肆話 怪奇
家に入って早々、いきなり三人の男に囲まれた。
「やあいらっしゃいいらっしゃい、歓迎するよ!」
「ねえねえ君まだ若いよね?普段何してるの?え、学生?金あるねー!」
「名前は?…菖ちゃんか!可愛い名前だね!しかも壬生の娘か!そりゃ学生だわなー!」
「菖ちゃん超可愛いー!」
などなど、とにかく矢継ぎ早にひたすら話しかけられた。
正直満更ではない。
普段の生活で私と関わる男の人は父と弟、そして署長だけなので、男の人に囲まれるという状況は、今まで経験したことがない。というか、書物の中ですら見たことがない。それ故に、今のこの状況は今まで想像だにしなかったことなのだ。しかもひたすらひたすら、褒めちぎってくれる。
正直めちゃくちゃ嬉しい。
特に可愛いが凄く嬉しかった。容姿のことを褒めてくれる人など普段から全然居ないからとてつもなく嬉しい。
ふと鋭い視線を感じる。
署長だった。遠巻きにめちゃくちゃ睨んでいる。
(こわっ)
とても険しい顔で睨んでくるので、正直凄まじく怖かった。
三人も署長の鋭い視線に気付いたようだった。矢継ぎ早に聞いてくる。
「ねえねえあの人は?旦那様?それとももしかして…禁断の恋、的な?」
「違いまーす」
「そっかぁ、じゃあ俺にもまだ機会があるってことだなー!」
「やだー」
三人衆はすぐに興味が失せたらしい。再び私を褒めだした。
署長の目は怖いが、とにかくちやほやされてめちゃくちゃ嬉しい。普段から褒められ慣れてないせいか、例えそれがお世辞だとしてもとてつもなく嬉しい。
(もうずっと褒められ続けていたい。)
と、ひたすら褒められ続けている最中のことだった。
手首を掴まれると同時にぐん、と思い切り引っ張られ、そして輪の中心から外へと引っ張り出される。
引っ張っていたのは、署長だった。
「悪いが、来てすぐなんだ。まだやることがあるから、そういうのは後にしてくれないか。」
静かに、それでいて透き通る綺麗な声で一喝する。
三人は少し青ざめながらそそくさと、蜘蛛の子が散るように去っていった。
私と署長は、この空間にたった二人取り残されてしまった。
「夢ぐらい見させてくれてもいいじゃないですか。」
至福の時間が奪われたことへのせめてもの抗議と、不満げに睨んでみる。
署長は呆れ顔のあと、私の頭をぺしんと叩いた。
「いたっ」
遠慮が全くないので何気に痛い。
「嫁入り前の娘が初対面の男相手にでれでれしすぎるな、みっともない。大体ここは、何がいるか起こるのか、分からないんだぞ。」
今後は単独行動を控えろと、目も見ずに吐き捨てるとさっさと与えられた部屋に行ってしまった。
(変なの。)
しかしさっきの状況は本当に名残惜しい。
心底残念に思いながら、私も与えられた部屋へと向かったのであった
説明するより見てもらう方が早いという隅田さんの意向から、幽霊の話はひとまず置いておいて少し早めのお夕餉を頂いた。その時食事に揃ったのは、私と署長、隅田さんご夫婦と、今隅田さんのお宅で下宿させて頂いているという、三人の書生さんの合計七人だった。
一人目の書生さんは、陽気で、頭が痛くなるほど喋りが止まらない方だった。先程一番積極的に話しかけてきてくださっていた方だ。
二人目の書生さんは、一人目の方とは対照的にとても無口かつ無表情で、また長い前髪で目が隠れ切っていることもありどこかしら不気味な雰囲気の方だった。先程は居たには居たが、あんまり会話してないような気がする。
三人目の書生さんは、一人目と二人目を足して二で割ったような方で、口数こそ少ないものの笑みを絶やさなかった。先程、それなりに話しかけてきてくださっていた方だったと思う。(便宜上、上から書生壱、書生弐、書生参とする)
食事中、家を包み込む気配そのものは相変わらずだったが、隅田さんご夫婦と書生達の気配や様子になんらおかしい点は無く、この五人はただの人間だということが確認できた。
(私じゃここまでかなぁ)
そもそも私に出来るのは、視ることだけなのだ。
特に目的もないないままじゃ、例え視えたとしても視たことに気づかないかもしれない。さりげなーく見逃しちゃっているかもしれないから、本当にできるのはここまでだと思う。
それに幽霊とやらの話も結局詳しくは聞いていない。情報が無ければ、私はおろか署長でさえ謎解きのひとつもできやしない。つまるところ、手持ち無沙汰なのである。
ということで。
よく幽霊とやらが出るという時間──(定番だが)丑の刻になるまで、とりあえず起きておくことにしたのである。
「だからといってなんで僕の部屋に来たんだよ。」
室内だというのに寝巻きの上から外套を羽織り、床に座り込んで干し柿をちまちま食べている署長は、心底嫌そうな顔で私を睨んでいる。
「だって暇なんですもの。」
