王女ルシオン

「さっきおまえが自分で言っただろう? ササゲルって……」

 戸惑うソーマに、少女があっさりした口調でそう言った。

 

 捧げる……ソーマはどうにか思い出す。

 確かに言った……かもしれない。


 アサルトライフルに撃たれて死にそうだったあの時。

 ボンヤリした頭で、そう答えたような……?


「それで『契約』が発動したのだ。お前の体と魔素エメリオはこのわたしに吸収された。まだ残留思念が残ってるみたいだが、それもすぐに消えるだろう。ほれ、早く消えろ」

 少女が、まるで飛び回るハエを追い払うみたいに右手をパタパタ振りながらソーマにそう呼びかける。

 

 な……! 聞いてないぞそんな話。騙したな!


「人聞きの悪いことを言うな。説明の手間を省いただけだ! それに……」

 ソーマの言葉をまったく気にする様子もない。

 少女は唇の片端をつり上げて意地悪っぽい笑みをうかべた。


「おまえ。ほっといてもあの場で死んでいただろう? 少しでもわたしの役に立ってから消滅できるんだから、感謝して消えろ。ほれほれ」

 あの場で……役に立つ……そうだ!

 ソーマはあの場で交わした少女との約束を思い出した。


 コウとナナオ。

 2人の命を助ける代わりにソーマの体を捧げる。

 そう約束したはずだ。


 コウとナナオは!

 あいつらは無事か!?


「ああ。あそこに転がってた子供たちか……」

 ソーマの問いかけに、少女は冷淡な声。


「大丈夫だ……多分無事だ」

 多分て……。


「もっともアレだ。さっきの火炎飛竜サラマンダーの爆発で、一緒に燃えてしまったかもしれないが……」

 まわりの小枝や落ち葉がパチパチ燃えているのを見回して、少女は無責任な感じでそう言った。

 

 少女に破壊された竜から燃え上がった炎で、あたりは焼き尽くされていた。


 ……ふざけんな! 多分とかいい加減なこと言いやがって。

 あいつらのところに行って、ちゃんと確認しろ!


 ソーマはキレそうだった。

 なんていい加減なヤツなんだ!

 

「ヤダ。そういうアフターサービスとかは保証してないから。さ、早くアイツを探さなければ。我が帝国の至宝『ルーナマリカ』の剣を持ち去った盗人を……!」

 少女はソーマの言葉を無視して、夜空を見上げた。


 所長と呼ばれていた男を乗せたヘリコプターは、すでに飛び去ってしまって姿が見えない。

 少女は、その行先を追いかけるつもりみたいだった。


 なんだその態度。

 フザケルナ……!

 

 ソーマの心にドス黒い何かがわいてきた。

 

 少女の背中から生えた透明な翅がしなった。

 少女がヘリを追って夜空に飛翔しようとした、その時だった。


「わっ!」

 小さく悲鳴を上げて、少女は地面に尻もちをついた。


 そっちじゃない。

 こっちだ!


 少女が地面から起き上がった。

 少女の体が、重たい足取りで燃える雑木林の中を進んで行く。


  #

 

 ソーマは意識を集中していた。

 少女の体の感覚は、確かにソーマにも伝わっている。

 少女の心とソーマの心が、1つの体を共有している。

 ソーマはそう感じていた。


 ならば……!


 ソーマは少女の足に意識を移す。


 歩け。歩け。……走れ!

 コウとナナオのところまで!


(な、なにをしている!?)

 呆然とした少女の言葉が、ソーマの頭の中・・・に響いた。

 ソーマの思うがまま、少女の足はコウとナナオの倒れた場所まで走り出していた。


 いま、少女の体の主導権・・・はソーマが握っていた。


(ざ、残留思念の分際でわたしの体を乗っ取っただと! ふざけるな! 元に戻せ!)

「少し静かにしてろよ……」

 頭の中でワーワーわめきちらす少女の声に、ソーマはそう答える。

 自分でしゃべった声まで、鈴を振るような澄んだ少女の声なのが、なんか妙な感じだった。


(ぐぎゃぎゃー! この無礼者! 戻せ戻せ戻せ! このわたしを誰だと思っている。深幻想界シンイマジアはインゼクトリア帝国の第3王女、ル……)

「だまれ!」

 頭の中で騒ぎ続ける少女を、ソーマは思わず怒鳴りつけた。


(ヒッ……!)

 少女の声がすくんだ。

 体の中で、少女の存在が急に小さく・・・なった。

 ソーマには、なぜかわかった。

 少女は怯えていた。


(な、なんだよ。怒鳴ることないだろう? いきなり怒るなんて……ひどい……)

 少女が、泣きベソをかいたような声で、ソーマにそう話しかけてきた。

 さっきより、声が小さい。


「うっ……! お前が静かにしないから……」

 銀色の髪の毛をかき上げながら、ソーマは言葉を詰まらせる。

 少し乱暴だったかもしれない。


 あの時、命を失おうとしていたソーマの存在を、少女は救ってくれた。

 その事実は変わらないのだ。


「悪かったよ。その……お前、名前は……」

(ルシオン。ルシオン・ゼクトだ)

 おずおずと謝るソーマ。

 名前を聞くソーマに、少女の声がぶっきらぼうにそう答えた。


「そうかルシオン。俺は御崎みさきソーマ。よろしくな……」

 ソーマも、自分の中の少女にそう名乗った。


  #


「コウ! ナナオ! 無事だった!」

 地面に転がって眠っているコウとナナオを見つけて、ソーマは2人に駆け寄った。

 

 林に延焼した火の手は、コウとナナオのすぐそばまで迫っていた。

 だが不思議な事が起きていた。

 

 コウとナナオの周囲でユラユラしている陽炎のような揺らぎが、2人の倒れた場所を火の手からさえぎっていた。

 2人は無事だった。

 眠っているだけ。


(コゼット……こんな所にいたのか! わたしが交わしたヒトとの約束を守って……!?)

