第3話
「誰が生けた花か、ってのは見れば判るものなのか?」
「はい?」
六月。田圃に広がる新緑の美しさに、私が改めて感動していたある日。
その客は、突然現れた。
「この店だろ。なにかと客にうるさい『注文の多い花屋』ってのは」
そろそろ、夕焼けが西の空を染め始める時刻だ。店内に、他の客の姿はなかった。
三玲は店の奥で、先日、最上川の河口から拾ってきた握り拳より一回り以上大きな石をハンマーとタガネで割っていた。なんでも、花をとめるのに使うらしい。
店の奥、ガラスシリンダーが並んでいる棚の脇には、すこし壁の窪んだ低い展示台があった。そこで使うのだろう。その台はお客さんの視線からは微妙な高さで、なかなか花を飾るのが難しいらしい。でも無駄にするには勿体ない広さがあり、三玲はいつも、そこに飾るアレンジでは少し苦戦していた。
客と向きあっている私の脇に、慌ててゴーグルを外した三玲が寄ってくる。
「失礼しました。自分が店長ですが、何かお探しですか?」
「なんだ、背の高いお嬢ちゃんの方が店長さんか。実はな。生け花の、それを生けた主について知りたいんだ。この花屋は客に小うるさい要求をする、って聞いたんだが、それなら相応に花について詳しいってことだろ。それともまさか、通り名の由来はただのぼったくり店だから、ってわけじゃないよな」
「いえ、ウチは決して……申し訳ありません、お話しの主旨がよく判らないのですが。あと、自分は女性ではありません」
三玲は困惑しながら返答すると、チラッと並ぶ私を睨んだ。
だから、女扱いされるのは、私のせいじゃないってば。
けれど三玲に言わせれば、性別を誤解される回数は、私が店に入ってから格段に増えたらしい。その理由は定かではないけれど。
三玲の返答を聞き、そりゃ済まなかったな、と客は慌てて詫びた。それから、おもむろに話を始める。
客は中年を過ぎ、そろそろ初老にさしかかっている頃合いの男性だった。
「風変わりな頼みで悪いんだが、客に妙な要求をする花屋になら聞いてもらえるかも、と思ってな。もちろん、手間をかけるからにはお礼はするし、なんならこれから仏壇の花はいつもこの店で買うようにするからよ」
「ありがたいお申し出ですが、ウチは一般的な仏花は扱っていないんです。それより、お応えできるご相談かどうか、まずお話を伺わせてください」
先走る男性客に釘を刺しながら、三玲は椅子を勧めた。私は素早く急須で茶を煎れ、その前に差しだす。
「ありがとう。お嬢……っと、もしかして」
「私は普通に女です。ご心配なく」
にっこりと微笑みかけると、ホッとしたように男性客が息をつく。なぜだか、また三玲に睨まれた。
「それで、当店にご相談とは、どのようなものでしょう」
「そうだな。最初っから事情を話した方がいいか」
呟くと、男性客は茶碗を一度、口に運んだ。それからゆっくりと語り始める。
この春、定年を迎えた男性は、四月まで毎日、電車通勤をしていたのだという。
「めずらしいですね、この地方では」
「十年前までは、俺も普通にマイカー通勤だったさ。電車通勤は、検診にひっかかってから、医者に言われて始めたんだ。そうすると毎日駅まで歩くだろ」
自宅から職場までは遠すぎるが、駅までは丁度良い距離なのだと、男性客は笑った。
「帰りの時間が制限されるが、気の進まない酒の席を断る口実にもなる。で、通い始めてしばらくして、無人駅の待合室に、いつも花が生けてあるのに気づいたんだ」
通勤に使っていた北余目は、ホーム上に小さな待合室があるだけの典型的な無人駅だという。その片隅に、簡単な台が置かれ、花が生けられていたらしい。
「上手い下手は、俺にはさっぱりだがな。いつも、そのへんに生えていそうな、ありきたりな花ばかりだった。それでも、毎日眺めていれば愛着もわくってものだ」
いつしか、時折入れ替わるその花を眺めるのが、朝夕の楽しみになっていたのだと、感慨深げに男性客はいった。
「この四月に定年になって、会社に通う必要もなくなった。もっとも、仕事を辞めてもしばらくはいろいろと忙しくしていたが、一ヶ月もたてば細かい雑事も片が付く」
暇になってからは、これまでやりたかった事を始めた。だが、すぐには生活のリズムが掴めない。考えた末に、毎朝ウォーキングをすることにしたのだという。
「運動不足は、仕事をしていないと尚更だからな。で、なんとなく歩いても続きゃしないから、駅まで行ってみることにした」
「通い慣れた道が一番ですか」
「ま、距離も適当だし、気が向いたら列車に乗って酒田に出てもいいしな。そうして、久しぶりに駅に寄ったら、待合室には、変わらず花が生けてあったよ」
「それは良かったですね」
私がそう声かけたが、男性客の表情は晴れなかった。
「いや、単純にそうも頷けなくてな」
「なにか気がかりなことでも?」
三玲が問うと、男性客は言いづらそうに口ごもった。
「いや、なんというか……改めてこうして説明してみると、妙なことを頼みに来ちまったと自分でも思うんだが……」
「ここまで話していただいて、それで終わりはナシですよ」
三玲はわざと砕けた口調で、男性客に先を促した。
「そうだな。……なんとなく、違う気がするんだよ」
やがて、一度お茶を口にした後、男性客は、観念したようにそう言った。
「今も花が生けてあったのは嬉しい。だが、そいつはこれまでの花と、何か、どこかが違っている気がしてならないんだ」
「……なるほど」
しばし黙りこんだあと、三玲は言葉を噛みしめるように、ゆっくりと口にした。
「それがつまり、最初に仰っていた『誰が生けた花なのか判るか』というご質問に繋がるわけですね」
「そうだ。一度気になっちまうと、もう自分でもどうしようもなくてな」
男性客は恥ずかしそうに笑うと、私と三玲を見回した。
「無茶な頼みだというのは百も承知だ。今日も待合室には花が生けてあったから、店が終わったらそれを見て、気づくことがあれば教えてほしいんだ」
それから、おもむろに私達にむかって腰を折り、頭を下げる。
「小さな手がかり程度でも、どんな些細な事でも構わない。頼む、この通りだ」
「お客様。顔をあげてください」
男性客の頼みを聞き、真顔で考えこんでしまった三玲の横で、私は慌てて手振った。
「アレンジを見に行くのはまったく構いません。長年生け続けられた方の花を拝見するのは私も楽しみです。でも、生けた主が判るかどうかは……お客様は一月以上、見ていなかったわけですよね? しかも生活のリズムも環境も変わっていらっしゃる。それが影響している可能性はありませんか?」
私は念のため訊ねた。
「見慣れた物でも、自分の状況が変わると、意外と新鮮に映るものですけど」
「確かにその可能性もある。だが、それだけの違いとは思えないんだがなぁ。もちろん、花なんか全くの素人だし、気のせいじゃないと断言はできないが」
私の問いに、男性客は自信なさげに俯いた。
「あくまで、なんとなくにすぎないからな」
「いえ、生けられた花を楽しむのに、素人も玄人もありませんよ。十年も毎日眺め続けていらした方が、印象が異なる、と感じるなら、それは確かに何かが違うんでしょうね」
やがて、三玲はそう答えると、男性客へと向き直った。
「とはいえ、その違いは自分たちにはわかりかねます。以前に生けられていた花を一度も目にしていないわけですから」
「当然だな。だから俺は、いま生けてある花の作者が誰か判るか、と訊ねているわけだ」
「しかしどうして、今の花の作者が知りたいのですか? それまで十年間、花を生け続けてきた人物を突き止めたい、と仰るのでしたら動機がよく理解できるのですが」
「そりゃ、それが可能なら教えてほしいさ」
三玲が続けて訊ねると、男性客は軽く首を振った。
「しかし、その願いはいくら『注文の多い花屋』にだって無理な相談だろ。一度も見たことのない、もう枯れて捨てられちまった花の作者を調べてくれ、なんてのはさ」
「確かにそのとおりです。もっとも、無理難題なのはご依頼も大差ありませんが」
「正直に言えば、今の花の作者が、以前、あの場所に生けてくれていた相手と違う。それさえ確認できれば俺には充分なんだ」
男性客は、不安げに眉をひそめた。
「だとしたら何も心配はない。だが、もし今の花を以前と同じ方が生けて居るんだとしたら。それだけが気がかりでな」
思わぬ動機に、私と三玲は互いに顔を見合わせた。
「理由をご説明いただいても?」
「ありきたりな話さ。この歳になれば、親しい相手の一人や二人、病で失った経験があるものだ。そういう相手と身近に接していると、否応なしに感じるんだよ。不思議なものでな、重い病気にかかると違ってくるのさ。……表面的な健康とはまた異なる部分が」
