翔たちよりも後に教室を出たメンバーが駆け込んできた直後に授業開始のチャイムは鳴った。
「今日は時間を測りながらやるぞ。ワークの15ページを開け」
教壇に立つなり挨拶もそこそこにそう指示を飛ばしたのは情報処理を担当する教師。
スラッとした背格好でスーツを着こなす。
女子に言わせてナイスミドル。
言われてみると、まあ整っていなくもないかと言える顔立ちのどこにでもいそうなおっさんだ。
プレドマのエンジニア界隈ではそこそこの有名人らしく校長に口説き落とされて教員免許を取得したのだとか。
生半可な気持ちで片町が顧問を務める情報処理部に入部届けを提出すると泣きを見ることになるという話はよく耳にする。
例によって泣きを見ているらしい情報処理部の部員、京介の体験談で。
全員がプレドマを装着しワークをめくる音を響かせる中。
くぁと欠伸を漏らした翔の意識は既に半分以上が夢の世界に向かって遠退いていた。
首に掛けたコントローラーをのろのろと耳に移動する。
「信山、ページは開けてるのか」
と、呼ばれたことに一拍遅れて気付く。
「……開いてますけど」
わざわざ教壇を降りてきた片町が隣に立つ。
……基本的に再現しているデータを他者が目にすることはできない。
朝、家で父や母が何を見ているかを憶測で語る他なかったように、本体同士をリンク——秘匿状態にあるデータの閲覧制限を解除しプレドマによって再現される情報を共有しなければ。
授業中はもちろんリンク機能で情報の共有がなされている。
各教室の机にはそれをサポートする機能が搭載されておりプレドマを接続すると自動的に回線が繋がるよう設定されているのだ。
同時に、ソフトの使用に制限を掛けるプログラムが起動し、接続された仮想空間内の動きを解析する教卓の機能と合わせて授業の効率化、居眠りの防止などにも役立てられている。
翔が無造作に広げたワークを片町は確認した。
ページは15。
指定通りのページである。
1つ頷くとその場からホワイトボードにタイマーを映し出した。
片町の合図で一斉に問題を解き始める——。
翔は1人、目を閉じる。
寝るために。
……居眠りの防止にも役立っていると述べたがその判断材料は『データの更新状況』だ。
接続が確認されている生徒の中から一定時間更新のない生徒がいると教員に通達される。
加えて、神経系に直接干渉することで仮想空間を作り上げているプレドマは理論上、外出モードにおいても脳だけでの操作が可能である……。
おおよその人間が自らの挙動につられるため実行に移せる者というのは少ないが。
問題を解きながら京介はチラリと翔の様子を伺った。
授業前の宣伝通り。
気持ち良さそうに眠る友人の横には片町が立っている。
咎めるでもなく、ただ難しそうな顔をして。
……それもそうだろう。
一切手を動かしていなくともデータが動いていれば『操作をしている』つまり『起きている』と見なすしかない。
脳だけでの操作が可能とは言っても、さすがに外出モードを寝ながらにして操作するなんてこと普通は不可能なのだから。
事実がどうであれデータが順次更新されていく以上、彼は『起きている』のである。
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