幕間一 師匠と弟子と弟子と弟子


 四方を深い森に囲まれ、外界と繋がるような明確な道が存在しない――そんな自然の要塞とも呼べるようなこの場所に数件の建物が存在していた。


 その中の一軒からバンッ! と大きな音を立てて、一人の少女が飛び出してきた。


 空のような淡い赤の髪に新緑のような緑の瞳をした少女だ。


 少女は慌てたように駆けながら、隣の……ここにある建物の中ではもっとも大きい家へと転がり込むように入っていく。


「師匠ー! 師匠ー!」


 玄関を抜け、廊下を走って目的の人物を叫びながら一つの部屋へとそのままの勢いで突入した。


「なんだ、騒がしいな。聞こえているぞ?」


 返事をしたのは妙齢の女性。


 長い艶やかな黒髪と琥珀のような色をした瞳にスッとした鼻筋。

 さらに、スラッとした肢体は大人な女性の魅力を携えていた。


 美女といって差し支えない女性だろう。


 その手には緑色の液体の入った瓶を所持しており、近くでは窯が煮立たせられている。


 何か実験でもしているのだろうか。

 

 少女は、そんな状態の女性を見ても構わず話しかけようとする。


「師匠ー、大変なことが――……」


「少し待て、今の結果を記録しておかねば……」


 しかし、止められてしまった。


 自分のことを師匠と呼ぶ少女を尻目に女性は、手近な紙に何やらメモすると、瓶をおいて少女へと向き直った。


「それで何があった?」


 邪魔されたせいかやや不機嫌そうにも聞こえる声に内心で一瞬だけビクつく少女だが、それよりも自身の怒りと報告を優先した。


「アイツが居なくなっていました!」


「それはリーアのことか? アイリ?」


 アイリが『アイツ』なんて呼ぶのはリーアのことだろうと目星を付けつつも女性は一応確認をとる。


 そして、それは想像通りだったようだ。


「そうです! アイツ、離れで三日前にやっておくように師匠が言っていた仕事をほっぽり出したんです!」


「ああ、そういえば、リーアには離れの整理と調合をやっておくように言っていたな」


 アイリに言われて女性は自身がリーアに命じていたことを思い出した。


 ちなみに、離れにはキッチンやトイレといった生活用具が完備されているため、泊まり込みで作業することが可能なのだ。


「アイツこんな書き置きまで残していったんですよ!」


 ピラリとアイリは一枚の紙を差し出す。


「どれどれ……『師匠の修行がつらいので出て行きます。探さないでください。追記、見聞を広げてきますのでご心配なく』なんだこれは?」


「さあ、私に聞かれてもアイツの考えは分からないので、セラ姉とソフィア姉にも聞いてみれば少しは分かるかもしれませんけど」


「はあ、仕方ない。一応話を聞いておくか。アイリ、リビングに二人を集めてくれ」


「分かりました!」






 リビングに集められたのは四人全員がテーブルに集まっている状況であった。


 師匠とアイリの他に青髪の少女と金髪の少女が加わっていた。


 先に口を開いたのは青髪の少女だ。


「いったいどうしたんだよー。今日は休みにしようと思っていたって言うのにー」


 青髪の少女の方は、背が高く、体つきがしっかりとしており、その飛び出た胸と女性らしい服装がなければ青年とも呼べそうなほどの格好良さであった。


「あらあら、アイリちゃんだけでなく師匠もだなんて、どうしたんですか?」


 一方で金髪の少女は落ち着いた雰囲気を携えており、目は少し垂れ目気味であるが、顔立ちは整っており、おしとやかそうな外見と相まってまるで天使のようであった。


「セラ姉、ソフィア姉、アイツがいつの間にか居なくなっていたんだよ! こんな書き置きを残して!」


 そう言ってアイリは師匠にも見せた紙をセラとソフィアにも見せる。


 最初に反応したのはセラだ。


「あー、出て行きたくなる気持ち分かるわー。こんな所にいたら最新のファッションだって手に入んないもんねー」


 テーブルの上に突っ伏した状態で、気怠そうに答える姿は本心からそう思っているというのを知らしめている。


 そんな、セラを見てソフィアが口を挟む。


「あら、たまにだけど買い物には行けるでしょう?」


「そりゃそうだけどー。食料以外はあんまし買いに行けないじゃん? 師匠がポータル(転送装置)をいつでも使っちゃいけないーとか言うからー」


「当たり前だ、バカ者。頻繁に使っては素材がなくなるだろう」


「じゃあ、使い捨て以外のないのー?」


「あったとしても、お前らには教えん。どうせろくでもないことに使うのだからな」


「えー、そりゃないよー、師匠!」


 またもテーブルの上に突っ伏したセラを尻目にあらあらと困ったように笑ったソフィアは師匠に問いかけた。