男性客は、しみじみと言った。
「言動、雰囲気、作る物、日々の行動……何が、とは明確に指摘できないけれど、確かに判るんだ。こいつ、どこかこれまでと違わないか? ってな。そして、そう感じた相手が実は重い病気にかかっていた、なんて話はいつも後から知らされる」
「なるほど。……承知しました」
男性客の説明に、三玲は大きく頷いた。
「受ける印象が過去の花とどこか違う。原因は隠れた病気に由来するかもしれない。心配だから生けた主を捜してほしい。それがご依頼の本意ですね」
「そのとおりだ。引きうけてくれるか」
男性客は嬉しそうに頷いた。
「絵画とか音楽とか、達人には判るんだろ。誰が描いたか、弾いたのか。同じように花の作品でも作者を見抜ける可能性はあるよな?」
「いえ。もし、その花を生けたのが極めて著名な華道家やデザイナーでしたら、目星がつく可能性もゼロではありませんが」
意気込む男性客に、三玲は困ったように首を横に振った。
「市井の華道家が生けたアレンジでは、まず無理です。申し訳ありません」
「そうか。考えてみれば絵や音楽だって、作者が判るのは一流のプロの場合だけだな」
三玲が謝ると、男性客は落胆したように肩を落とした。
「しかし、個人名までは判らなくても、その花をどんな方が作ったのか、という生け手の推測くらいは可能です。その程度でよろしければ、ご協力しましょう」
えっ? ちょっと、まさか本気?
三玲が続けて告げると、男性客の表情がパッと明るくなった。
いくら『注文の多い花屋』だからって……普通、断るでしょ、こんな無茶振り。
「本当かい? いや、充分だよそれで。俺だって、誰が生けた花かすぐ目星がつくだなんて期待しちゃいない。少しでも手がかりが掴めれば、くらいの気持ちで来たんだ」
「おそらく、作品を見れば多少のヒントくらい発見できるでしょう。自分も一応、花を生ける人間の端くれですから」
喜ぶ男性客に、三玲が自信ありげに胸を張る。
その脇で、私はげんなりとした。
おそらくダメね、これは。だって、完璧な負けフラグじゃない?
三玲の自信の根拠が判らない。三玲の生ける花は確かに素晴らしい。だが作る能力と、それを分析する力はまったく異なるものだ。たとえば、美しい一枚の写真を、その撮影者の予想がつくほど理解していても、同様の一枚を撮れるわけではないように。
そんな私の内心など気づかずに、男二人は単純に盛りあがっていた。
「ありがたい。それじゃ、さっそく今夜にでも見てくれるか。今の花は生けられてしばらく経つんだ。そろそろ変えられても不思議じゃない」
「そうですか。なら急いだ方がよさそうですね。推理の材料は少しでも多い方が良い。次の花が生けられたら、それもまた参考にして……というわけで、瞳子さん、あとはお願いできますか?」
「お願い、ってまさか今から行くつもり?」
「はい。どうせ今日はもうお客さんは来ないでしょうから」
三玲がチラッと店の外に視線を走らせる。
たしかに事実だが、店長が口にするな。
当然のように言いだした三玲に、男性客の方が慌てていた。
「なんなら、このまま店を少し早めに閉めていただいても結構です」
「定時までは絶対に開けるわよ。たとえ人っ子一人来なくてもね」
私はムキになって言い返すと、まるで子供を追い払うかのように手を振った。
それ以上、議論する気はなかった。今はもう、何を言っても無駄なのだと、この二ヶ月あまりの経験でよく判っている。
三玲の瞳は輝いていた。まるで、会心のアレンジを生けたとき同様に。
†
「じゃ、結局店を閉めてから瞳子さんも見に行ったんですか?」
「そりゃ、気になるもの。仕方がないでしょ。それに無人駅なら車がなくても行けるし」
翌日、私は花の水替えをしながら、三玲と昨日の依頼について訊ねた。
「確かに花が飾ってあったけど、アレを眺めて、それで三玲は何か判ったわけ?」
無人駅の待合室には、隅に小さな台があり、確かに花が生けられていた。
「ごく普通の生け花だったわよね、とりたてて特徴もない。あえて言えば、ちょっとだけ潰れたようなシルエットっていうか」
「昨日今日花を始めたばかりにしては、なかなか辛辣ですね」
「身の程しらずの感想なのは承知よ。でも仕方がないじゃない。そう感じたんだから」
待合室に生けられていたのは、普通の綺麗な生け花だった。
でも、それを生けるのが決して容易ではないのは、この二ヶ月間の経験でよくわかっている。今の私の実力では到底生けられないだろう、あの花は。
けれど、それとこれとは話が別だ。
「大体、半分はそっちの責任だし。毎日、三玲の花を眺めているから、なんだから。あの花に対して、綺麗だけどありきたり、って印象しかもてなかったのは」
「自分の花と、あの花は目的が違うんですから、比較するのは無意味ですよ。確かにアンバランスと感じられたかもしれませんが、あの花はとても達者でした。なかなかああは生けられません。埋もれた名人ってのは居るものですね」
三玲は困ったように微笑んだ。
「自分のデザインが個性的なのは理由があります。店に商品として、作品として並べるアレンジは、平凡では困りますから。花材費だけでなくデザイン料を上乗せして頂戴する以上、価格相応に良くも悪くも目立つ必要があります。でなければお客様は、高いお金を払って買う意味がないじゃないですか」
それからふと、手を伸ばして水切りを終えたばかりのササユリを一本摘む。
そしてそれを、傍らに置かれた細いアルミ合金製の花入れにそっと挿した。
「たとえどれほど綺麗でも、ただ一輪、器に挿しただけの花に、自分はデザイン料という付加価値をつける気にはなりません」
「どうして? 物の価値は、手間の問題じゃないと思うけど?」
「そう主張する華道家も確かにいらっしゃいますね。数百本、場合によってはもっと多くの花材から最適な一本を選び、万全の状態で挿す。だからこれは自分でなければ生けられない唯一無二の作品なんだと」
私の問いに、三玲は一瞬頷いた。だが、すぐに表情を険しくする。
「ですが、その場合、花の立場はどうなります?」
「花の立場?」
「このアレンジは間違いなく綺麗です。でもそれは、自分の花選びの眼力以上に、ササユリ自身の美しさに立脚していませんか? 美しさの主体はユリそのものにある。自分の行為はそのサポートにすぎません」
三玲は、ササユリにむかってそっと微笑んだ。まるで愛しい女性に出会えたかのように。
「ユリ自体の美しさの価値は、最初から花材費に含まれています。故に、デザイン料は請求できない」
「だけど、そんな理屈が通るなら、アレンジなんてみんな同じゃないの?」
「美しい女優さんを集めれば、それだけで素晴らしい舞台・映画が作れますか? 違いますよね? ……自分は、花を生ける、という行為は映画の監督や舞台の演出のようなものだと捕らえています」
三玲の説明は短かったが、私にはすぐピンときた。
「つまり花は役者、ってわけね」
「そうです」
なるほど。
これでようやく、三玲のアレンジに対する姿勢が一つ理解できた。
「無論、完全な一人芝居であっても演出家がついている舞台は珍しくないそうです。だから、あくまでも比喩ですけど。それに実際、たった一輪を生けただけで、これは自分の作品だな、と実感できる瞬間もありますし、何輪挿しても、これは花そのものの美しさでしかないか、と思う場合もあります」
「なんとなく納得できたけど、それは、比較しても無意味、って話とつながるの?」
私は、新たなガラスシリンダーに手を伸ばしながら、話を本筋に戻した。
「あの花を生けた人は、画家や音楽家のように、自分が全てをデザインしている、と意識して生けている、ってこと?」
「そうではありません。むしろ逆です。あの花を生けた人と、自分の姿勢はある一面でよく似ています」
私の問いに、三玲は慌てて手を横に振った。
「我々は、花の美しさを引き立てる演出家にすぎないと承知している、という意味で。ただ、あの花では生け手はことさら自分を主張していません。花の備えている美しさを、そのまま素直に表現しているだけです」
「そりゃ、デザイン料を稼ぐ必要もないしね。でもそれって言葉だけ聞くと、アレンジの極意とも受け取れるけど?」
「生け手が無色透明になる、つまり誰が生けても同じ。それを極意と感じられるほどの悟りがひらけたら、もっと楽に花が生けられるのでしょうね」
私の指摘に、三玲は苦笑した。
「残念ながら、自分はまだその境地には到底至りませんが」
「だから、この店には主張の強いアレンジばかりが並んでいる、ってわけね」
いけない!
