伍話 月見酒

あの馬鹿が部屋に戻り、漸く一人になることが出来たのは、寅の正刻頃だった。一人徳利からお猪口に酒を移し、そして一気に呑み干す。まだ外は薄暗く、ほんの少し欠けた月は煌々と輝いている。

こうして一人酒を嗜むのは何時ぶりだろうか。

思い出せないほど昔の話だっただろうか。もしかすると、あの晩が最後だったのかもしれない。

でもそんなこと、別にどうでもいい。

再びお猪口に酒を注ぎ、今度は味わうようにほんの少しだけ口に含む。ほんのりとした甘みが徐々に口内に広がり、そして余韻を残しつつ消える。

つまみはない。代わりに、窓から覗く青白い月を眺める。月明かりに照らされた酒が、やけに輝いて見える。そして対照的に薄暗い室内を一瞥する。

一人にしては大きすぎるほど立派な、和が基調となった部屋。その端の方に御丁寧にも寝具が綺麗に畳んで置いてあるが、恐らくそれらを使うことは無いだろう。

(寝ないしな)

とうの昔に眠気など、どこかへ消えてしまっていた。

再び月を見る。若干雲がかかったようで、その輝きにほんのりと陰りがみえ始めていた。

不眠が習慣になるのに伴って疲れは感じにくくなったがあるにはあるようで、蓄積されたそれらは今も倦怠感として体を蝕んでいる。しかし眠気はないので寝たくない。

だからこうして、かなり久々に一人酒をすることにした。

したのはいいのだが、仕事のことがどうにも頭から離れない。

いや、今回の件に関しては特に頭を悩ませる要素も体を動かす必要もない。頭を使うというよりは己の経験が真相究明に役立ちそうな気がしたからだ。究明に必要な調査も、あの娘に全部任せた。自分はただ、安楽椅子探偵の役を演じることに徹するのみである。

問題は、もう一件の方だ。

脳裏をあの娘がよぎる。溜息しか出てこない。

本来ならさっさと首根っこ掴んで追い出して縁切って、探偵業とやらもそそくさと畳んで逃げたいところだが、それが出来ない(と言うよりはしにくい)依頼(お願い)なのだ。なんと憎たらしい。

しかも迂闊なことに、前金まで貰ってしまった。もう退路はない。やるしかないのである。

(ああ、やめたやめた。)

駄目だ。あの馬鹿に関することを考えるだけで頭が痛くなる。

(この際酔うか)

酒を嗜む程度では、仕事のことは頭を離れてくれなかった。酔ったことは生まれてこの方経験が無いが、酔ってしまえば、多少は忘れることが出来るだろうか。

さて、それは酔ってみないと分からない。

大体自分がどこまで呑めるのかすら分かっていないのだ。この際はっきりさせておくのが吉だろう。

月明かりがほんのり薄れ始め、代わりに少しずつ橙色の陽の光が差し込んでくる。朝はもう近い。

(どこまでいけるか)

お猪口に入れた酒を飲み干すと、新たに注ぎ直すことなく徳利に口をつけそのまま一息で呑み干した。

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