参話 波乱の幕開け

──一日後、八ツ半十五時

朝から路面電車に乗り込んで、電車の揺れに身を委ねつつ向かった先は、浅草と呼ばれる娯楽と大衆の街だった。

路面電車のそれなりに高い段差を飛び降り、街の様子を一瞥する。

(変わったなぁ)

数年ぶりに訪れた浅草は、自分の記憶の中のそれと大きく様変わりしていた。

特に印象的だったのが、街歩く人の多くが洋風の服に身を包んでいる事だった。地元ではあまり見かけないので、新鮮に感じられた。

(なにより可愛いんだよなぁ)

洋風の服、出来ればいつか着てみたい。袴も可愛いが、正直着替えがちょっと面倒くさい。

目新しい娯楽施設を見ないようにしつつ洋装の人々をすり抜けながら暫く歩くと、一軒の日本屋敷に辿り着いた。

目的地、隅田さんのお宅である。先程までの騒々しさや華々しさとは大きくかけ離れた、江戸の時代から続くその威厳、そして荘重な雰囲気を携えてここに静かに佇んでいる。

署長の足が、ぴたりと止まる。なにやら険しい顔だ。

と同時に、箒を持った初老の男性が門の中から出てきた。

「やあ、菖ちゃんかい。ようこそいらっしゃいました。」

家主こと隅田さんだ。箒片手にくしゃっと笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。

「お久しぶりです、隅田さん。お元気そうでなによりです。」

「菖ちゃんも元気そうでよかったよ。そちらは探偵さんかい?」

話しかけられて漸く我に返ったらしい。署長ははっとした顔をした。

「ああ…はい、そうです。」

…なぜか、隅田さんの目がみるみる丸くなっていく。署長の顔も怪訝そうな表情に変わっていく。

(おお……?)

幾許か無言で見つめあった後、最初にその沈黙を破ったのは隅田さんだった。

「…驚きました、男性だったんですね…」

「……は?」

思わず吹き出してしまった。

隅田さんの顔がほんのり赤みを増していく。

「すみません、目が悪いもので…てっきり、男装された女性の方かと。本当に失礼致しました。」

「…………。」

ああ、怒っている。顔に出てないし何も言わないが恐らく怒っている。多分懸命に堪えている。

それが面白可笑しくて、ついつい声をだして笑ってしまう。

署長はかなりの美丈夫だ。一度見たら頭から離れ難いであろうほどの美貌をもっている。しかしその美貌は、男性的なそれではなく中性的なものなのだ。顔つきだけではなく、体の線も細い。その上髪も中途半端に長いため、余計どちらの性別なのか分かりづらい。それらの要因もあってかよく間違えられるので、本人も男性らしい服装を意識して着るようにしているらしいが、

(男装。男装かぁ。その発想があったか。)

しかし女としてでもとんでもない程の美貌持ちであることは変わりないので、そこのところが憎たらしい。

つまるどころ、彼はどんな格好をしていてもどちらの性別でも、美しいものは美しいままなのだ。

まあ声だけは普通に透き通る綺麗な低音なので、喋りさえすれば性別は分かるとは思うが。

署長がじろりと睨んでくるが、人目を気にしてかいつものように叩きはしてこない。

ちょっと申し訳なさそうな顔をした隅田さんが、恐る恐る声をかけた。

「あの、お部屋も準備してますのでどうでしょう、少しお休みになられては。立ち話もなんですしね。」

さあ、と隅田さんは家の中に入っていった。

「私たちも入りましょう、署長。」

横に並ぶ署長に微笑む。

その瞬間。

ゴツン、と頭に鈍い痛みと衝撃。拳骨だった。

「いったーい?!」

「笑いすぎだ、馬鹿。」

どうやら案の定恨まれていたらしい。

「それより、」

署長は目線をすっと移す。視線は、隅田さんのお宅を刺していた。

「ここは昔からそうなのか?」

「違いますよ。こんなに真っ黒なの、初めて見ましたよ。数える程しか来たことないですけど。」

私の視線も署長から家へ移す。

真っ黒くて、1寸の光も見えないほど暗くて、ねっとりとしている気持ちの悪いもや。

明らかに居てはいけないモノが、この大きな家をすっぽりと、包み込んでいた。

「どうなってるんだ、これ。」

「良くはありませんよね」

「わかるわ。」

呆れ顔で視線を私に移す。そして盛大な溜め息をついた。

「この有様じゃ、隅田の勘違いの線は無さそうだな。」

心底残念そうな声で言い、そのまま振り返りもせずに家の中に一人入っていった。

(気付いてないのかな。)

いいモノは同じくいいモノを呼び込み、悪いモノは更に悪いモノを呼び込む。

これと同じように、探偵は事件を呼び込む性質モノなのだ。

(署長がいる時点で絶対なにか出るとは思うんですけど…)

今しがた家に入っていった、落ち着いたあの大きな背中を思い出す。

この家の何倍も、どす黒くて禍禍しいモヤを全身に纏ったあの人のことを思い出す。

(あの人自身が何かしら呼び込みそうなんですよね)

はあ、と溜め息をついて、足早に家の中に入っていった。

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