「ううん、もちろんこれはこれで……」
私は率直な感想を口にしてから、大慌てで取り繕った。
言葉を尽くすと、決して嫌みでなかったのはどうにか伝わったようだ。三玲はしばらく苦り切った顔をしていたが、それは自分に対してのようだった。
やがて三玲は軽く息を吐くと、気を取り直したようにいった。
「つまり、比べても無意味な理由は、家庭料理とレストランの料理の比較と同じだから、と例えれば判りやすいですかね。ウチは、これでもレストランのつもりなんです」
「扱っているのは、専門のシェフでなければ調理の難しい手の込んだ料理ってことね。対して、あの花は素材の持ち味を生かした素朴な家庭料理、か」
「はい。愛情というスパイスも込みで考えれば、どちらが美味しいかを比較するのは無意味でしょう?」
私はあの花を、綺麗だけど三玲の作品と比較すると平凡でつまらないと感じた。
だが、それは毎日の食卓の料理を、レストランのメニューと比較しているのと同然だ、と言われれば納得するしかない。
「それに、あの花は決して平凡なだけでは終わらない、際だった特徴が一つありました。だから、綺麗で意欲的でとても良い花なんですけど……その特徴を頼りに生け手捜しをするのは難しいでしょうね」
三玲の結論はシンプルだった。
確かに、あの花の綺麗さの源が、自らは出しゃばらず花の美しさを引き出しているから、なら作者を推測するのは困難だろう。
作品から作り手を見分けやすいのが、どぎつい演出家、奇抜な監督なのは道理だ。
「そういう理屈、昨日ちゃんとあの方に説明した? 期待させて、後からダメでした、は印象悪いわよ」
「もちろん、ちゃんとお話ししましたよ。同時に、何点か気がついた点も教えました」
「えっ? 他に気づいた事なんてあるの?」
「そりゃありますよ。だから、多少の力にはなれるかも、って言ったじゃないですか」
私が危惧していた三玲の台詞は、それなりの根拠があったらしい。
「最初から、花型の特徴やアレンジの個性から生け手が推測できるとは考えていません。自分が期待していたのはもっと、具体的で即物的な証拠ですよ」
三玲はスマホを取りだした。画面には昨日私も見たアレンジが写っている。
「これは明らかに生け花を習った方の作品です。そして日本の生け花は大雑把に、三大流派とそれ以外に分けることができます」
「三大流派は池坊、草月、小原だっけ」
「そうです。そしてこの三大流派は門人の数が桁違いですから、生け花用具を独自に製作・販売しています。ですのでもし、無人駅のアレンジにレッスン用の指定花器が使われていたら、生け手がどの流派に所属しているか、簡単に予想がつきます」
「えっ? 生け花って、そういうもの?」
想像したこともなかった三玲の指摘に、私は驚いて作業の手をとめた。
「花器なんて、自由に好きな物を使えばいいんじゃないの?」
「もちろんそうです。でも世の中、使い勝手の良い花器は少ないんですよ。陶芸家の高価な花器はほぼ例外なく、実際に花を生けるようには作られていません。彼らは花には無関心だし、脇役である器優先ですから。一方で安価な生け花用の器は、近年輸入品のコンポートと百円ショップの商品に押されて絶滅状態です。流派が花器を売るのにもそれになりの理由があるってことです」
「へぇ。花器を誰が作って売っているかなんて、考えたこともなかった」
「もっとも、門人に器を押しつけて流派が儲けているのも事実ですけどね。生け花を習っているとそうして自然と手元に流派直売の器が増えますから、市販の花器は買わない人も少なくありません。なので流派の判別がつく花器を使っているかも、と考えたのですが」
三玲は再びスマホの画面を覗きこんだ。
私は確認した
「これは、違ったってわけね? じゃ、生けたのは三大流派以外の華道家ってこと?」
「確かに古流の門人の可能性もありますが、簡単に断定はできません。三十年、四十年と生け花を習い続ける方は珍しくありませんが、それほど昔に流派で売られた花器はさすがに自分では判りませんし、可能性としては充分あり得ます。それに、誰もが市販の花器をまったく買わないわけではありません」
「無理矢理言い訳しなくてもいいのに」
水替えを再開しながら、私がからかうと、三玲は悔しそうに視線を逸らした。
「他に、手がかりになりそうな情報は?」
「花器だけでなく、花留めも一部の流派には特徴があります。剣山が誕生したのは明治なので。代表的なのは小原の七宝でしょうね」
「でも、これは剣山に生けられているわよね? もしかして」
「剣山には、流派による大きな違いはありませんよ」
三玲は私の質問を先回りして答えると、一端スマホから視線を離した。
「ですので、使われている用具から流派を推測するのは、今回は失敗しました。でも、次に新しい花が生けられたら連絡が来ます」
「もし流派に目星がつけば、生け手をかなり絞り込めるの?」
「東京とは違いますからね。地方都市には流派を越えた横のネットワークが存在します。それに教場には、懇意の花屋があるものですし。これらを辿れば見つけられると思います」
三玲は頷くと、まるで催促するかのように、チラッと私を見た。そのくせ、素直に訊ねるつもりはないらしい。
焦らしてもよかったが、私はおとなしく結果を報告した。
「私の方も、目立った成果はなかったわよ」
「花以外のアプローチで、生け手を捜してくださったんですよね?」
「よく駅に飾ってある生け花って、当然だけどJRからの依頼か、少なくとも許可は得ている筈よね。だから酒田と余目、鶴岡の三駅で駅員に訊ねてみたけど、北余目に関して、誰もそんな話は聞いたことがないって」
「そうですか」
「でもさすがに十年間飾られているだけあって、存在はよく知られていたわ。花を飾りたいなら申し出てくれれば喜んで許可を出すのに、だそうよ。というわけで、JR関連から生け手を辿るのは無理みたい」
私は答えると、水の替え終わったガラスシリンダーを置いた。
今日の水替えは、これで無事終了だ。
「午後、早退させてもらえるなら図書館に行って、過去十年分の地方版をチェックしてくるわ。話題に乏しい田舎町だもの、ネタに困った時に取り上げられているかもしれないし」
「住んでみると、庄内も意外といろいろあるんですけどね」
三玲はそう呟きながら、もちろん店は早退していただいて結構です、と頷いた。
当然、許されると承知で私も訊ねている。
たとえ無理難題を持ちこんできた客でも、大切にしなければならないほどに、客足は依然として少なかった。
†
「最近、面白いお客さん来たって?」
「うん、それが……まさか、霞ちゃんが言いふらしているわけじゃないわよね。『注文の多い花屋』って渾名」
「えー、だとしたらただの営業妨害だよねぇ。ありえなくない?」
お店の椅子に座って、紅茶を飲みながら、霞ちゃんはけらけらと笑った。
「でもなんか似合ってるかも? 店長がそういう捜し物とか、謎解きとかしてる姿」
「似合ってないし、似合わなくていいの。ウチは平凡な街の花屋なんだから」
「これが、平凡な花屋の店先?」
霞ちゃんは、店内を親指で指さした。
確かに三玲のアレンジは今日もキレキレだ。最近、妙に慌ただしいにもかかわらず。