署長と向かい合うように座布団を敷いて腰掛けた。壁に掛けられた柱時計は子の刻を指している。署長の前に置いてある硝子の器には幾つか干し柿が置いてあるが、この時間の夜食は女の敵である。ぐっと堪えて我慢する。
署長の部屋に来たのにはそんなに深くない訳がある。
丑の刻まで一人で与えられた部屋にいるのは嫌だった。かといって、いくら褒めちぎってくれていたとしてもついさっき知り合ったばかりの書生達と語り合えるほど、私は友好的な性格はしていない。隅田さんご夫婦とは幼い頃からの付き合いだが、夫婦の時間にお邪魔するほど図太い精神は持ち合わせていない。それに署長のことなので、恐らく時間になったら幽霊の出現場所に案内してもらうよう約束を取りつけてあるはずだ。
一言で言えば、ついて行きたいのである。
「どっか他の奴らの所にでも紛れ込んでくればいいじゃないか。心配しなくともお前程友好的な性格の奴は居ない。お前なら大丈夫だ。初対面の男にいきなり『探偵やろう?』とか言い出すような奴、そんなにいないはずだ。いてたまるか。」
余程追い出したいのか、早口でまくし立てた。しかし。
この男は心でも読んだのか、やけに的確なことを言ってくる。私が知りうる限り、読心は出来なかったはずだ。いやしかし、到底人間には不可能なことを易々としてのけるのが署長という男である。ある日唐突に「心読めるようになった」とか言い出しても、なんら不思議な事でないのだから恐ろしい。
「お前今すごい失礼なこと考えてるだろ」
本気で呆れた顔をしている。
「さっきからなんでわかるんですか?!」
「顔に出てる」
なんということだ。
「この際だから言うけどな。お前、表情変わりすぎて何考えてるのかわかりやすい。」
「嘘ですよね?!」
思わず勢いよく立ち上がる。その際足に器が当たり、カランカランと音を立てながらこれまた勢いよく干し柿を振り落としつつひっくり返った。署長は持っていた干し柿の残りを口の中に放り入れると、手早く床に転がっている干し柿を器に入れ直して、部屋の脇に追いやられていた座卓の上に置いた。
そしてじっと私を睨めつける。
「さあ、早く自室に戻って寝ろ。こんな夜更けまで子供が起きとるもんじゃない。」
すっと部屋の入口を指さす。
「嫌です!私も幽霊みるんです!」
「いつでも見れるだろうが!」
そんな感じで押し問答を繰り広げていた時だったろうか。戸がスーッと空いて隅田さんが顔を覗かせた。少し、気まずそうだ。
「探偵さん、そろそろ時間です」
「…ああ、もうそんな時間に…」
私の予想通り、約束を取りつけていたらしい。気がつけば柱時計は既に丑の刻を指していた。
署長は指で額を押さえていた。反対に、私の口角はじわじわと上がっていった。
さあ、お待ちかねの幽霊観察の時間だ。
案内されたのは、署長の部屋を出てすぐの渡り廊下を渡った先にある別棟だった。
かつては来賓の宿泊用として用いられていた(少なくとも私は使用したことがある)が、10年前ほどに老朽化を理由に閉鎖したそうで、中はかなり荒れていた。
「すみません、年寄り二人だと手が回らなくて片付けが行き届いておりません。本来はお招きできるような所ではないのですが」
「いえ、お構いなく」
とはいうものの、時刻は丑の刻。いくら手燭の明かりがあれど、その場の雰囲気と暗さの前には非常に心もとない。気分はさながらどこぞのお化け屋敷にでもいるようで、二の腕に少しばかり鳥肌が立っていた。
(これじゃまるで、廃墟だなあ)
自分の記憶の中にある別棟とはかなり違う様相に、少し寂しく思った。
別棟に入って幾許か歩き、到着したのは風呂場だった。
「うわっ」
これはかなり酷い。
使用者がもう居ないためか室内はかなり荒れ果てており、室内の真ん中や天井の方に赤黒い、染みみたいなカビが蔓延っていた。しかも灯りは手燭の小さな火と、窓から差し込む月明かりのみなせいで、それはそれはおどろおどろしい雰囲気を醸し出していた。
それでも署長は物怖じもせず風呂場に入り、あちこちを観察し始めていた。
しかし、確かに風呂場は他よりどす黒いもやに包まれているが、話と違い特に何も居ない。そこにあるのは、ただの荒れ果てた風呂場である。
「珍しい。」
隅田さんが目を丸くする。
「普段のこの時間、異常なことが起きないことが殆どないんです。何も無い日なんて半年ぶりぐらいだと思います。」
ええー。
落胆した私の様子を読み取ったのか、署長が頭をペシっと軽く叩く。いたい。
「いくつか質問があるんですが、いいですか。」
「どうぞ、私が答えられる範疇ならお答えしましょう。」
「本棟からここまで結構離れているのにも関わらず、しかも普段から来ないのに、何故異常に気付いたんだ?」
