ソーマとルシオン

 チュンチュン……チュン……


 庭先からスズメの鳴く声が聞こえる。

 窓からさす朝日がまぶしかった。


「んんぁあああああ……もう朝かぁああ……」

 目を覚ましたソーマは、思い切り伸びをした。

 起き上がると、そこはいつものベッドの上ではなくリビングのソファーの上。


 そうか。

 昨日の夜はコゼットと……。

 コゼットの体の温もりが、ソーマの記憶によみがえってきた。


「コゼット……コゼット?」

 ソーマはリビングを見回す。

 ルシオンの侍女、かわいい金髪のメイドの名前を呼ぶ。


 だがソーマの声に応える者はいなかった。

 リビングには誰もいない。

 

 ひょっとして……

 昨日の事は夢だったんじゃないか?

 ルシオンのことも、コゼットのことも……!

 全部、全部、夢だったのか!?


「…………!」

 ソーマは何かに駆り立てられるように、ソファーから跳び上がった。


「おいルシオン!」

 わけのわからない強烈な不安・・を感じて、ソーマはリビングの壁掛け鏡の前に飛び出した。


 鏡に映っているのは、ルシオンの姿だった。


「ほぉおおおお……」

 ソーマは安心して、深く息を吐いた。


 昨日のことは夢じゃなかった。


 ……って、安心?

 なに安心してるんだよ俺!

 

 さっき自分の中から湧きあがった感情に、ソーマは困惑して頭を振った。


 安心なんかしてる場合じゃないのに。

 ソーマの体は、異界の王女ルシオンに吸収されたままだった。

 ソーマが彼女から離れて、人間の生活を取り戻すあては、まったく無いのだ。


 あれ……?

 突然ソーマは、ある事に気づいて首をかしげた。


 何か妙だ。

 静かすぎる。

 そうだ、聞こえない。

 頭の中で、ルシオンの声が!


 体の中に、ルシオンの気配が感じられないのだ。


「ルシオン……? ルシオン!」

 ソーマは再び不安になって、何度もルシオンの名前を呼んだ。

 すると……。


(んーむにゅにゅぅう……ひ……ひざがしらはソコがイイ……)

 頭の中に響いてくる、ルシオンの気怠そうな声。


 ……寝言?

 まだ寝てるのか?

 ……つーかいったい、どんな夢見てんだ……!?


 ルシオンのおかしな寝言に、ソーマは呆れて首を振る。

 彼女が眠っているうちは、ルシオンの体はソーマの自由になるようだった。


 それにしても……。


 ソーマは鏡に映った自身の姿を見つめて、ホーッと息をつく。

 昨日の夜はそれどころではないから、まったく気にもしていなかった。


 改めて見回すルシオンの姿は本当に綺麗だった。


 黒鳥のような衣。

 背中から生えた透明な翅。

 銀色に輝く髪。

 

 まるで雪の様な白い肌。

 ばら色に染まった頬。

 桜色の唇。

 紅玉ルビーみたいな真っ赤な瞳。

 

 ごくごく控え目な言い方をしても。

 姉のリンネを除けばソーマが生まれてこれまで、出会った事もない凄い美少女だった。


「これで態度や言葉使いが、もう少し可愛いければ……」

 ソーマはため息をついて、肩を落とす。

 

 起きている時のルシオンは、とにかく偉そうで何かにつけてソーマのマウントを取ろうとする。

 美貌に見とれている暇もない。


「こんな小さな体で、よく異世界を飛び回ったり竜をやっつけたり……出来るよな……?」

 ソーマは自分の胸に手を当てて、ひとり感嘆の声を上げていた。

 

 その時だった。


 ムニュ……


 ん?


 ソーマは首をかしげた。

 右手に、慣れない柔らかさが伝わって来た。


「わあっ!」

 ソーマは悲鳴を上げて、右手を胸から離した。

 柔らかな感触は、ルシオンから盛り上がった形のいい胸からだった。


 な……な……なにやってるんだ俺!

 ルシオンが寝てる隙に、ルシオンの体に……なんて事してんだこの変態!


 いや待て。

 これは俺の体でもある。

 自分の体を自分で触ったって別に悪くもなんともないのでは……?


 ちょっとだけ……ちょっとだけなら。

 ……って違う違う!