というより、時間や花材など、条件に制約がある状況で生けた方が、三玲の作品はより生き生きとしてくる気がする。
「以前も凄かったけどさぁ。瞳子さんが来て以降、店長の生ける花の迫力が増したよね」
「……そんなの判らないわよ、私には」
思いもかけない指摘に、私が言葉を濁すと、そりゃそうか、と霞ちゃんは笑った。
「あれから理芳は来てる? こういう時こそ、奴をこきつかったらいいんじゃない? 店長も瞳子さんも地元じゃないから、何かと不案内でしょ」
そう提案してから、理芳が探偵助手、受ける、と自分の提案にまた大笑いする。
「しばらく脇田君は顔を出していないわよ。そろそろ定期テストでしょ。霞ちゃんこそいいの? こんなところで油を売っていて」
「もぅ、瞳子さんまで、ウチの母親みたいなこと言わないでよ。せっかく逃げ出してきたんだから……誰に言われなくても勉強くらいしてるってば」
私の問いに、霞ちゃんはぐったりとした様子で身を投げ出した。
どうやら、テスト勉強に煮詰まって店に息抜きに来たらしい。いつもとちょっとノリの違うはしゃぎ方も、ストレスを貯め込んでいるからのようだ。
「だけど、それじゃ店長が店に居ないのは、今日もその花の主を捜しに出かけているからなんだ」
「そうね。頼まれてのお手伝いというより……生けてある花が存外気に入ったみたい」
あの後、北余目の待合室に飾られた新たなアレンジを見て、その生け手に対して三玲はなお一層の興味を抱いたようだった。
今日も、花材を売った店を突き止められないかと市内の同業者を訪ね歩いている。
「私には、綺麗でも、ちょっとひしゃげた、ありきたりな花にしか見えないんだけどね」
そう口にしてから、ふと、私はある事を思いついて、霞ちゃんに訊ねてみた。
「ちゃんと生け花を修めた人には、また別の見方があるのかしら」
「そりゃ店長くらいになると、そうなんじゃない?」
案の定、予想通りの答えが返ってくる。
「……ふーん、三玲ってやっぱり、アレンジだけじゃなくて生け花も嗜むんだ」
「あっ!」
私がジットリとした声で確認すると、カマをかけられたのに気づいて、霞ちゃんはパッと口元に手をあてた。
他のお客さんは特に知らない風だったのに……どうしてこの子だけ。
そんな疑問が湧いたが、とりあえず後回しにして、霞ちゃんを問いつめる。
「フラワーデザインやアレンジって、一般的には西欧の花卉装飾を指すわよね? 同じ切り花を飾っていても生け花とは断然別物だけど、どうして三玲はフラワーデザイナーを名乗っているの?」
「ええと、それはあたしにもよく……確かに生け花も上手だけど、ちゃんとフラワーデザインの勉強だってしている筈ですよ。それなら、どちらを名乗るかは趣味の問題じゃないですか?」
霞ちゃんは妙に他人行儀な口調になると、露骨に視線を逸らす。
「たぶん、フラワーデザインが好きとか、ごく単純な理由ですよ、きっと」
「掛け持ちで勉強している、ってレベルじゃないと思うのよね。あの詳しさは。それに」
私は、窓際に並んだアレンジを指さした。
「この店で働き始めてから、私だって、少しは勉強しているのよ。……日本の生け花と西欧のアレンジの違いは、気になって真っ先に調べたわ」
私の指さす先には、首の細いガラス花器を複数使って三玲の生けた、初夏を思わせる軽やかなアレンジがあった。
「ネットを回っても、大概は同じような解説だったけど、幾つか面白い指摘があったわ。その一つに、生け花出身者とフラワーデザイン出身者を簡単に見分ける方法が書かれていたの」
それは今回の頼まれ事を聞いて、私が真っ先に思いだした文章でもあった。
「その人の意見では、奥まった床の間に飾って、限られた少数の花を全て綺麗に見せようとする生け花は、基本的に前傾姿勢になる。一方、周囲の開けた台の上に飾って豪華さを演出するフラワーデザインは、大量の花を効果的に生けるために、どうしても重心が後方にかかる。……そして最初に習った花のその癖は、生涯消えない、って」
私の指さした三玲のアレンジ。その中でもっとも背の高いガイラルディアは、わずかにではあっても、確かに前傾していた。
「三玲のアレンジって、いつもバランスが整っているけど、時折妙に手前に傾いて感じるのは気になっていたのよね。それに一見西欧風だけど、捨て花がほとんど存在しないのも」
そこまで告げてから、私は口を閉じた。
そして静かに霞ちゃんの反応をうかがう。
「……瞳子さんって、実は何者なんですか?」
私の長口上を聞き終えた後、霞ちゃんはハァ、となぜか大きく一つ、息をついた。
それから少し態度を改めると、真顔で訊ねてくる。
「いくらネットで記事を読んだからって、それだけでは気がつきませんよね、普通。前傾している、なんて本当に僅かにだし、店長の生けるジオメトリックはちゃんと後傾しているんだし。東京の仕事をやめて、潰れかけの、どう見ても儲かりそうもない花屋を続ける、って決断した時点で、ただ者じゃないだろう、とは思っていましたけど」
「私は別に。仕事を辞めた事情は他にあるし。店を続けたのはただの成りゆきだし」
「信じられません」
戸惑う私の返事を、ばっさりと一言で切って捨てると、霞ちゃんはそれきり考えこんだ。
私は、あなたこそ一体何者よ、と問いかえしたい気持ちをグッと飲み込んで、返事を待った。
三玲のアレンジの傾きに気づけたのは、おそらく私が、長年写真を撮り続けた影響で水平を意識する癖が身に染みついていたからだ。
無論、店を継いだのは本当に成りゆき、というかただの勢いだ。
「……あたしから言っちゃうのは、やっぱり、店長にフェアじゃないと思います」
やがて、霞ちゃんは考えがまとまったのか、ゆっくりと口を開いた。
「きっと店長は、瞳子さんが知りたいなら教えてくれるでしょうから。直接、本人に訊ねてください」
「え、なんなの? ……生け花をやっていたかも、って、そんなに重い話なわけ?」
私はわざと茶化すような口調で答えて、真顔の霞ちゃんの様子を探った。
「それなら、私だって聞かないわよ?」
それは本心だった。確かに興味はあるが、他人の秘密や、触れられたくない過去を暴いてまで知りたいわけでは決してない。
「いえ、そういうわけでは、多分……あたしも店長の本心はよく判らないんですけど」
私の探りに気づいたのか、霞ちゃんは困ったように俯く。
「ただ、自分が生け花を教えられるのを、店長はずっとお客さん黙っているみたいだから。知ってるのはそれだけです」
生け花を教えられる、か。やっぱり、ちょっと習っていた、ってレベルじゃないんだ。
私は自分の予想が当たっていたのを確認して、少しだけ喜んだ。
そして同時に反省した。
良い機会があったからつい、霞ちゃんにカマをかけちゃったけど、確かにこういう話は、他人の口から聞くべき事柄じゃない。
「ところで、試験勉強っていまどんな内容? 教科によっては私が教えられるかもよ?」
話は終わり、とばかりに私は口調を変え、霞ちゃんに訊ねた。
「……店長に関してだけじゃなく、そういう話ももう勘弁してってば。あーあ。わざわざ息抜きに来たのに、瞳子さんに上手くやられちゃったな。なんか悔しくてよけいストレスが増えた気がする」