確かに。隅田さんの自室は中庭のすぐ真隣、家のちょうど真ん中付近にある。対してここは敷地の端っこといっても過言ではないような場所にある。その上別棟に行くには家の端──署長の部屋を出たところすぐの戸から外に出て、渡り廊下を渡る必要があるため、少しの物音どころか別棟で宴会を開いたとしても気付きづらいだろう。
実際かつて別棟で弟とどんちゃん騒ぎをしても、隅田さんご夫婦に気付かれることは無かったし。
「ああ、それはですねぇ。」
埃っぽいからかカビが蔓延しているからか、隅田さんはコホンと咳をする。
「私の部屋のとなりに、中庭があるでしょう。」
「ありますね。」
大きな池に沢山の色とりどりで綺麗な錦鯉、そしてとても大きな桜の木々がある、かなりご立派な中庭を思い出す。
(あそこでする花見はこれまた格別だったなぁ)
「最近は、野鳥や野良猫も近寄らなくなってしまい、物寂しくなりましたけどね。」
少し寂しそうな顔になった。
が、すぐにそれは払拭され、またいつもの笑みへと戻る。
そして、怪奇現象について語り始めた。
──この時間、中庭の隣の小部屋辺りからザッザッという音がするんです。その音が私の部屋の前を通り、そのまま遠ざかっていく。でも一番最初は違ったんです。小部屋からではなく自室前あたりからとても大きな、ザッザッという音がしたんです。不審に思いまして、でも時間が時間でしょう、その時覗く勇気はありませんでしたので、音が消えた頃に部屋の外を覗いてみると、血がびっしりと、まるで引き摺られているように床にこびりついていたんです。その血と音は別棟に続いていて、ついていくとこの風呂場にたどり着きました。すると中からゴリゴリ、ぴちゃぴちゃという音がするんです。恥ずかしながら腰を抜かしましてね。そのまま逃げ帰って布団を被りました。気がついたら朝になっていて、部屋の外を見ると、廊下が綺麗なんです。風呂場に行ってみても、綺麗なんです。何事も無かったかのようでした。なんだ、夢かとその時は思ったんですけど、そんなことはありませんでした。音はほぼ毎晩続くようになったんです。そして朝には、夢のように跡形もなく消える。
これを幽霊と言わず、なんと言うんでしょうか。──
ゾワっとした。背筋に氷を落とされたようだった。
何も無くてよかった。べっとりこびりついた血なんて、見たくない。
「あかなめ…な訳ないか。」
話を聞き終わり、署長は仮説を立て始めた。
あかなめとは、一般的な家妖怪の一種である。
荒れ果てた風呂場に住みついて、そこら中に染み付いた人間の垢を舐めとって生活しているという。しかしこの別棟は、荒れ果てた風呂という条件は一致するが、あかなめが人間を襲う、取って喰らうという話は聞いたことがないため、署長の言う通り「な訳ない」だろう。
……な訳ないのだが、
「にしても、何も居ないのはおかしいな。」
「…ですよね、なんにもいません。」
そう。おかしいといえばおかしいのだ。
この風呂場、及び別棟は何もいなさすぎる。
署長の受け売りなのだが、普通、というか昔からある家だと「なにか居て当たり前」な場合が多いらしい(多くの人には見えないが)。昔と比べたら今の時代は妖怪の数は激減しているらしいが、普段から人が生活しているような家ならともかく、廃墟同然な家にいないことの方が珍しい。明治になって建てられた壬生邸でさえ、あかなめこそ居ないが何種か家妖怪はいた。普通の家でさえ、家妖怪は普遍的な、至って普通の存在なのである。
それが、荒れ果てている、普通なら絶好の住処になりうるはずの別棟には、何の気配もないのだ。しかも本棟も、家妖怪の姿や気配は全く感じることが出来なかった。だというのに、とても悪いモノの吹き溜まりとなっている。それは非常に、良くないことなのだ。
悪いモノが悪いモノを呼び込むという、非常に不味い負の連鎖が起きてしまっている。このままいけば、いずれ隅田さんご夫婦に影響が出ることは目に見えている。
(屋敷神はどうしたんだろう)
本来こういうモノから防衛してくれるものが屋敷神なのだが…風邪でも引いたのだろうか。
隅田さんには訳が分からないらしく、頭を傾げていた。説明しても分からないだろうから、申し訳ないが説明は省かせてもらおう。
しかし、やはり何も起こっていないのだから今何かできることは無い。
なので今晩はこれでひとまず解散として、私達は各々の部屋に戻ることになったのだった。
──部屋に戻る最中、誰かに後ろから肩をとんとんと叩かれた。
署長だった。
「ちょっと部屋に来い」
それだけ言うと、署長は部屋に戻って行った。
(なんだろう)
話し相手にでもなれということなのか。
よくわからない。
うん。よくわからないので、とりあえず署長について行ったのだった。
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