コゼットの手

「20年前。深幻想界シンイマジア全体を3日にわたって覆った暗闇。その闇がようやく晴れた時、世界は一変していました」

 綺麗な金髪を揺らしながら、コゼットは話し続ける。


「世界の各地に小さな『綻び』が出来ていたのです。あなたたちの住む世界、人間世界に通じる綻びが……」

(それが、あの時わたしたちが飛び出してきた『接界点ゲート』だ)

 コゼットの言葉にうなずくような、ルシオンの声。


 間違いない。

 『大暗黒エクリプス』だ……!

 ソーマは直感していた。


 20年前、ソーマたちの住むこの世界にもまた異変が起きていた。

 3日間、世界は謎の暗闇に閉ざされていたという。


 そして4日目、闇が晴れた時。

 人間はこれまで想像もしなかった能力を手に入れていた。

 それが「魔法」だ。


「こっちの世界と、おまえらの世界がつながった……それで俺たちの世界にも変化が起きた……そういうことか?」

「はいソーマ様。人間世界の事情には明るくないのですが、多分そういう事でしょう」

 ソーマの質問にコゼットはうなずく。

 

深幻想界シンイマジアを満たしていた魔素エメリオが、わずかな量ですがこちらの世界にも漏れ出したのです。何かしらの変化が起きても不思議ではありません」

魔素エメリオ?」

深幻想界シンイマジアを形作る、根源的な要素エレメントのことだ。わたしたちは魔素エメリオなしでは生きていけない……)

 コゼットの言葉に首をかしげるソーマ。

 ルシオンの声が、分かるような分からないような答え。


 ソーマは目の前がクラクラしてきた。

 20年前に世界を一変させた事件に、こんな仕掛けがあったなんて。

 人間が魔法を使えるようになったのも、その漏れ出した魔素エメリオというやつが原因なのだろうか?


(それにしても不思議だ……)

「何がだ、ルシオン?」

(お前の体だ。魔素エメリオの薄いこの世界で、お前の体はまるで輝く魔素エメリオの塊だった……)

「俺の……体が!?」

 頭の中でしきりに不思議がるルシオン。

 ソーマは驚きの声を上げる。


 ルシオンは、ソーマの体をそんなふう・・・・・に感じていたというのだ。

 いったい、なぜだ。

 もしかしたら、ソーマが魔法を使えない事……魔法拒絶者マジカリジェクトであることと関係あるのだろうか。


(わたしに吸収されたはずなのに、いつまでたっても消滅しない。しつこくシツコーク、わたしの中に居すわり続ける……なんでだ?)

「……人を便秘のウンコみたいに言うな!」

 ソーマはイラっときた。


「さあ……ソーマ様は、人間の中でも特殊な体質なのかもしれませんわ?」

 コゼットも少し戸惑ったように、ソーマを見て微笑んだ。


「うーん……。まあ、おまえらの世界がこっちに繋がってるのは分かったけど……いったいコッチに何しに来たんだよ、ルシオン?」

(お前も見ただろう! あの男だ。あの忌々しい盗人グリザルド! わたしはあいつを追っていたのだ。それが急に……)

 ソーマの質問に、ルシオンは急に声を張り上げた。

 その声は怒りで震えていた。


「人間世界への突入は、ルシオン様にも、わたくしにも予想できない出来事でした」

 ルシオンの言葉を補うように、コゼットが話し始めた。


 それはルシオンとコゼットの故郷、インゼクトリアで起こった事件が発端だった。


  #


 今から7日前。

 深幻想界シンイマジアはインゼクトリアの帝都の中心。

 この国を統べる魔王、ヴィトル・ゼクトが築いた壮麗な城で事件は起きた。


 何者かが城の宝物殿に忍び込み、帝国の至宝『ルーナマリカの剣』盗み出したのだ。

 帝都の警備兵たちの血眼の捜索の末、ようやく犯人の姿が浮かび上がる。


 大盗賊グリザルド。

 深幻想界シンイマジアをまたにかけて暗躍する凄腕の盗人。

 剣を盗み出したのはその男、双頭のリザードマンだった。

 

 そしてインゼクトリアの兵士たちの懸命の追跡の末、グリザルドは帝都を囲う森の一角に追い詰められた。

 兵士たちに囲まれた盗賊の命運は尽きたかに思われた。


 だが盗賊には切り札があった。

 森に隠していた自分の駿馬、真っ赤な火炎飛竜サラマンダーだった。

 竜は兵士たちを蹴散らし、その炎で焼いた。

 そしてグリザルドを背に乗せた竜は、そのまま辺境の森へと飛び去ってしまったのだ。


  #


(だから、わたしが出陣でるしかなかったのだ。インゼクトリア帝国中でも、飛竜の速さに追い着けるのは、このわたしだけ。インゼクトリア最強の一族であるこのルシオン・ゼクトだけだったのだ!)