「もぅ、そんな事言わないでよ。それじゃ勉強には触れないから。……おかわり、煎れてあげようか?」
「お茶菓子も追加で。どこかに隠してあるとっておきの出して」
「はいはい」
霞ちゃんも日頃の態度に戻ると、頬に手をあててテーブルに肘をついた。テスト前のいたいけな学生を虐めた、と盛大にぶうたれる。
相変わらず、花を買うそぶりはないし。お客さん扱いしなくてもいいんだけどね。
私はそんな内心を振りはらって、冷蔵庫に残っていた水ようかんを差しだした。情報料にしては安すぎるかもしれない。
「そういえばさぁ、実は霞ちゃんに、今回の件でもう一つお願いがあるんだけど……」
そうして、霞ちゃんから三玲について僅かばかりの手がかりを得たと同時に、私は気づいたことがあった。
確かに、三玲の言うとおりアレンジメントには人が出る。それを生けた人の人柄や、様々な情報をデザインから読み取ることは不可能ではないのかもしれない。個人的に知っている相手であればなおさら、そこから伝わってくる何かはある。
けれど同時に、
そこから何かを感じ取れたとしても、
第三者による推測が許される限度、も確かに存在するんじゃないだろうか。
†
「平日の昼間に、わざわざ足をお運びありがとうございます」
「こっちはもう平日も休日もない立場だ。なんてことはねぇよ」
店の中央にある作業台の向こうに立ち、エプロン姿の三玲は一礼した。
こちら側には、先日以来、幾度か店を訪れているあの中年男性の姿があった。
重厚な一枚板の上には、すでに花材が一式、用意されている。
「それより、誰が生けたのか少しは目星がついた、というのは本当かい?」
「具体的に、生け手が誰なのか判ったわけではありません。けれど、これまであの場所にどのような花が生けられてきたのか、ならかなりはっきりとしてきました」
そう告げると、三玲は再び軽く一礼した。
そして、背筋を伸ばし、左手で一本、花材を掴む。
「これから、お客様にその花をお見せします。あの場に花を生け続けていたのが誰なのかは、それをご覧になったうえで、ご自身で判断していただければと思います」
そして三玲は、おもむろに花を生け始めた。
広い一枚板の上には、これまで店で目にしたことのなかった、信楽風の丸水盤が置かれていた。生け花のレッスン用に大量生産された普及品らしい。
「あれから、ツテを辿って声をかけてみましたが、北余目の待合室に生けられた花を知っている人は殆ど居ませんでした。あの駅の乗降客はごく限られているでしょうから、無理もありません」
水盤の中央には大振りの丸剣山が一つ。これもごくありきたりの品だ。
「それから、これはそちらの瞳子さんが調べてくださったのですが、地元紙やミニコミ誌にも、それらしい記事はありませんでした。ですが、彼女は店に出入りする女子高生から耳寄りな話を聞きだしてくれました」
そう言うと、三玲は手振りで私に説明するよう促す。
「このあたりの人って、免許がとれる歳になったらすぐに車移動になっちゃいますよね。だから、最も列車を使っているのは学生さんかな、って思ったんです」
唐突に話を振られ、私は微かに緊張しながらそう説明した。
「なので常連の高校生に捜してもらったら、やっぱり居ました。北余目の駅を使って通学している子が」
「なるほど、確かにな。俺が通勤していた時も、車内は圧倒的に制服姿が多かったよ」
「そして、その中の一人にお姉さんがいて、華道部だった彼女は携帯で写真に撮っていたんです。その、待合室に飾られていた花を」
私が軽い気持ちで頼んだそのお願いに、霞ちゃんは予想以上に熱心に応えてくれた。学校の違う理芳くんにも声をかけ、そちらでも捜してくれたらしい。
その成果は驚くべきものだった。
「七年前から三年間、生け換えられる度に撮られたアレンジは五十点以上ありました。携帯に残っていたその写真を、彼女は喜んでコピーしてくれました」
「どれも素朴ですが、美しい作品でした。お客様の印象に残ったのもわかります」
三玲は微笑みながら、手にした一本の根本を鋏で切り落とした。
生け花の特徴として、いつものアレンジメントに比べ花材の種類は圧倒的に少ない。三玲の手元に用意されているのは僅かに、すっきりとしたラインの美しい縞フトイと、緑の鮮やかな
「なにより、生け花の精神を汲み、その美しさを追求していながら、既存の花形法にはさほどとらわれていないのがいい」
「花形法?」
男性客は、三玲の評価にそう問いかえした。
「なんだね、それは」
「簡単に言えば、生け花のメソッドの中核をなす考え方です。流派により内容は多少異なりますが、器のサイズなどを基準に、作品を形作る花や葉の構成、えだの長さや傾きなどを、一定の法則に従って決めていきます。たとえば、一番長い枝の長さは器の外寸の一.五倍で中心から十五°傾く、などです」
三玲は答えながらも、よどみない手つきで花材を切ってはそれを剣山に挿していく。
「たいていの流派では、初心者には真っ先にこれを教えます。最近では自由花から始める流派も現れてきたようですが」
「それには理由があるのかね」
「はい。誤解されがちですが、生け花を習うのに美的な能力は要求されません。むしろセンスのない人であっても、綺麗な花が生けられる、それが生け花最大の特徴です。そのためのメソッドとして花形法があるわけです」
「わしにはよく判らんが、絵画でいう黄金比のようなものか」
「その極端な実践法、ですかね」
男性客の確認に、三玲は頷いた。
「もっとも、あまり知られていませんが、容易にバランスの良い花が生けられる反面、花形法にはデメリットも存在します。それは初心者にとっては頼もしい方法論なのですが、同時に、否応なしにセンスの良い人の……というか万人の、本来備えていた個性を殺してしまうんです」
三玲は一瞬作業の手をとめ、妙に据わった目で、自嘲気味に口にした。
私はびっくりして三玲をみた。こんな辛辣な台詞を聞くのは初めてだ。
「自ら苦労して花の長さや角度を考えずに、先人の導き出した公式に従う。最初に楽をした代償は小さくないという事です」
「それと承知で、生け花では花形法を基本として教えているの?」
そして私は、差し出口と承知で、訊ねずにはいられなかった。
私は三玲に生け花を習ったことはない。しかし店に入って以降、アレンジの指導は受けてきた。
三玲はいつも不親切だった。花の長さを訊ねて、素直に教えてくれた事など一度もない。
そもそも教える気があるのか疑いたくなるほど、放置状態だった。ダメ、美しくありません、などの評価を一方的に下すだけで、一度として手直しなどしてくれなかった。
だが、もしあれが意図的な指導法だったとしたら。
「どうですかね。ただ、指導に花形法を用いるメリットは、習う生徒よりむしろ家元側に多くあります。画一的な指導が可能になりますから。師範の能力に依存しない、FC《フランチャイズ》的な教室展開は花形法抜きにはあり得ませんでした。……加えて、弟子が将来自分より上手になる可能性を真っ先につみ取ってしまえる」
三玲はチラッと私を見ると、それ以上言えることはない、とばかりに唇の端で微かに笑った。