 鏡の前で、綺麗な顏を真っ赤にしながらソーマは身悶えしていた。


 その時だった。


 ピンポーン……

 玄関のチャイムの音がした。

 

「ん……?」

 ソーマは鏡を離れて、玄関先を向いた。


 ソーマがのぞいたドアホンのモニターに、見慣れた顏が映っていた。

 隣家に住む幼馴染の顔。


 嵐堂ユナの顔だった。


「わっ! ユナ!?」

 ソーマは置き時計に目をやった。


 時刻はまだ6時半。

 登校の迎えに来るにしたって、早すぎる時刻だ。


 ソーマのスマホは、昨日の事故で消滅してしまっていた。

 電話のつながらないソーマが気になって、家まで見に来たのだろうか?


「どうする……どうする……!?」

 ルシオンの姿のまま、ソーマは頭を抱える。


 ソーマは行方不明。

 家にいるのは得体の知れない少女。

 そんなことがユナに知られたら、大変な騒ぎになるだろう。


 チャイムを無視してやり過ごすか?

 これもその場しのぎに過ぎない。

 不審に思ったユナは、いずれはユナの家族や学校、そしてソーマの父親に連絡するに違いない。


「ユナ……」

 玄関先に立った幼馴染の顔を見つめて、ソーマは胸がしめつけられる気持ちだった。


 ユナに会いたい。

 いつもみたいに。

 昨日の冒険の事を話したい。

 コウやナナオと経験した不思議な体験を。

 自分の身に起きたとんでもない出来事を。


 けれどもそれはかなわない。


 この体さえ……この体さえ元に戻れば……!

 ソーマは自分の肩をギュッと抱いて、強くそう思った。


 その時だった。

 シュウゥウウウウ……


「ん!?」

 ソーマは異変に気づいて、思わず声を上げた。

 自分の体が、ボンヤリした緑色の光に包まれていた。


 光がだんだん輝きを増していく。

 ソーマはまぶしさに耐え切れず目を閉じた。

 そして、気がつくと……


「これは……!」

 目を開けたソーマは、唖然として自分の両手を見つめる。

 両手はルシオンのものではなかった。

 慌ててソーマは、鏡の前に立った。


「……戻った!?」

 そう呟くソーマの頬を、涙が一筋伝っていた。

 それは安堵の涙だった。


 鏡に映っているのはルシオンの姿ではなかった。

 もとのソーマの体だった。


「戻った……戻った! ユナ! 戻った!」

 ソーマが歓声を上げながら、玄関口へ駆けてゆく。


 ガチャリ。

 ユナの顔を見るために、ソーマは玄関の鍵を開けて外に飛び出した。

 次の瞬間。


「キャアアアアアアアアアアッ!」

 閑静な朝の住宅街に、ユナの悲鳴が響き渡った。


 ソーマは、何も身に着けていなかった。

 生まれたままの姿で、幼馴染の前に飛び出したのだ。


  #


「まったく……『寝ぼけて服を着てないことに気づかなかった』……? どんな変態よ? ヌーディストか!」

「ごめん、ユナ。本当に悪かった」

 リビングで、ユナが顔を真っ赤にしながら怒りが収まらない様子だった。

 自室に駆け戻ってしっかりジャージを着こんで来たソーマが、ユナに向かって平謝り。


 それでも……

 ぺこぺこユナに頭を下げながら、それでもソーマは嬉しかった。


 もうこのまま一生ソーマに戻れなかったら、一生ユナと別れて生きなければいけなかったかも知れない。

 ユナにもコウにもナナオにも……


 また『御崎ソーマ』として出会うことができる!

 その嬉しさに、ソーマの頭の中から一瞬ルシオンの存在が飛んでいた……その時だった。


(ムニャムニャ……ん……。わー! なんだこの体は!?)

 頭の中で、パニくったルシオンの悲鳴が響いた。


「ルシオン……今ごろ起きたのか……!」

 ソーマはユナに気付かれないくらいの小声でそう呟いて苦笑した。


(わたしの寝ている間に……勝手に『転身トゥマイヤ』を行ったな……!?)

「トゥマイヤ……? なんの事かわかんねーよ……」

 ソーマは本気で首をかしげた。


「ところでさユナ……どうしたんだ? こんな朝早くに?」

 ソーマはユナの方に向き直って、素朴な疑問を幼馴染にぶつけた。


「うん……ソーマくん、最近色々だらしないでしょ? ろくなご飯も食べてないし不健康だし。だから……」

 ユナが、ショートレイヤーの黒髪を弾ませながら少しはにかんで、ソーマの顔を見た。


「リンネさんが帰って来るまで、わたしがリンネさんの代わりになることにした。とりあえずは、朝食夕食の支度からね……!」

 ユナはそう言ってニッコリ笑った。

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