集う影たち

「グリザルド……聞こえるかいグリザルド……?」

 銀色の月に照らされた林のなかで、低いがよく通る女の声が響いた。

 そこは御霊山の中腹だった。


 竜の死骸から燃え広がった炎も、辺りの木々をひとしきり焼いてそのまま鎮まっていた。

 夜空に上った満月を映した池のほとり。


 黒衣の女が1人、足元に横たわる死体にそう呼びかけていた。

 死骸は、竜の炎に焼かれて黒コゲになった双頭のリザードマン。


 盗賊グリザルドだった。


「双頭のリザードマンは命を3つ持つと聞く。お前がさっきの戦いで3つ目を使い切っちまったマヌケでないのなら、もう動けるはずだ。さあグリザルド、起きてあたしに力を貸すんだ……」

 リザードマンの死体を見下ろし、女は囁いた。

 女が目深にかぶっていたフードが、今は取りはらわれていた。


 水面にさした月光が、露わになった女の素顔を銀色に濡らしていた。


 ルーズに編み込んだブルーアッシュの長い髪。

 面長で鼻筋のとおった整った顔立ち。

 切れ長の目の緑色の瞳が、エメラルドみたいに冷たく輝いてグリザルドを見つめていた。

 薔薇色をしたその唇に、薄っすらとした笑みが浮かんでいる。


 すると、その時だった。


「あー、あつつつつ……! まったくヒデ―目に遭ったぜ」

 女の足元から、そう声が聞こえた。

 何かが、地面から起き上がろうとしていた。

 

 黒コゲに炭化したリザードマンのウロコが、ゴソリと地面に落ちた。

 その下から露わになった、艶やかな緑色の新しいウロコ。

 起き上がったのは、さっきまで死体だったはずのグリザルドだった。


「くっそーあの小娘。トンデモないヤツだ。俺の可愛いスマウグを……ちくしょー……!」

 頭の爆ぜた竜の死骸に目をやって、グリザルドは悔しそうに双頭をふった。


「で、メイローゼ。あんたは何でまだココに?」

「お前をむかえに来た……のはモノのついでさ。連中から下らない後始末を言いつかった!」

 グリザルドは黒衣の女を向いて、不思議そうに首をかしげた。

 黒衣の女……メイローゼと呼ばれた女は、地面を見回して忌々しげに鼻を鳴らした。


 林の中のそこかしこに転がっているのは、夜間迷彩のコンバットアーマーに身を包んだ人間の死体。

 ルシオンの放った閃光に貫かれて命を落とした、兵士たちの死体だった。


 メイローゼが、黒いローブからのぞいた右手の指をパチリと鳴らした。

 すると。


 ボオオオオオオオオ……

 あたりに渦巻いたのは、熱も持たない青黒い炎だった。


 パキン。

 パキン。

 パキン。

 

 炎に包まれた兵士たちの死体は、瞬く間に黒い氷の塊になると、バラバラに砕けてあたりに散らばってゆく。


「魔氷のワザ……なんど見てもゾッとしねえ……」

 メイローゼの術を目の当たりにして、グリザルドは身震いした。


「インゼクトリアの王女ルシオン……!」

 砕け散った死体の様子を見届けると、メイローゼは顔を上げた。

 薔薇色をした形のいい唇の片端が、忌々しげにつり上がっていた。


「我らの計画を深幻想界シンイマジアの王たちに知られてはならぬ。まだその時ではない。魔王ヴィトル・ゼクトとその眷属が帝都を離れている今のうち、王女はこの世界で始末する……!」

 メイローゼは月を見上げてニタリと笑った。


「グリザルド。王女の行方を捜すんだ。ヤツを嗅ぎ当て、ヤツを見張り、動きをあたしに報告しろ。お前の得意な捜索と変装能力の出番だ……!」

「ああ、まかせてくれメイローゼ」

 メイローゼはグリザルドを指さすと、有無を言わせぬ迫力で盗賊にそう言った。

 グリザルドも軽い調子でメイローゼに答える。


「たしかにこのナリじゃあ、こっちの世界で色々さしさわる。だったら……」

 グリザルドはウロコに覆われた自分の体を見まわしながら、そう呟くと……


 シュウウウ……

 リザードマンの体全体が、灰色の霧のようなモノで包まれていく。

 その体が1回り小さく細身になり、2つだった頭が1つに合わさっていく。

 