もっとも、最後の発言の真意に気づいたのは私だけではなかった。男性客は、腕を組んで納得したように頷く。
「なるほど。花形法とは、簡単に上達できるかわりに、将来の可能性が狭められてしまう指導法、という訳か。生け花の先生にとっては、弟子が自分より上手になったら商売あがったりだろうからな」
「ええ、なんというか……露骨にいってしまえばそうです。直弟子が『私は何十年も習っているけど、先生の域には及びません』と口にする場合はたいていその弊害か、単なる謙遜ですね。もっとも言い添えておきますと、生け花を習う人の九割五分は、言葉でなんと言おうと他人と同じ花が生けられれば満足なんです。不格好だけど個性的な自分だけの花、など本心で求めてはいません。自宅で毎日創作料理を食べたい人は居ないでしょう? ありきたりの綺麗な花を持って帰れれば満足。ですので、あくまで求められた結果、花形法は生まれたわけです」
三玲はそう説明を締めくくると、いったん自分の手を止めた。
剣山に挿された縞フトイをじっと見つめる。直立したそれは、波打つように緩やかにカーブして向かって右へと流れていた。
「ですが、写真に写っていた、待合室に飾ってあった花は、既存の花形には一致しませんでした。極めて生け花らしい挿し口で、にもかかわらず花形法に頼っていない、というのは地味に凄いことなんです」
真剣に縞フトイを凝視しながら、三玲は先程までとは一転して嬉しそうに熱っぽく語る。私もようやく、三玲が入れ込むその意味を理解し始めていた。
「つまり、その人は華道の流派を起こした家元同様に、自分なりの花のリズム、花形を持っている、という事ですから。もちろん、まだまだ荒削りですけど」
三玲はそう言いながら、数本の縞フトイの長さをほんの僅かに手直しした。
「力強さを感じさせながらも、繊細に歪んでいる造形が特に見事だった。おそらく、伝統的な花形についても深く勉強している人でしょう。バランスのとれた平凡な美しさなら、その気になればいくらでも生けられる技量を持っている筈です」
やがてできあがった、その凜としたシルエットに、男性客がほぅ、と感嘆の声をあげる。
「けれど、普通なら無意識に頼ってしまう流の花形から離れ、その先に、自分の花を追い求めている。あのデザインの収まりの悪さには確固たる意図があります。それを認めないのは、ピカソの作品を子供が描いた絵のよう、と評するのと同じ愚行です」
「でもその独自性って、三玲の知らない流派の花形、って可能性はないの?」
「まずあり得ません。庄内に他には知られていない、極めて特殊な地の流派でもないかぎり……流の花形でしたら、美しさより指導の容易さを優先して、もっと合理的で単純な比率を選ぶでしょう」
そう私に答えてから、三玲は次に河骨を挿していった。
気がつけば、三玲は額にうっすらと汗をかいていた。日頃の、どこか涼しげな風情は面影もない。
……へぇ。
そして私は、そんな姿に魅入られていた。三玲が真剣に生ける姿を落ちついて見るのは、これが初めてだった。いつもは店の奥にある作業台で、壁に向かって生けているし、私も何かしら仕事をしている。
そうか、これって寿司屋のカウンターと同じ役割なんだ。
これまで、店の中央にあるこの一枚板の作業台はほとんど使われることがなかった。なんのために存在していたのか、ようやく謎が解けた。
私と男性客が見つめる前で、三玲は縞フトイ同様、またたくまに河骨を生け終える。
「もしかしたら魚道いけの方が、あの花を生けられた方は好みかもしれませんが、今回は水道いけにしてみました」
三玲はフゥ、と息を吐くと、汗をぬぐい前髪をかきあげる。
たいしたもんだ、と言いながら男性客が軽く拍手をした。だが、三玲はそんな賞賛の言葉など耳に入らない様子だった。真剣な表情で、男性客に訊ねる。
「これは、どうでしょう?」
「……どうでしょう、とは?」
男性客は戸惑うように三玲に問いかえした。
「たいしたものだと思う。確かにこれは綺麗だが……」
「待合室で二度ほど拝見した作品と、写真に残されていた作品。どれもお生花ばかりでした。手前はともかく、役枝の角度や長さは既存の流派と違っており、自己流と思われるのは先程お話ししたとおりです」
お生花、とはいわゆる床の間に生けられる古典花のことだ。手前とか役枝とは、その中での花材の配置を意味していたと思う。
「なので、その構成要素、というか植物のリズムを、自分なりに写し取ってみました。花材や花形こそ違いますが、あそこに飾られていた花のニュアンスはかなり忠実に再現したつもりです」
私と男性客は、呆気にとられて言葉を失った。三玲は気負わず説明したが、それがどれほど難しい真似かは、容易に想像がつく。
「どうです、似ていますか?」
「……言われてみれば、確かに似ている。だが俺は、あそこに飾ってある以外に花なんてろくに知らないからな。生け花ってのはみんなこういうものだと思っていたんだが」
「もし、これが待合室に置かれていたら、以前と同じ
三玲は改めて訊ねた。
男性客は作業台の周囲を歩き回りながら、真剣に花を眺める。
やがて、男性客はゆっくりと口を開いた。
「……判らないな。あそこに置かれれば、これまでと違うと判る気もする。しかしそれは俺が生けている様子を見ていたから、なのかもしれない。そこに自信がもてない」
「正直ですね」
三玲はうっすらと笑った。嬉しそうに。
「では、こちらの花はどうです」
それから、三玲は腰をかがめると、突然、作業台の下から新たな水盤を取りだした。
それには、すでに花が生けられていた。三玲が生けたものと、細部は結構違うのに印象だけはかなりよく似た花が。
「これは、先日ようやくたどり着けたとある方にお願いして、事前に生けていただいた作品なんですが」
……まさか。
私は驚いて、ハッと息をのんだ。
写真が五十点あまりみつかった後、三玲はそれを携えて再び花屋の聞き込みをした。成果はなかったと聞いている。しかし、
「自分と同じ花材で、同じように生けていただきました。お客様が捜していたのは、この方の生けた花ではありませんか?」
それは、三玲が先ほど生けたものより、更にほんの少しだけ収まりが悪く、全体にどことなく不格好だった。
けれど、だからこそ、写真の花たちとは更によく印象が似ている。
「この花が、もしお客様の……」
けれど、
「違うな」
三玲に最後まで口にさせず、
男性客は、即座に断言した。
「これも違う。これは今、あの待合室に生けてある花とも違う」
「……さすがですね」
男性客の毅然とした反応に、三玲は一瞬たじろいだ。それから、申し訳なさそうに説明を始める。
「探り当てた方が生けた、というのは嘘です。また一点目で、花材もデザインも違う、花のニュアンスだけを再現したものだ、とご説明しましたが、それも違います」
三玲はそう言ってから、深々と頭を下げた。
「すみません、後からお見せした花も自分が生けました。これは四年前の夏、待合室に飾ってあった花の、ほぼ瓜二つのコピーです。前後左右から撮られた七枚の写真を元にしていますので、実物との違いは二、三㎜以下の筈です」
……本当に?
