壱話 名も無き探偵事務所
「はぁ?猫?」
とある探偵事務所、その応対室でとある青年が背もたれに偉そうにふんぞりがえりながら素っ頓狂な声を上げた。彼の顔は大変整っており、しかも一度見たら忘れることはないであろうほど美しい銀の髪と、赤い目を持っていた。が、それらは室内だろうとお構い無しに羽織っている黒く長い外套と、目深く被った帽子のせいですっかり隠れてしまい、おかげでただの不気味な青年にしか見えなくなっている。
もっとも、当の本人がそれを狙ってやっていることではあるのだけれど。
「はい…2日ほど前から行方がわからなくなっていて…大事な、大事な家族なんです、どうか…あなたはとても優秀な探偵とお聞きしました。金に糸目をつけません。どうか、私の大事な家族を、梅男を探してください…!」
相談者は、頭を床に激しく擦りつけながら懇願している。
「あれ、読めないのか?」
青年はその様を冷ややかに見下ろしつつ相談者の後ろ──玄関を指さす。玄関から入ってすぐ目の前の壁には、「不倫人探し猫探し、その他日常的な事件はお断り致します」と書き殴られた紙が丁寧に貼ってある。見逃すことが決してないようにわざわざ大きめの紙に大きく書き、その上入ってきて一番最初に目に付くであろう場所を選んで私が貼ったのだ。そこまでしても日常的な事件を持ち込む輩は、字が読み書き出来ないか、それすら無視して持ち込んだ阿呆の二択に絞られる。…そもそも、何故このような張り紙をしたのかというと、ここの署長様が「面白味のなんともない」依頼を心の底から嫌っているからなのだ。探偵業を本業としていないから、というか、食っていく必要性すらないからこそ仕事を選べるのだろうが…門前払いは、少し、可哀想だなぁとは思う。個人的な意見だけど。
「存じております。ですが、ここの探偵さんはえらく優秀だとお伺いしたので…!どうか…!」
残念ながらこの相談者さんは後者の阿呆であったらしい。いや、一応は読んだ上で依頼しているので、阿呆以上にタチが悪いのではなかろうか。でも、大事な家族を失った痛みは分かる。
個人的には受けてあげてもいいんじゃない?とは思うけど…。
「うん、存じているなら出てけ。」
再び玄関を指さした。
(相変わらず性格悪いなぁ、この人)
人の気もしれず、青年はぶっきらぼうに吐き捨てた。
案の定気を悪くされた様で、相談者さんは少しムッとした顔をする。横暴な態度を取り続ける青年に嫌気が差したのだろう。はあ、と溜息をつき、次の言葉を紡ぎ出した。
それが、青年にとっての禁忌に抵触する言葉だとは、露にも思わずに。
「とりあえずここの署長さんを出してください。もしかして今、不在ですか?」
あ、と思わず声が漏れてしまった。
ちらりと、恐る恐る横目で青年の顔を見やる。
営業用に貼り付けられたその笑顔は少し歪に歪み、口角が若干ふるふると震えていた。
(これはまずい。)
そそくさと別室に御二方の分の湯呑みを回収して、別室へと逃げる。そして机の下に潜り込み、耳を塞ぐ。
それから程なくして、
「僕が、署長だ!!!!」
と(聞きなれた)怒号が、事務所中にこだましたのであった。
「署長、なにも叩き出さなくてもよかったんじゃないですか?」
あの後、あの相談者さんは尻尾を丸め半泣きになりながら事務所を飛び出して行った。
「評判、悪くなっちゃいますよ?」
一応客商売なので、お客様の評判は命の次に大事なものなのだ。実家も客商売を営んでいるので、あの対応は正直見ていて、肝が冷えてしまう。
で、当の青年──署長は相当苛立っているらしく、私をじっと睨みながら椅子にふんぞりがえり、あまつさえ足を机の上に乗せてだらりと寛いでいる。
「別にどうでもいい、そんなもの。それより、」舌打ちをしながら机に乗せていた足を地に下ろし、立ち上がってそのまま私の目の前にまで歩み寄ってきた。
「なんでお前が、ここにいる?」
冷たい視線が頭上に突き刺さる。
「え?嫌だ署長、いつものことじゃないですかー。」
終業後に事務所に寄り、そのまま夕方頃まで居座っては追い出される。
署長と出会ってから毎日の事である。
しかし、
(あ、まずったかも)
どうやら(当たり前だが)この返事は失敗していたらしい。みるみるうちに、署長の目がつり上がっていく。しかし、私に何を言っても無駄だと悟っているのか、諦めたように溜息をついた。
「今日という今日こそは帰ってもらう。いいか、今すぐ帰れ。まっすぐ帰れ、家に着くまで振り返るなよ、そして暫く顔を見せるな。」
最早怒号すらなく、そのまま手を私の首元に伸ばす。
これに捕まってしまえば最後、文字通り首根っこ掴まれて外にぽい、だ。
とりあえず咄嗟にしゃがみこみ、そのまま脇の下を通り抜けようとするも、
「甘い」
「ちっ」
残念ながらやたら反射神経がいい署長に、頭を捕えられてしまった。
「観念するんだな。さあ、出てけ。」
勝ち誇ったような声が頭上で響く。
「あ、そ、そうだ、さっきの人の猫、三毛の雄らしいですよ、珍しいですよね!」
「知るか!」
抵抗虚しくそのまま玄関に、ずるずると、ゆっくりじわじわと引きづられていく。
いつもならここで観念して、私とて帰る。
でも今日だけは、今日という日だけは何もせずに帰る訳にはいかないのだ。
何故なら、
「きょ、今日は用事があって来たんですよ!は、話聞いてくださーい!」
「聞かん。」
無視された。
こうしているまにも、渾身の抵抗虚しく玄関に近づいていく。このままだと本当に外にぽい、されてしまう。
もう、これしかない。玄関ぎりぎりにまで近づいたところを見計らって──
「きゃー!痴漢です変態です助けてくーだーさーいー!」
出来うる限り力いっぱい怒鳴る。ここは室内だが、玄関の目の前だし壁も薄い。人通りも多いため、大声で叫べば恐らくご近所さんの耳には入るだろう。署長もぎょっとした顔で私を見る。
「馬鹿、それはやめろ!」
鋼の精神を持つ彼でさえ、その手の評判がつくのは嫌らしい。必死に片手で口を抑えようとしてくるのを必死に躱しつつ、絶え絶えになった呼吸の合間を縫って喘ぐように呟いた。
「話を、聞いて、くれたら、やめます。」
「…ちっ」
渋々といったように私を解放した。もう一度捕らわれないようになるべく遠くに逃げる。
「さっさと話せ。」
早々に終わらせて一人になりたいのだろう。腕組をしながら睨みつけている。
もう少し遊ぼうと思ったけど、仕方ない。一旦息を整え、これ以上ないという程の笑みを顔に貼り付けた。
「私、父から署長をうちにお連れするよういいつかっているんですよ。なので、さあ、行きましょう。」
そして敢えて嫌味たらしく、ゆっくりと玄関を指さす。
署長の顔はみるみるうちに苦虫を噛み潰したようになり、額に指を置いて空を仰いでいる。
暫くその体勢の後、ハッとした顔で私を見た。
「お前、たったそれだけを言うために人を痴漢扱いしたのか?!」
その言葉に、私は言葉ではなく嫌味たらしい微笑みで返したのだった。
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