 そして……。


「うーん。まだ頭がシックリこねーが……まあいいか。どうだいメイローゼ。なかなかイケメンだろう?」

 得意げなグリザルドの声。

 だんだん晴れていく霧の中から現れたのは、人間の男の姿だった。


 飛行服みたいな茶色い革製のジャケット。

 超タイトなパンツ。

 日焼けした肌。

 金色に染められた長髪。

 鼻と耳にはいくつものピアス。


 メイローゼの前に立って自分を指さしているのは、まるで絵に描いたようなチャラチャラした若者の姿だった。


「グリザルド。遊びじゃないんだ。少しは真面目にやれ……」

「なにメイローゼ。俺だってこの世界・・・・は初めてじゃないんだ。俺の仕事は俺の流儀スタイルでやらせてもらうぜ。にしても……」

 呆れた顔のメイローゼにむかって、チャラ男に変装・・したグリザルドはそう答えた。


「あの小娘を見つけたとして、いったいどうやって始末する・・・・つもりだ。あんたの魔氷だって、今のアイツに効くかどうか……」

 グリザルドは少し不安そうに、メイローゼにそう尋ねた。


 さっきの戦いでルシオンが放った凄まじい力をまざまざと思い出して、チャラ男は冷や汗を浮かべる。

 メイローゼはともかく……盗賊である自分の力では、絶対に敵わない。

 

「ふん、安心しろグリザルド。王女を始末するのは、お前でもあたしでもない。連中・・さ。人間の手で王女を始末させる」

「人間に……王女を!?」

 グリザルドは驚きの声を上げた。


「ああ。連中はあたしたちも、王女も快く思っちゃいない。あの王女を連中にけしかけるよう適当な細工・・をすれば、互いに殺し合ってくれるさ。それに……」

 メイローゼは薔薇色の唇をキュッと歪めて、凄まじい笑みを浮かべた。


「人間が王女にとどめを刺せなかったとしても、あたしたちには、こいつら・・・・がいる。いずれにしても王女はオシマイ。後はもうナブリ殺しさ……」

こいつら・・・・……うん!?」

 メイローゼの言葉にグリザルドは息を飲んだ。

 チャラ男はメイローゼの背後で揺らめく影に、目をこらした

 

 いったい何時からそこにいたのか。

 メイローゼの後方。

 月を映した池の水面に立った2つの人影があった。


「ご安心くださいグリザルド殿。あなたが王女に手を煩わせることは、もうありません。インゼクトリアの第3王女……魔王の眷属の血と力、1度は味わってみたいと思っておりました……!」

 水面に立つ1人が、慇懃にお辞儀をしながら、グリザルドにそう言った。


 男は、月のさした山中に、およそ似つかわしくない格好をしていた。

 真っ黒な燕尾服と目深にかぶった山高帽ボーラーハット

 背が高く、骨ばった青白い顔をした男だった。


「我らが神にたてつく者……我らが神敵・・に、わたしのシモベたちは決して容赦しません。たとえその者が、インゼクトリアの王女だったとしても……」

 まだあどけないとさえ言える声で、男の隣に立った影が譫言ウワゴトみたいにそう言った。

 薄桃色のレースのベールで顔半分を覆った、小さな少女の姿だった。


「『リュトムス』と『プリエル』……! あいつらを使う・・つもりか!?」

 水面に立つ2人の正体に気づいたグリザルドの目が、恐怖に見開かれていた。


「どこまでイカレてるんだメイローゼ!? 小娘1人を始末するのに、この世界の人間をいったい何人……いや何百人・・・殺すつもりだ……!」

「くだらないことを気にするな、グリザルド。それにこの世界にいったい人間が何匹いると思ってるんだ。あと少し、あと少しであたしたちの願い・・が叶うんだ……!」

 震える声で自分を問いただすグリザルドの声を気にとめる様子もなく。

 メイローゼはすべらかな頬を薔薇色に染めながら、ウットリとした表情で銀色の月を見上げていた。

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