三玲の説明に、私と男性客は驚いて互いに顔を見合わせた。
確かに、こんな作品もあった気がする。でも、同じ植物と巡り会うのは不可能なのに、全く同様に生けるだなんて、そんな神業じみた真似が可能なんだろうか。
「普通、違いは感じ取れないレベルの差だと思います。一点目は、これを本物だと信じていただくために、あえて少しだけそれを洗練したデザインにして生けてみました」
「しかし」
「もちろん、どれほど配置が一致していても、手が違うのですから間違いなく差は存在します。でなければ、なんのために自分は花を生けているのか判らない。しかし同時に、その差を感じとれるのは、自分同様に花にのめり込んだ者に限られる筈です。絵画の真贋が、専門家にしか見分けがつかないように」
反論しようとする男性客に対して、三玲は意気込んで一息に言い放った。
「決してお客様はそうではない。にもかかわらず、かすかな差異から花の生け手の見分けがつくのだとしたら、その理由は自分には一つしか思いつきません」
気圧されて黙りこんだ男性客にむかって、三玲は一転して穏やかに告げる。
「その花を生けた方と、お客様とが、極めて親しい場合に限るのではないでしょうか」
極めて親しい……つまり家族か、もしくは……
私はそっと男性客の横顔をうかがった。
「写真で見た五十点あまりの花と、先日待合室に飾ってあった花。どちらも自分にはまったく同じ手によるものに見えました。曲がりなりにも、花を生けて暮らしている自分にも判らない差が感じ取れるのだとしたら、その生け手と、お客様とは深い関わりがある可能性が高いと思います」
「……なるほど」
三玲の指摘に、男性客は素直に頷いた。
「あの花を生けていたのは、俺と面識のある相手だと」
その表情からするに、どうやら心当たりがありそうだった。
「素人の俺に見分けがつくのは、それなりの理由があるということか。道理だな」
「お客様の感じた違和感が、決して単なる思いこみでないのは、自分の生けた二点目を即座に見破った事実からも明らかです。そしてこの先の詮索は、お客様ご自身でなされた方がよろしいかと存じます」
三玲は、両手をあわせ深々と一礼した。
「これ以上は、花屋の分を越えますので。……長口上におつきあい頂き、ありがとうございました。お客様に紹介いただいたおかけで良い花が見られました。楽しかったです」
「いや、礼を言うのはこっちだろう。本当に世話になった」
男性客は、三玲に向かって幾度も頭を下げた。私にも、骨を折ってくれてありがとう、と丁寧に感謝を告げてくる。
「感謝のしるしに、というわけじゃないが、この二点のアレンジはぜひ俺に引き取らせてほしい。花器ごと値をつけてくれてもいいし、貴重な器なら後で返却に来る。いくら払えばいい?」
「いえ、あの、この花はそういうつもりじゃ」
続く男性客の申し出に、三玲は慌てて手を振った。
それからしばらくの間、男性客と三玲は、互いに自らの立場を譲らず言い争った。
だが、どちらの主張が正しいかは明らかだった。
「ねぇ店長、ウチがなんの店だか知ってる?」
私は横からそう口を挟んだ。
「お客様への注文が多いのは許すけど、ここが花屋なのだけは忘れないでよね」
「しかし、自分はこの作品は花屋として生けたわけではなくて、あくまで」
「なんであれ、業務時間内に生けたものであればウチの商品。求める人が居れば売るのは当たり前。たとえそれが、三玲の完全なオリジナルではなかったとしてもね」
なおも反論しようとする三玲に、私はきっぱりと断言した。
三玲の気持ちはもちろん理解できる。でも、ここで譲ることは出来ない。
「それとも、この花のデザインは美しい、って最初に評していたのは嘘なの? なら考え直すけど」
私は日頃とはまったく異なる、だがそれでも落ちついて眺めれば、そこはかとなく三玲の気配が感じられるそれを指さした。
「そうでないのなら、ちゃんとお客様に適正な値段でお譲りして。遊びで開いている花屋じゃないんだから。以前も一度、平凡な花も生けて、ってお願いしたことがあったけど、三玲は自分のデザインにこだわりすぎ」
「なんだ、この店では店長よりアルバイトの方が立場が上なのか?」
私の剣幕に驚いたのか、男性客は私と三玲、交互に視線を振る。
「彼女は花屋としては見習いですけど、この店のオーナーでもあります」
三玲は苦笑いをうかべながら男性客に説明すると、大きくフゥ、と息をついた。
それから、吹っ切れたような穏やかな表情を浮かべると、小さく頷く。
「承知しました。すみません、自分が間違っていました」
「たとえどんな理由で花を生けたって、それは三玲の作品でしょ。完コピしたってやっぱり残るのが本物の個性なんだから。もっと、自分の生けてきた花を信じなさい」
説教しながら、私は胸が痛かった。どれほど他人を模倣しても残るオリジナリティ。それを持てる人間は選ばれたほんの一握りだけだ。
私は、そうではなかった。おそらく。
それから私は、これまでの三玲のアレンジを参考に二点の価格を独断で決めた。
それはかなり高額で、三玲はまた何か言いたそうだったが、男性客は即座に喜んでその額を支払った。
「本当によろしいんですか? デザインをどうこうではなく、なにもほぼ同じアレンジを二点も買わなくても」
「いいんだよ。どっちも飾る場所はすでに決めた。……生けたのが誰か。俺の推理が合っているか否かは、こいつを置いて反応を確かめるのが、一番簡単な方法だろ」
確かにそれは、下手に問いつめるよりずっと効果的かもしれない。
訊ねて素直に答えてくれる相手なら、黙って十年間も花を飾り続けたりはしないだろう。
「お前の花をさらに洗練させるとこうなるらしいぞ、って見せつけるのも楽しそうだしな」
男性客の返答に、ようやく三玲も踏ん切りがついたようだった。花器はそのままお持ちいただいて結構ですけど、邪魔になるようでしたら店に持ってきてください、とだけ言い添える。
やがて、男性客は自家用車のシートに花を積み込むと、私たちに再び丁寧に礼を告げる。そして、嬉しそうに店を去っていった。
「三玲は、誰だと思うの?」
男性客が去った店内で、作業台の周囲を片づける三玲に、私は訊ねた。
「私には不可能だけど、三玲には予想がつくんじゃないの? アレンジを生けた主と、あのお客さんとの関係が」
「さすがに無理ですよ、そこまでは」
三玲は苦笑して首を横に振った。諦めず問いつめようとする私に、端的に答える。
「あの花は、オリジナリティがあって、芯の通った美しい花でした。けれど、あくまで素人にしては、というレベルです。……花を人生そのものにしている人の作品からでなければ、そこまで深くは感じとれません」
そう返答されてしまっては、なにも追求できない。
だけど、花を人生そのものに、か。
「つまり、三玲のように、というわけね」
「あなたのお父様も、そうでしたよ」
ンッ!
「……園芸家だったあの人は、アレンジや生け花とは無縁だった筈だけど」
それはあまりにも突然で、私は声が震えないように問いかえすのが精一杯だった。
「なにより、プラントハンターとして、見た目の美醜より珍しさが重要で」
「しかし、方向こそ異なれどあの方も植物こそが人生でした。だから生けることには一切興味をお持ちでないのに、飾ってあるのが植物というだけで、そこから全てを感じとることができた」
「それがきっかけで、三玲と意気投合したわけ?」
「意気投合というか、作品を通して自分を理解していただきました。もっとも最初は互いにけんか腰の議論でしたけれどね。植物に惚れ込んではいても、それぞれ立場が正反対でしたから。にもかかわらず、最後にはわかってくださった」
箒で床を掃きながら、三玲は淡々と語った。
「自分にとってあくまで、知って欲しい、評価して欲しいのは自分の人格ではなくて、生けた花なんです。……それを一目で見抜かれた昌伸先生がいらっしゃらなければ、今の自分はありません」
……なにを、赤の他人があの父の一体なにを、偉そうに!
