捌話 家妖怪

──数刻程前に遡る

署長の作戦──風呂に入るふりをして、囮になること──を受諾して、意気揚々としていた頃の話である。

「さて、幽霊の正体だが。」

固唾を飲む。

「結論から言うと、三人の書生達だ。」

「え?!あの人達ですか?!」

あの三人の顔が脳裏に浮かぶ。三人とも優し気な顔で、とてもそんな変な事をする様な人達に思えない。

「三人の書生達というと語弊があるな。言い直す。書生達の皮を被った家妖怪…より厳密には、風呂場を住処にしていた存在だ。」

…どういうことです?

「もし妖怪だったらすぐ分かりますよね?」

別に妖怪じゃなくても、それが人ならざる存在であったなら、如何なる存在でもすぐ気づいただろう。

私はこの三日間、書生達、そして隅田さんご夫婦の様子は観察していた。

初日と変わらず、彼らの気配には何らおかしい点はなく、普通の人間そのもの──邪悪な気配も神々しい気配もない中途半端な気配──だった。普遍的な家妖怪だろうと、気配は人間のそれと大きく違う。見間違えるなんて、断じてありえないほどに。

それが妖怪だったなんて、どうして信じられようか。

それに、家妖怪って、人間食べないし。

「それもおいおい話す。まずは途中式からだ。」

声にも出していない疑問を汲み取ったらしい署長は、溜息をつくと指を一本ピンと立てた。

「まず一つ目、この家には元々家妖怪がいた。変わったやつはいない、ただ普通の奴らだ。その中に妖怪が三匹居た。そいつらは別棟の風呂場を住処にしていた。」

ここまでは証拠も何も無い、妄想に過ぎないところだがな、と前置きする。

無理もない。これを証明するのは難しいと思う。

「半年前、書生達が隅田邸に下宿しだしてすぐの頃、誰かは知らんが、書生の内誰かが自殺した。恐らく首を自ら掻き切った。場所は別棟の風呂場でだ。」

え、と思わず声が出る。

あまりにも突拍子のない展開に頭が追いつかない。

「そんなの証拠はあるんですか?!」

「風呂場の天井や床に赤黒いカビみたいなのがあっただろう。あれは血だ。しかもそれなりに期間がたったやつ。」

ぞわっとした。

「なんで血だと……?」

「おいおい話す。」

なんてことだ。てっきりカビだと思っていたあれが、血だったとは。背筋がひんやりする。

「そして、住処を汚された奴らは綺麗にしようとその血を舐めた。」

あ、と声が出る。思い出した。

妖怪にとって人の血肉は毒だと、かつて署長から教わったことがある。血のたった一滴、そのほんの一口で喰った者を狂わせ、暴走させるほどの中毒性を持ち、その在り方さえも大きく変えかねてしまう。一度喰らってしまえばその者は妖怪の理を大きく踏み外し、ただひたすらに人の血肉を求め続け暴走する、ただの凶暴な、理性の欠けらも無い化物になり果ててしまう。その在り方はさながら、人間にとっての阿片のようなものだと。

かつて人間の血肉を喰らった妖怪は、尽く破滅の運命を辿ったという。その代表例が、鬼だという。それを好物とした彼らは、鬼を危険視した人間によって討伐され続け次第に数を減し、今では話に聞くこともほとんど無くなってしまった。血肉はその全てを侵し尽くし、破壊し、狂わせる。鬼は、哀れな被害者だったのだと署長は語っていた。

一歩間違えば、血肉が蔓延してしまえば、妖怪は皆、鬼と同じ末路を辿ってしまう。

それを防ぐため、妖怪としての理を守るために、人の血肉を口にすることは、禁忌となった。

「匂いで……分かったんですね。堕落させるような、甘い匂いで。」

あれが血だという根拠は、その特有の匂いだったのだろう。署長は首を縦に振った。

「あかなめに限らず家妖怪は人とその一生を共にする妖怪だからな。閉鎖空間内のみでの禁忌なんて、知らなかったとしてもおかしくはない。」

目を逸らして窓の外を見やる。

「その血はたちまち奴らの体を蝕んだ。食わずにはいられなかっただろうな。」

そして書生の死体を貪った。

「これで簡単に止められれば禁忌にはならない。案の定我慢ができなかった奴らはその書生の皮を被り、残りの書生二人を殺して食べた。隅田が最初に聞いた大きな音は恐らく、殺した書生を引きずって運ぶ音だろうよ。」