「でも、師匠? リーアちゃんはどうするんですか?」


「放っておけ」


「え? 今なんて?」


 ソフィアは聞き間違いかと思って驚きつつも聞き返したのだが、師匠の返答は変わらなかった。


「だから、放っておけと言ったのだ」


 普段の師匠なら、すぐに追いかけても良いはずである。少なくとも今まではそうだった。


「アイツめ、戻ってきたら師匠にとっちめられればいいんだ。きっとひどいぞー」


 アイリはそんな師匠の言葉を聞いてどこか黒く笑っていたが、次の師匠の言葉に驚く羽目になった。


「そうだ、リーアがやらなかった調合の下準備はアイリ――任せるぞ」


「うえ!?」


「うえ!? じゃない。この中ではお前が一番下だろう?」


「そうですけど……基礎はすでに卒業したというか、やりたくないなーというか」


「たまには基礎の確認もいいだろう。最近、アイリはたるんでいたみたいだしな」


 そう言いながら、頷く師匠。今回のことは都合が良いと思っているのだろう。


「うっ! お気づきでしたか?」


「気付かないわけないだろう」


 見事に言い当てられたアイリは困ったように目を漂わせると師匠以外の二人に目を向ける。


「セラ姉、ソフィア姉手伝――」


「がんばー」


「うふふ、頑張ってね」


 姉弟子を頼ろうとするも、お願いをする前に頑張れと言われてしまい諦めざるを得ない状況にアイリは追い込まれてしまった。


「ちくしょー、リーアのアホー! 帰ってきたら覚えてろよー!」


 半泣きで駆けていくアイリ。


 出来るのはリーアへの恨みを叫びつつ離れに向かうことだけだった。


 アイリが居なくなった居間では師匠と弟子二人による会話が未だに続いていた。


「でも師匠ホントにいいのー? リーアの奴が出て行っても?」


「そうよね。すぐにでも迎えに行った方がいいのではないかしら?」


 セラとソフィアは先ほどの師匠の決定に疑問を抱いていた。


「いや、いい。アイツは少し世間の荒波に揉まれてくるべきだろう。大体、あの脳天気娘がここを出て行ってずっと一人で生きていけると思うか?」


「あー確かに。今までの事考えるとリーアじゃ無理かもねー」


「そ……うね」


 リーアが家出(未遂を含む)を企てたのは一度や二度ではない。


 だが、どれも少しの期間でここに帰ってきているのだ。


 諦めがはやい、意気地がないともいえるだろう。


 そんなことが続いていれば、師匠や姉弟子達がどこかのほほんと構えるのも無理はない。


 にもかかわらず、口を濁したとなれば、ソフィアに注目が集まるのは当然だった。


「ん? ソフィア姉はリーアが無理だとは言わないの?」


「うーん、ちょっとよく分からないわね。リーアちゃんは結構しっかりした子だとは思うのだけど……」


「アイツがー? ないない!」


 セラはソフィアの言葉を笑いながら否定すると、立ち上がり師匠のもとへ絡みに行く。


「ねえ師匠―、リーアがどれ位で戻ってくるか賭けようよー。私が勝ったら街に行かせてー。服見に行きたいんだー」


「何故、私がそんなものにのらなければならん――ええい! くっつくな!」


「いいじゃん、いいじゃん! ねー師匠ー!」


「離れろ!」


 などとやりながら、師匠とセラは去って行く。


 残されたのはソフィア一人だ。


 ソフィアはコーヒーカップを傾けて、口の中に香りと味を広げると、目を瞑って改めて考えてみる。


「(師匠や二人はああ言ったけど、どうかしらね? リーアちゃん、少し前から外に行きたい、旅に行きたいってうるさいぐらい言っていたし)」


 その時の姿を思い出しながら、ソフィアはクスクスと思い出し笑いをする。


 おそらく、この前皆で街に行ったときに買った冒険小説が原因なのだろうが、かなりの回数リーアが言っていたのは覚えていた。


 そんなリーアが姿を消したのだ。自分達も作業や訓練があって些か油断していたのは事実だが、誰にも気付かれずに抜け出した。


 もしかしたら、リーアは今回本気なのではないだろうかと、ソフィアはほんの少しだけ思っていた。


 それに、


「(案外、あの子図太いから師匠の予想なんかあっさり吹っ飛ばして、予想もつかないこと起こしたりして……うん、ありね! それはそれで楽しいかもしれないわ!)」


 一人でニマニマと笑うソフィアであった。



 

 まさか、リーアが今回は本気で家出した挙げ句、とんでもないものを持ち出しているとは師匠でさえもこの時は気付かなかったのだ……。

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