「なら、私も三玲の作品から理解したことを聞きたいんだけど。三玲って本来はフラワーデザイナーじゃなくて、華道家よね?」
私は動揺したまま、それでもどうにか訊ねた。三玲がそうなら、私にだって考えがある。
「なのにアレンジばかり生けるのは何故? 生け花を憎んでいるの?」
「どうして、そう思われるんです?」
「当然じゃない。一度、生けている姿を眺めれば誰だって気がつくわよ。バカにしないで」
そう告げてから、私はそれだけではフェアではないと思い、言い添えた。
「さっきの、生け花を生けている姿の方が、ずっと板についていたわ。……アレンジを生けている時の方が、楽しそうだったけど」
「楽しそうでしたか。……そんな指摘のされ方だと、認めないわけにはいきませんね」
三玲は諦めたように、笑いながら軽く両手をあげた。
霞ちゃんを問いただした時のように、理詰めで迫らなかったのは正解らしい。
「たしかに、自分は以前、生け花を生けていました」
「嗜んでいた、ってレベルじゃないわよね?」
「ええ。生憎と両親が華道の家元などをしているので。物心ついた時には花鋏を握っていましたよ」
両親が華道の家元? ってことは、三玲も将来の家元候補じゃない。
「なら、将来は戻って家元を継ぐの? それとも、上に兄弟がいるわけ?」
「自分は長男ですが、家に戻る気はまったくありません」
そうとだけ答えると、三玲は露骨に視線を逸らした。
いけない。
動揺のあまり、話の成りゆきにまかせて問いつめてしまったが、それ以上は、場の勢いで許される内容でないのは明らかだった。それに、私が知りたいのはそこではない。
「でも、花は好きだから花屋になったわけ? アレンジなら気楽?」
「気楽というか、そもそも難しく考える必要はないと気づいただけです。華道もアレンジも、結局は同じ行為じゃないですか。花を生ける、という意味で」
答えながら、三玲は微かに私に向かって頭を下げた。
人が良いなあ、とおもわず呆れる。そもそも逆ギレ風味で訊ねたのは私なのだから。話題を変えたからって恩に感じる必要などないのに。
「精神論と、メソッドの方法論を別にすれば、現代の華道とフラワーデザインは互いに影響しあい、違いは失われつつあります。……とはいえ、依然多少の差は残っていて、着物を着た人が暮らす和室に飾るのであれば、華道に一日の長がある。逆に洋服を着て椅子とテーブルで暮らす場では、アレンジが優位です。花屋として、店に並べる作品はどちらが相応しいか、自明の理ですよね」
三玲は、窓辺に並べた自作を何点か指さした。
「それに最近では、華道かアレンジかの区別を意識せず、ただ純粋に花を生けている方が少数ではあっても存在します。また自分も、そうありたいと心がけています」
「だとしたら、私が三玲の作品を最初に見た時、なんか生け花とアレンジの中間みたい、と感じたのは間違いじゃなかったんだ」
「正しい、というか嬉しい評価ですね、それは」
私の感想に、三玲は微笑んだ。
そうか、あの人がこの店を始めた理由には、三玲の作品との出会いが関係があるのかも。
いつもと変わらない三玲の笑顔に、私はようやく、気分が少し落ちつく。
どうして花屋を、ってずっと謎だったけど。
店を潰さない、なんて決断を衝動的に下した私が不思議がってはいけないのかもしれないが。とにかく、あの人が……父が、この店を始めた、そして遺した理由が、ようやく少し判った気がする。
そしてそれは、今の私には納得がいくものだった。
「あと、家についてはご心配なく。昌伸先生の店を瞳子さんが続ける限り、自分はここで働かせていただくつもりです。妹も居ますしね」
「それは心強いけど……三玲個人の、華道家っていうか、花生け家っていうか、そっちの立場はいいの?」
「自分はすでに華道家ですよ」
念のため私が訊ねると、再び三玲は笑った。今度は先ほどとは一転して、不敵に。
「画家は絵を描いてこそ。音楽家は演奏してこそ。……華道家は生けてこそ、ですよ。流に属しているかどうかは無関係です。教えるのは自由だけど、それはまったく本分じゃない。まして資格商法の真似事なんてする必要はありません」
……うん。いま良くわかった。こいつは家元を継ぐの絶対に無理。確定。
平然と、芸事の家元制を全否定する発言をした三玲に、私は軽い目まいを感じた。その心意気は理解できないでもないが。
「昌伸先生は、その場を自分に与えてくださった。この店に花を並べて初めて、自分は本当の意味で花を生ける人になった。そう実感できたんです」
「で、結果として売れないアレンジを量産していると」
「すみません」
三玲は素直に頭を下げる。その潔さに、私は笑った。
わたしの笑い声に、三玲はすぐ、いまのはたんなる軽口だと察し、表情を和らげる。
店で働き始めて二ヶ月あまり。互いにその程度の理解は芽生えていた。
「でも最近では、店のアレンジがきっかけで、生け込みの仕事も入ったじゃないですか」
「確かにね。新たな場所に美しい花を生けてさらに注文を……綺麗なお姉さんのお店だから、私が念を押さなくても頑張るか」
「誰がやっている店かは関係ないです!」
私がからかうと、心外そうに三玲は拗ねる。その姿はいささか芝居がかっていた。
「でも、多少なりとも人目につく場所で、大きな自分の花を生けられる機会は貴重なので、もちろん頑張りますよ」
「そうそう。誰が見ているかわからないんだし。……あの待合室の花みたいに」
私は頷くと、ふと思いついて、先ほどの話題について口にした。
「そうえば、あの花ってやっぱり、生けたのは相談に来た男性客の家族よね?」
「限りなく近しい人でしょうね、おそらく。たとえ素人でも、家族の作品とそれ以外の区別ならつく、という例は絵画や音楽にも見られるようですから」
「だったら、どうしてさっき、もっとはっきりと指摘しなかったの? あの方の年齢からして母親って可能性はないでしょうから、残る可能性は奥様かお嬢様よね? 男性の作品って雰囲気はまったくなかったから」
私は、率直に疑問を口にした。
どうしてあんな、最後になって回りくどい言い方をしたのかしら。
「乗降客は学生が大半、あとは僅かなお年寄りしか寄りつかない駅よ。あの人が電車通勤を始めてから置かれたんだし、作品からは見抜くのは無理でも、状況的に他にないでしょ。……どうせ『注文の多い花屋』なんて渾名をつけられているんだから、最後はもっと格好よく、ズバッと断言すればよかったのに。画竜点睛を欠く、っていうかその方が店の評判だって」
「評判って、一体どういう店ですか、ウチは。……それに、生けたのはご家族以外の可能性だって残っていますよ」
「えっ? 他に? だって」
「あくまで近しい人、ですから。たとえば……愛人とか」
戸惑う私にむかって、三玲は少し声を潜めて言った。
「他にも昔、長年つきあって別れた女性とか、隠し子とか……人生、いろいろあるのは瞳子さんもよくご存じでしょう?」
「それは、そりゃ……」
三玲の指摘に、私は想像してみた。
表沙汰にできない関係の男性の通勤経路に、人知れず、こっそりと花を生ける女性。
そこにもし、なにがしらのメッセージが込められていたとしたら……
「うわ、なにそれ、やだ……重っ」
「でしょう。だから他人様の事情には、あれ以上深入りしない方が無難なんです」
私が両腕を抱え、おもわずブルッと身を震わせると、三玲は笑った。
「もちろん、あくまで可能性にすぎませんけど……ウチは花屋なんですから、植物に関することでだけ、評判になれば充分かと」
「わかったわよ。余計なことはもう言わないわ。……でも再び似たような頼みごとが持ちこまれたら、今度は即答で引きうけるけどね。だって、まさか両方とも言い値で買ってくれるとは思わなかったもの」
「瞳子さん、片方売れれば充分ってつもりで値付けしたでしょう。なのにそれを二点とも平気で売りつけて……」
三玲は不服そうに呟いたが、必ずしもそれは本心ではないだろう。理由はどうあれ、自分の花が売れたのだ。悪い気はしていないに決まっている。
それから三玲は、これは店長として言っておきますが、と前置きしてから、しばらくの間、私にむかって小言を垂れ続けた。
私は首をすくめてそれを聞き流しながら、脳裏で計算した。
手間を考えれば、大儲け、とまでは言えないけれど、三玲の頑張りで、これまでにない収入があったのは事実だ。それに母の日以降、微々たる額だが、日々の売上げも増え始めている。
数字を頭の中で数えると、胸の中が少しだけ軽くなった。
それは正式に店を引き継ぐと決めて以来、地味に、だが確実に心にのしかかっていた懸案事項だった。
イレギュラーな仕事のおかげで、雀の涙だけど、今月はようやく三玲にお給料を支払えるかも。
そうしたら、三玲は家の事情など関係なく、本当にこの先も働き続けてくれるかもしれない。
……私の分の給料は、まだ当分先になりそうだけど。
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