仮想と現実

 翔は既に3体の魔獣を従えている。


「……まだって、12体中の3体だぞ。少ないだろ」

「どこが! あんなもの1体でも充分すぎる!」


 悲鳴にも近い声で叫ぶユースピリアに翔は耳を押さえた。

 煩わしげに顔をしかめる。

 が、彼女にそれを気する余裕はない。


 ――魔獣は単体でも都市を半壊させうるだけの力を持つ。

 神々に牙を剥いた代償として石盤に封印され現在は各地に散らばっているが、裏を返せば『神々の力を持ってしても封じる以外に手立てのなかった存在』ということ。

 基本スペックの高さは折り紙付きだ。

 石盤から漏れ出た魔力を編み上げ実体化を叶える程度なら軽く行ってみせる。

 文字通りの化け物。


 石盤を手に入れるには片鱗に過ぎぬとはいえ実体化した魔獣を相手にしなければならない。

 過去に3度、3体それぞれと対峙した時のことを思い出してユースピリアは身震いする。


 ……例えるならば畏怖と嫌悪の塊。

 無条件で命を乞いたくなる禍々しさを内包している。

 あれは、ヒトの身で手を出して良い力ではない。


 それを既に3つも手にしているというのに。

 まだ求めると言うのか、この男は。


「嫌なら先に戻っててくれ。どっちにしろ王宮の方は日を改めることになるし依頼は俺1人でもどうにか出来る」


 視線で咎めても効果はない。

 魔獣を諦めるつもりはないと態度で語る。


 翔が提示した妥協案にユースピリアはぐるると不機嫌そうに喉を鳴らした。

 寒気のする腕を摩りながら……。


「私はカケルの何だ」

「相棒」

「だったら共に行くしかないだろう」


 相も変わらず影から飛び出してくる雑魚を蹴って倒す。

 ……騒いだからか、数が多くなりつつあった。

 だからどうということもないんだが。


 翔はハハッと声に出して笑った。

 一歩下がれば代わりに前に出たユースピリアが時間稼ぎを引き受ける。


「天国だろうと地獄だろうとどこまでも共にって? 本当に最高だな、お前は」

「嫌味か」

「感謝してるんだよ」


 愛銃に弾を込めながら。


「ユリアのおかげで俺は気兼ねなく戦える」


 酷く柔らかな声音で自らの愛称を呼ばれたユースピリアはほんの少しだけ唇を噛んだ。

 ……カケルはずるい。そんな風に呼ばれたら逃げ出すことなど出来なくなる。それをこの男は分かっていないのだ。だから、タチが悪い。


 そして確かに彼はユースピリアの思いなど知りもしないのである。



          *




 ――――ジリリリリッ。


 脳に直接響く目覚まし音に翔は薄っすら目を開けた。


 見慣れた天井の木目をしばらくぼんやりと眺める。

 耳を塞ぐヘッドホン型コントローラーのボタンを緩慢な動きで押して音を止める。

 壁に掛けた時計を確認すれば寸分の狂いもなく設定した通りの時間だった。


 午前7時。

 カーテンの隙間から明けた空が見える。

 欠伸を漏らした翔はコントローラーを頭部から外した。

 もぞもぞとベッドから起き上がる。

 制服に着替えるため室内を移動する。


 ――エンプティリフレイン。

 空虚の繰り返し、と訳せるそれはプレドマを使用して空想上の物語に入り込んだプレイヤーが過ごす一定の規則性を持った時間を指す造語だ。

 界隈では『エンリ』や『エンリフ』などの略称で知られている。


 そして『エンプ』とはゲームや漫画、小説と言った二次元の世界に入り好き勝手な行動を楽しんでいる人間のこと……。

 悪魔の一種に数えられ、おおよそにして禿げ頭の醜い姿で描かれるインプと掛けられているとか何とか。

 細かいことは、まあ、別にいいだろう。


 翔は重度のエンプだ。


 イスタルスはゲーム上の世界にすぎずユースピリアはプレドマが作り出した数いるエキストラの1人。

 物語の主人公は他にいて着々と終演に向っている……。


 紺色のブレザーに身を包んだ翔はベッド横の机に近付いた。

 厚さ10センチ程度。横長の箱が白色の塗装でコーティングされた表面の一部をチカチカと光らせている。

 側面のスイッチで電源を落とすと一拍置いてその光は緑から赤に変わった。


 箱の右上、円形のくぼみの中央にはめ込まれた3センチ四方のキューブを抜き取る。

 このブロックこそがプレドマの本体となる。

 横長の箱はCDやDVDなどディスク系の旧媒体を読み込むために設計されたプレドマの周辺機器だ。


 外界の情報の一切を遮断する『睡眠モード』から意識を現実に残した状態での操作を可能とする『外出モード』に切り替える。

 本体をポケットに突っ込んでコントローラーを首に掛けた翔は部屋を出た。


 ――――夢を夢に。

 その売り文句からも分かるようにプレドマは初め使用者が睡眠状態にあることを条件としていた。

 外出モードの搭載は過眠症の発症が社会問題おなって以降のこと。

 通信機器の役割をも担うポータブル機器として確立されたのはさらに後のこととなる。

 


 リビングに降りるとプレドマを装着した両親がそれぞれキッチンで宙を撫でたりソファに座って何もない壁を眺めたり。

 ……知らない人間が見たらまず間違いなく医者を呼ぶだろう。


 任意性を持った人工幻覚とでも言おうか。

 外出モードに切り替えたプレドマが作り上げる半仮想空間は本体同士をリンクさせないと情報を共有することができない。


 母は料理のレシピを。

 父はテレビニュースを。

 それぞれ見ているのだろう。

 おそらく。


「あら、おはよう翔。お弁当もう少しで出来るから朝ご飯食べてなさい」


 こちらに気付いた母の挨拶に翔は気のない返事で応えた。

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