拾話 暁

「しかし、」

やりすぎた。

署長が頭をポリポリかく。

先程の戦闘で風呂場のあちこちは崩れて落ちており、別棟そのものが崩れることはないだろうが、最早復旧は不可能なほどまでに破壊されてしまっていた。

「にしても、神を殺せるほど強いバケモノ三匹を相手に、よく勝てましたね。」

「頭の中は餌でいっぱいだったからな」

袴を着終わったので外套を署長に返す。

彼はそれを受け取ると、爽やかに羽織った。

「ていうかお前、僕が言うのもなんだが怖くなかったのか?」

「提案者がほんと、何を今更ですよ。」

正直怖くなんてなかった。あの空気は夕方での出来事ですっかり慣れてしまっていたし、襲われるのはわかりきった上で作戦を遂行していたわけだし、何より署長が守ってくれるって分かっていたから、知っていたから、


だから私は、身を委ねることが出来たのだ。


おもむろに彼の右手を手に取る。

私のそれより一回り以上大きな手を、両手でぎゅっと握りこむ。

「怖かったに決まってるじゃないですか。」

でも、敢えて嘘をついた。怖くはなかったけど、たまには甘えたっていいじゃないか。だって私、頑張ったんだから。

後ろめたさが勝っているのか、署長は何も言うことも動くことも無く、ただじっと私の行動を見守っている。

暖かい。生きている。

手拭いで拭われているものの、まだ赤く染められたままの右手を、汚れるのも厭わずに両手で強く強く握り締めて、その温もりを体に刻み付ける。

この出来事が、夢となってしまわないように。

暫く握り締めた後、解放する。

「その手、帰ったら洗いましょうね。」

「当たり前だ。」

その顔に浮かんでいる笑みは、いつもの皮肉気なそれではなく、久しぶりの不器用な柔らかい微笑みだった。


部屋を出る直前、振り返って風呂場を一瞥する。

三人の哀れな人達が死んだ場所。

バケモノの住処だった場所。

そして──月明かりに照らされた場所を見る。

そこは部屋の中心で、三つの大きな瓦礫がまるで墓標のように突き刺っていた。

その雰囲気は、部屋の主が消えたためか今までのどす黒いものとは違う、とても綺麗なものへの変化していた。

(ていうか、なんだかんだ助手扱いしてくれてるんですね)

先程の署長の怒声を思い出す。

思い返せば口でこそ雇ってないだのあっち行けだの言われるものの、なんだかんだ毎回頼られて、一緒に事件を解決している気がする。

(素直じゃない人ですねぇ)

夜も更けて、いよいよ朝が近づいている。

明日も早い。さっさと戻って寝るとしよう。

何故か無事だった手燭を抱え、部屋を出ようとする。

その時。

「なぁご」

何かの鳴き声がした。

はっと振り返ると、部屋の中心──瓦礫の上に、

猫がいた。

(どこにいたんだろう)

どこぞで寝ていたのだろうか、それともこの辺が住処なのか、その猫は悠然とこの場に佇んでいる。

……猫?

「ん?」

なにか脳裏にひっかかるような。

刺激しないようゆっくり近付いて猫を持ち上げる。

その猫は世にも珍しい三毛の雄で、付けてある首輪には、丸々とした平仮名で「うめお」と書いてあった。

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