「…隅田さん、音がした時に覗かなくて正解でしたね。」

「間違いなく殺られて腹の中、だろうな。」

うんうんと頷いている。

「でも隅田を喰らう訳にはいかなかった。隅田を殺してしまえば、周囲に怪しまれて駆除される可能性があるからな。しかし、書生が次の日以降現れなくても怪しまれてしまう。その辺の理性は残っていたんだろうな。奴らは怪しまれないために、次に訪れた人を喰らうために、まだ事件が発覚しにくい書生達に化けることにした。」

「でも、気配は人間そのものでしたよ?」

書生はじっと睨んでくる。

待てということだろうか。

「奴らは、次に人が訪れるまでの繋として、ここに居た家妖怪を夜な夜な皆食べた。隅田が最初以降聞いた、日に日に変動する音や血痕とはこれだろう。家妖怪の大きさはそれぞれ違うからな。奴らは引きずって住処まで運んでいたんだろうよ。」

そして、廊下に付いた血痕は、朝になるまでに全て舐めとった。

まるで全てが、夢となるように証拠を隠滅した。

「そして家妖怪を皆食い尽くすと、今度は中庭かに居た動物を捕まえて食べたんだろうよ。結果、家の周りには動物すら近寄らなくなった。」

溜息をつく。

「そんな生活を繰り返していると、当たり前だが屋敷神に目をつけられる。低級とはいえ守護神だ。屋敷を守るため、一族を守るため戦いを挑んだ。そして敗れた。」

「敗れるんですか?!」

「その時点で大量の家妖怪を喰らい、力をつけていたからな。たかが低級の家妖怪、雑魚だと油断してたんだろうよ。」

そして逆に食べられてしまった。

「屋敷神を喰らったことで奴らには二つの利点ができた。一つ目は、神を喰らったことで自らも神の気配を纏うようになったことだ。しかし、元々の邪悪な気配と腹の中の神が放つ神々しい気配はそれぞれの気配を打ち消し合い、結果、普通の人と遜色変わらぬ気配を持つことになった。これにより、より完璧に人に化けれるようになったわけだ。」

「屋敷神が戦いに赴いた証拠なんてあるんです?」

「知らん。が、これなら説明がつくからな。違ったとしても事件解決に全く影響はないからその辺は適当でいい。」

さいですか。

しかしこの説なら私も納得ができる。

……だけど神が敗れるほどの家妖怪って、それはそれで恐ろしくなかろうか。

それとも神が弱すぎたのか。

「低級だからな。悪いモノを追っ払う程度の力しかないんだよ」

署長は座卓に置かれた湯呑みを取り、口をつけた。

「二つ目の利点としては、屋敷神が不在になったことで、今まで排斥されていた悪いモノが湧くように現れるようになったことだ。餌が、狩りに出向かなくても得られるようになった点はでかいだろう。なんせ、食っても食っても尽きないんだからな。」

その結果、この家は食い残しが発したどす黒いモヤに包まれることとなった。

「しかし、毎晩毎晩湧いた悪いモノを喰らい尽くして喉を潤していたものの、奴らはいい加減我慢が出来なくなっていた。このままの状態が続いてしまえば、近い将来なりふり構わず人を襲っていただろう。しかしそこに現れたのが、お前だ。」

次に訪れた人間──次の標的。

大御馳走が、現れた。

「でもお前はできるだけ単独行動をしなかった。させなかったからな。お陰で、お前は襲われることもなく今日まで無事に五体満足で過ごせたというわけだ。」

廊下でのあの気配。あれは恐らく、唯一無二の瞬間を見逃さなかった奴らが、私が油断した瞬間を狙って殺そうとしたのだろうと、署長は語る。

あの時、もし署長が居なければ私は今頃腹の中──。

「おかしいと思ったんだ。隅田はすぐに興味が失せ忘れられたと言っていたのに、奴は『行った時には幽霊は出なかった』と言ってたからな。矛盾してる。」

そこで、書生達が妖怪であると確信したという。

恐らく、好奇心旺盛な私の気を逸らそうとしたのだろうと。

その場で襲えなくても、今後あわよくば住処へ誘導するための、罠だったのだろうと。

署長は、その場で思ったという。

ならば、それに乗っかってやればいい。

「だからな、お前が一人でわざわざ住処に赴いてやれば、必ず現行犯で捕まえられるんだ。」

そう言った署長は、相変わらずの皮肉気な笑みを顔に浮かべていた。

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