 コゼットの話に何かが昂ぶったのだろうか。

 ソーマの中で、ルシオンの声が大きい。


「王女が1人で盗賊を追って? ずいぶん無茶するんだな?」

「はい、わたくしも何度もお止めしたのですが……」

 ソーマは呆れた声を上げる。

 向こうの世界の常識は、人間世界のモノとずいぶん違うらしい。

 コゼットも少し困り顔で首をかしげた。


「ちょうどその時期、魔王ヴィトル様を始めとする他の王族方は、帝都を出払っていたのです。インゼクトリアと緊張関係にあった隣国ウルヴェルクとの和平条約の締結のため、一族を上げて国境の砦まで……」

「それで……ルシオン1人で!」

 ソーマは驚きの声を上げる。

 こっちの世界と同様、向こうの世界も色々大変らしい。


「でも一族を上げて? じゃあなんでルシオンだけ残ってたんだ?」

「あ、えーと、それはですね……」

 ソーマの素朴な疑問に、コゼットが困ったように口元をムニュムニュさせた。

 その時だった。


(わたしは帝都の守り・・・・・を父上から任されたのだ!!! 国の留守を、みなの安全を父上に託された。そうだな、コゼット?)

 ルシオンがめちゃくちゃ大きな声を張り上げた。

 有無をいわさぬ勢いで、コゼットにそう迫る。


「え、あ、はい。そうです。ルシオン様は魔王様から国の留守を任されたのです!」

 コゼットもルシオンに合わせるように、小さな声でそう答えた。


「うーん、そうだったのか……」

 ソーマは何かが納得いかなかった。

 だがこの話をこれ以上詮索すると、なんだか面倒くさそうだ。


(グリザルドは最初からこの世界に逃げ出すつもりだったのだ。どうやって調べたのか知らないが、『接界点ゲート』の正確な位置を知っていた。それでわたしも、あいつにつられて……マヌケだった……あの、わけのわからないヤツらの思うツボだったのだ……)

「…………!?」

 ソーマは息を詰まらせた。

 ルシオンの声が、やけに弱々しかった。

 さっきまであれだけ昂ぶっていたのに?

 

 何か、訊いてはマズイことを訊いてしまったのだろうか?


(ソーマ。体を返せ)

「……え? でも」

(いいから返せ。安心しろ、今日は何処にも行かない。なんだか疲れた……)

「……わ、わかった。約束だぞ?」

 ソーマに語りかけるルシオンの声が、なんだか切実だった。

 ソーマはうなずいて、自分の体から自分の意識を遠ざけた・・・・・・・


 少女の体の制御が、ソーマからルシオンに戻っていくのを感じる。

 ルシオンは、コゼットの方を向いた。


「コゼット。今日はもう寝る。……ンッ!」

 なんだ? ソーマは不思議だった。

 ルシオンが、コゼットに向けてしきりに妙なしぐさをしていた。


 さっきまで座っていたソファーを見ながら、顎をクイクイ引いている。


「はいはい。わかりましたルシオン様」

 コゼットは笑顔でソファーに腰かけた。


(なに……やってるんだ……わあ!)

 ルシオンが次にしたことに、ソーマは思わず悲鳴を上げた。

 おもむろにソファーに横になって、コゼットの膝枕に自分の頭をおろしたのだ。

 

 コゼットの体の柔らかい感触と暖かさが、ルシオンの頬からソーマにも伝わって来た。


(な、なにしてるんだよルシオン!?) 

「ビックリさせてすみませんソーマ様。ルシオン様は、私の膝枕でないと落ち着いて眠れないのです……」

(……子供かよ!?)

 コゼットの言葉に、唖然としてそうツっこむソーマ。


「わたしは……だれよりも頑張ってる。帝国のため。父上のため。威張りたがりの兄上、意地悪な姉上たちよりもずっと頑張ってる。誰よりも。誰よりもだ……!」

 だが……ルシオンの方は、もうソーマのことなど心にないようだった。

 コゼットの膝に顔をうずめて、小さくブツブツ、何かを繰り返していた。


「はいはい。わかっています。ルシオン様は御兄姉ごきょうだいの、どなた様よりも頑張っておいでです。そのことは、このコゼットが1番よく知っていますわ……」

「本当か?」

「本当ですとも。ですからさあ、安心してお休みください」

「ウン……」

 ルシオンのくり言に、コゼットは優しく声をかけてゆく。

 コゼットの柔らかな手が、ルシオンの銀色の髪をサラサラ撫でた。


 コゼットに頭を撫でられながら、ソーマも妙に安心した気持ちになって来た。

 コゼット……柔らかくて……いい匂い……


 ……母さんと一緒の時って、こんな感じだったのかな。

 眠りの沼に落ちてゆくひと時の間、ソーマはボンヤリそんなことを考えていた。

 ソーマの母親はソーマが2歳の時に亡くなった。

 だからソーマには、母親の記憶がない。

 でも今……なにかを思い出した……なんだかそんな気がしたのだ。


 そして……。


「…………クゥ……」

 ルシオンは眠りについたようだった。

 ソーマの心も眠りの沼に沈んでいく。

 

 ソファーに横たわってスヤスヤ寝息をたてている少女の頭を、コゼットは優しくなで続けた。

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