 ソーマの中で少女が……ルシオンが驚きの声を上げていた。


「はい。ルシオン様のことだから、きっと忘れてしまっているだろうと思って。ココでお待ちしていました」

(うう……何から何まですまない……!)

 ソーマの耳元をハサハサ飛び回りながら、小さな青いチョウがそう囁きかけてきた。

 ルシオンが、申し訳なさそうにチョウにそう呼びかけた。


「コウ! ナナオ! 起きろ、起きろって!」

「うーん……」

「あれ? 僕たちなにして……」

 ソーマはコウとナナオの肩を、交互に揺さぶって声をかけた。

 2人が頭を振りながら、ようやく地面から起き上がった。


「コウ! ナナオ! よかった!」

 ソーマは涙目になりながら、コウとナナオに体を寄せて2人の肩を抱いた。

 あの時、あと少し行動するのが遅かったら、2人とも殺されていたかもしれない。

 無事でいてくれて、本当によかった!


 だが……


「うわー! なんだお前!?」

「なに、いきなり!?」

 コウとナナオが地面から跳び上がってソーマを指さした。


 しまった……!

 ソーマは思い出す。

 友達の無事に我を忘れて、自分がルシオンの姿だということを忘れていた。


「なんだよこの火は! なんだよこの死体! おまえが、おまえがやったのか!?」

「ソーマくんがいない! ソーマくんを何処へやったの!?」

 コウが周りを見回しながら、ソーマを問い詰める。

 ナナオもまたソーマの姿が見えないことに気づいて、ソーマをにらんだ。

 

「ち、ちがう。これは俺……わたしじゃない!」

 ソーマは頭をブンブン振りながら、慌ててコウにそう答える。

 この状況、いったいどうやって説明したらいいのだろう?


 無理だ。

 どう考えても納得してもらえない。

 仕方ない。テキトーにごまかそう。


「俺は……じゃないやソーマくんは、おまあなたたちの助けを呼びに行きました! わたしはここで見張っていたけど、もうここまで炎が広がって来た! さあ早く逃げましょう!」

 そう言って林の外の方を指さしながら、ソーマは走り出す。


「おい、待て!」

「待って!」

 ソーマを追いかけて、コウとナナオも走り出した。

 自分でも呆れるくらい適当な説明。

 でも今はこれでいい。


 コウとナナオを火の手から遠ざけて、家まで帰さないと……。


  #


「あれ、いなくなってる?」

「あいつ……どこに消えたんだ……!」

 雑木林を抜けたナナオとコウが、あたりを見回して唖然としていた。

 途中でソーマの姿を見失ったのだ。


「ふー。なんとか巻いたか」

 林のブナの木の1本に身軽によじ登って枝の上に腰かけたソーマが、ホッと一息ついていた。

 少女の体は、運動能力も凄いみたいだった。


「しょーがない。帰るか」

「ソーマくんと通じないよ? どうする、待ってる?」

「あとでRINEすればいいだろ。とりあえず山下りよう……」

 コウとナナオがそう話をしながら、自然公園を離れていく。


「それにしても……」

 小さくなっていく2人の背中を眺めながら、ソーマはふと自分の両手に目をおろす。


 白い魚みたいな指先。

 真珠みたいに綺麗な爪。

 これまでの自分の手とは似ても似つかない少女の手。

 ルシオンの手だった。


 ルシオンはソーマの魂はすぐに消えるなんて言っていたが、全くそんな様子はない。

 ソーマはルシオンの体の中で、ソーマのままだった。


「ハー……」

 ソーマはため息をつく。


 こんな体で、これからいったい、どうすればいいのだろう?

 まるでわからない。


(おい。もう約束は済んだだろ? はやく体を返せ!)

 ソーマの頭に響くルシオンの声。


「いや、今日はだめだ」

 ソーマはあっさり即答する。


(な……約束が違うぞ! わたしにはやることがあるのだ! はやく返せ~!)

「おまえさっきのヘリの行先、わかってるのか? ヘリコプターなんて、この日本に1000機以上あるんだぜ? 探す当てはあるのか? それともあの剣に発信機がついてるとか?」

(………………!?)

 慌てたルシオンが、再び声を荒げる。

 だがソーマの質問に、いきなり声を詰まらせてションボリ黙りこくった。


「今日はもう遅い。家に帰るぞ。色々聞きたいことがある……」

 夜はすっかり更けていた。


 自然公園のふもとに広がる、宝石をまき散らしたような街の灯を眺めながら。

 ソーマはルシオンにそう言った。

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