世界のホコロビ

「まずい……どうしよう……!」

 自分の家の玄関口の前で、ソーマは途方に暮れていた。

 

 夜更けの住宅街。

 ルシオンの体はとにかく目立つ。

 闇にまぎれてあたりを見回しながら。

 通行人や近所の人目がないことを確認しながら、やっと自分の家に辿りついたソーマ。


 だが大きな問題にソーマは気づいた。

 家に、入れないのだ。


 ソーマのカバンや学生証は、御霊山みたまやまへの行きがてらに家の中に放り込んで来たから、無事なはずだ。


 だがソーマの財布は……中に入っていたカード類や家の鍵はそうではなかった。

 ブレザーの胸ポケットにつっこんだままだったスマホも。


 ルシオンと合体・・した時に、光に包まれて消滅してしまったのだ。

 どこに消えたのか分からないが、戻って来る当てはなさそうだ。


(ほー。どうしたのだ? さっきは自信タップリで色々言ってきたのに、自分の家にも入れないのか?)

「う……うるさいルシオン。すこし黙ってろ!」

 ソーマの中のルシオンが、意地悪な口調でそう聞いてくる。

 ソーマはイラッときて頭を振った。


 ヘリコプターの件でさっきソーマに言い込められたのが、よほど悔しかったらしい。


「どうしよう。このまま夜が明けたら……」

 ソーマはあたりを見回しながらソワソワする。

 明るくなって人通りが増え始めたら、もう身を隠すこともできない。


(しょーがないヤツだなー。コゼット、どうにかできるか?)

「はいルシオン様。やってみます!」

 ルシオンが恩着せがましくそう言うと、あたりをヒラヒラ舞っていた小さな青いチョウが玄関のドアノブにとまった。


「こいつは……!」

 チョウの姿を間近に見て、ソーマはあらためて息を飲む。

 ルシオンと交信する青いチョウ。

 名前はたしか……コゼット。

 眠っているコウとナナオを、不思議な揺らぎで炎から守ってくれたのもこいつだった。


「『お城』でも鍵の失せものはタマにあること。ドレドレ……?」

 コゼットが小さな翅をパタパタさせると、キラキラ瞬く青い鱗粉が玄関の鍵穴に吸い込まれていく。


「うん。この構造なら余裕です。鍵の内側から魔素エメリオに干渉すれば……」

 ガチャリ。

 コゼットの言葉が終るか終わらないかの間に、玄関の鍵が開いた。


「すげえっ!」

 思わず声を上げるソーマ。

 

 コウとナナオの時といい。

 今回の事といい。

 本当に有能なチョウだ。


(ほれ。開いたぞ。「ありがとうございます」……は?)

「な……なんでお前が威張ってんだよ!」

 得意満面な感じのルシオンの声に、ソーマはツっこんだ。


 1人の少女と1頭の蝶が、ソーマの家に上がってゆく。


  #


「教えろ! あの怪物たちは何だ。どうして俺たちが殺されかけなきゃいけないんだ。それにそもそも……お前たちは何者なんだ!?」

 明かりのついた家のリビング。

 少女の体をしたソーマは、イライラあたりを歩き回りながら自分の中のルシオンにそう言った。


 ソーマの父親のタイガは研究の仕事が忙しいらしく、めったに家に帰ってこない。

 姉のリンネは体調を崩して、今も市内の病院にいる。

 いま家にいるのは、1人の少女だけだった。


 リビングの鏡に映し出されたソーマの姿。

 LED照明に照らし出されたソーマの姿。

 これは家に帰れば醒める夢じゃないかと思いたかった。

 だが、もう絶対に疑いようがない。


 鏡に映っているのは銀色の髪をなびかせた美しい少女の姿。

 ルシオン・ゼクトの姿だった。


(だから、さっきから言っているだろう。わたしはルシオン・ゼクト。この者はコゼット。ともに深幻想界シンイマジアはインゼクトリア帝国が故郷。我らが至宝ルーナマリカの剣を……)

 ソーマの中のルシオンも、イライラした様子で何かをまくしたてているが、ソーマにはさっぱり意味が分からない。


「うーん……」

 ソーマとルシオンのまわりを、何か考えこむようにヒラヒラ飛び回っていたコゼットだったが、突然。


「そこから先は、わたくしがお話した方がいいみたいですね?」

 そう言うと、ポンッ!

 小さな蝶が、いきなりハジけた。


 青と紫色のキラキラした瞬きがリビングに満ちると、何秒かすると一カ所に集まって、小さな人の影になった。

 影が立ちあがって、ソーマとルシオンの方を向いた。


「お……お前は……!?」

 ソーマはリビングにいきなり現れた人影に、驚きの声を上げた。


 身にまとっているのは黒地のワンピース。

 フワっとした純白のエプロン。

 レース地の白いカチューシャ。


 立っているのは、ソーマと同じ年くらいのメイド服の少女。

 輝くような金髪をクルクル巻きにした可愛らしい女の子だった。


「改めまして。ルシオン様の中のかた……」

 少女がフワリとお辞儀をして、ソーマにニッコリ微笑んだ。


「わたくしは『コゼット・パピオ』。インゼクトリア第3王女、ルシオン・ゼクト様にお仕えする侍女にございます……」

「え……あ……はい。御崎ソーマです。よろしくお願いします!」

 チョウのコゼット……ってこんな姿だったのか!?


 優雅そのものとしか表現しようのないコゼットのふるまいと美貌。

 ソーマは圧倒されて、慌てて何度もお辞儀をした。


(こらーコゼット! そんなヤツに、お辞儀なんかしなくてイイ!)

「まあまあルシオンさま。このままでは、いつまでたっても先に進みません……」

 ソーマの中から怒りの声を上げるルシオンに、コゼットは穏やかにそう答えた。


「ソーマ様の疑問には、1つづつお答えしていきましょう。まずは、わたくしたちが何者なのか、何処から来たのか……」

 ソーマとルシオンにソファーに座るようにうながしながら、コゼットは話し始めた。


「わたしくしたちの故郷は、ソーマ様の生きているこの世界……人間の世界とは別の世界にあるのです。それが『深幻想界シンイマジア』です」

「シンイマジア!」

 コゼットの説明にソーマは息を飲む。

 こいつらはやっぱり……「異世界」からやって来たのか。


「そう。本来ならば決して人間世界と交わることのない別世界。そして『深幻想界シンイマジア』を分け隔つ数多の国々の中でも、最も強く、雄々しく、偉大なる帝国。それがわたくしたちの生まれた国『インゼクトリア』なのです。ここにいらっしゃるルシオン様は、そのインゼクトリアを統べる偉大なる魔王。ヴィトル・ゼクト様の第3王女であらせられるのです!」

(その通りだ! すごいだろ。少しは見直したか!)

 コゼットの説明に相打ちを入れるような、ルシオンの得意げな声。

 ソーマはウザくて仕方がない。


 それでも、ルシオンが見せた凄まじい強さや、コゼットの不思議な能力には一応納得がいく。

 でも……待てよ?


「ちょっと待ってくれコゼット。人間世界とは決して交わらない……って言ってたよな?」

「はい、ソーマ様」

 ソーマの質問にコゼットはうなずく。


「じゃあどうして今、お前たちはココに居るんだ。俺たちには何か……お前たちがいきなり空から出てきたようにしか……?」

 御霊山での光景を思い出してソーマは尋ねる。


 あの時、コウとナナオと一緒に見た風景。

 空に現れた虹色の揺らぎから、いきなり飛び出してきた竜とルシオンの姿……。

 

「本来ならばそうなのです。でも今は違います。人間世界と深幻想界シンイマジア。2つの世界をつなぐ小さなぼころびが、あちこちに生じ始めているのです。それが、わたくしとルシオン様がこの世界にやってきた通り道。『接界点ゲート』なのです……」

「『接界点ゲート』……!?」

 ソーマは声を上げる。虹色の揺らぎ……アレがやっぱり全ての発端だった。

 コゼットの美しい顔に、不安の影がさしていた。


「そう。全てが変わってしまった。固く分かたれていた世界に綻びが生じたのは、20年前のアレがきっかけでした……」

「20年前……!?」

 コゼットの言葉に、ソーマは再び息を飲む。


 20年前……『大暗黒エクリプス』……!


 ソーマの胸に、ある言葉・・が浮かび上がって来た。

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