第81話「深淵の少女」

 恐る恐る、お互いの存在を確かめ合いながら、暗い神殿の中を奥へと進んでいく。

 直線に並べられた燭台の上で揺れる蝋燭の仄かな灯りだけが頼りだ。


「ねえ、おかしいよ。この建物こんなに大きくないはずなのに、どこまで歩けばいいのよ」


 聞こえるのは二人の声と足音だけ。


「わ、わからないけど……とにかく行くしかない」


 お互いに声を交わしあうのは、この暗闇の中で他の声すらないととてつもなく孤独に感じるからだ。

 だいぶ歩いたはずなのにまだたどり着かない。そこまで大きな建物ではなかったはずなのに……。

 入り口はずっと後ろで振り返っても見えない。すっかり外の世界が遠くになってしまっている。

 時間や空間がおかしいことになっている。人間の住む世界とは違う場所にいる――。そんな気が確かにするのだ。

 明美さん――この女子生徒……第一高校の生徒らしいが、正直彼女がいてくれて良かったと心底思った。僕もかろうじてまだ現実の世界にいるという認識を保てるのだ。

 相当歩いた。

 そしてそろそろ一番奥までやってきたかと思った頃――。


「……」

「ねえ、何か床に落ちていない?」


 明美さんは燭台の蝋燭で微かに照らされている床に目を落とした。


「!?」


 確かに何か床に落ちている。

 それを微かに灯る明かりをたよりに、目を凝らしてみた。


「え!?」

「人形!?」


 床に倒れていたのは人形だった。

 沢山の人形が落ちている。


「こ、これは……」


 その中の一体に目を止める。


「これ……」


 その1つは何となくクラスの誰かに似ていた。

 このツインテール、まさか――。


「くすくす……」


 不意に響いた笑い声にドキっと胸がなった。

 どこまでも純粋無邪気な笑い声だった。


「だ、誰だ!」

「誰?」


 二人同時に叫んだ。

 よくよくみると、すぐ近くには祭壇があった。どうやら一番奥までたどり着いたらしい。

 厳かに何本もの蝋燭、御神酒や供え物、装飾がほどこされた神棚。飾りもの。

 その神棚にそいつは無造作にも腰掛けていた。


「ねえ、お兄ちゃん、お姉ちゃんたち。あたしと遊ぼうよ」


 傍らにある燭台の蝋燭の火に照らされて、ぼうっと浮き上がるように少女の姿が浮かび上がっている。

 小さな着物を少女だった。

 赤い生地に艶やかな金銀の模様が施された綺麗な着物と帯。

 綺麗な髪おかっぱ頭で

 精巧にできた美しい人形のよう――

 そう、真琴や純たち、天聖館高校の女子となった生徒たちと同じような美しさを持つ。

 だが、さらに醸し出す神気が違う。

 明らかにこの子は人と違う何かだ。


「!?」


 そして後ろで悲鳴交じりの声がした。


「駄目……足が動かない……。まるで床に足がくっついたみたいに……」


 物怖じしない性格の明美の足が竦んでいる。というより床が足にくっついたように動かないのだという。

 何かの力なのか……

 神様を前に人間の小ささを実感した。


「くやしいけど、どうやら、あなただけ来いっていっているみたい」

「僕に……来い……と?」


 少女が手招きした。


「清久お兄ちゃん、こっちに来て遊ぼうよ」


 そこで待ってろ、と明美さんに目くばせした。

 くそ、遊ぶくらいなんでもないさ。相手してやる。僕の足はまだ動く。一歩そして一歩近づく。

 敵意までは感じないが、歓迎や寛大さは感じない。子供の意地悪のようだ。


「ここまで、よく来たね」

「ああ、僕たち人を捜しててね。君……何か知らないかな?」

「ふうん、でもさ、そんなことより――」


 祭壇に座っているその女童は、駄々をこねるように唇を曲げる。


「つまんないなあ。あたし退屈してたんだ。とっても」


 座ったまま手持ちぶさたに足をブラブラ、バタつかせる。まるで相手してやらないと大声で泣き叫ぶ聞かん坊のようだ。

 そう、ちょっとした手違いで、取り返しがつかないぐらいに怒り叫ぶような駄々っ子だ。


「この子、せっかくあたしが可愛がってたお気に入りだったのに、どこかへ行っちゃおうとするんだもん」


 ふと、見るとその童女は、何かを抱えるように抱きしめている。

 木のような継ぎ目が見える手と足、黒い髪の毛が見えた。

(にん、ぎょう? 一体何の?)


「ああぁっ」


 近くまで寄ってその腕に抱えているものを見て息を飲んだ。

 黒く長い髪――。

 手に持っている人形は真琴にそっくりだったのだ。

 背後から「ひっ」という明美さんの声がした。


「き……よ、ひ……さ」


 人形の口がパクパク動いたような気がしたけれど、その声は聞き取れない。


「つまんないなあ――」


 童女は腕に抱えている人形を見つめ、その人形の髪を触る。


「この子、出て行きたいっていうんだもん――」


 ちょうど人形遊びをする少女のように答えない人形とおしゃべりをしている――。


「あたしのお人形なのに……」


 よくみると、腕の部分が取れかかっている。

 僕も明美もはっきり認識した。

 皆人形になってしまったんだ。いや、なっていたんだ――。

 美少女の人形に。

 それが、この異変の正体――だったんだ。

 床に散らばる人形は天聖館高校の生徒たちのなれの果て

 この異形の少女は――。

 こうやって、人々を人形にして仲間にして自分の傍らに置いてきたんだ。


「なんてことを! お前だな、皆をこんなにしやがって!」


 憤りの声をあげたが動じない。少女は笑みを浮かべたまま――。


「これはね、皆の願いなのよ」


 腕に抱いた真琴に似た人形を抱きしめた。


「ねがいだと?」

「私は、苦しむ人たちを助けてあげたの」


 不意に清久の脳裏に何故かある光景が映し出された。

 遠い昔、今とはまるで違う荒れた戦国の世。

 戦い、争い、飢え、貧困。

 相争う男たち――。

 引き裂かれる親子。

 相争う愚かな人間達。

 平穏を願ってやまない人々の声を一体の人形が聞き届けた。

 遊び舞う少女たち――。

 そんなものと無縁の楽しい少女たちの楽園の存在――。


「願いを叶えてあげた、望み通りの願いを叶えてあげただけ……なのに……」


 笑みがやや哀しみを帯びた。


「なんで皆ここを出て行こうとするんだろうね」


 人形を、真琴にそっくりのそれの髪を撫でた。


「せっかくあげたのに、理想の髪――理想の顔、理想の手と腕、お腹に腰と足――」


 後ろの方で明美さんが、へたりそうになりながらも、なんとか踏ん張って立っている。

 人間の女の最後の意地とばかりに……。


「そうよ、自分の理想通りに作られる姿形――そんなの人形に決まってるじゃない。朝起きたら美少女になってるなんて、そんなのあるわけないじゃない。でも……確かに理想ではあるのねーー確かに人の望んだ形」


 明美さんは必死に体を支えながら呻いた。


「あーあ、つまんない」


 双葉が無造作に傍らに放り出すように置いた。  そして腰掛けていた祭壇から立ち上がる。

 放られた人形のガシャン、という乾いた音がした。


「ああ!」


 僕が叫ぶのと同時にひっという明美さんのひきつった悲鳴が聞こえた。

 取り乱していないが、その顔は真っ青だ。


「真琴!」


 目もくれずに置きっ放しにされた人形の下へと祭壇に駆け寄った。


「嘘……だろ?」


 それはボロボロになった人形だった。


「ちくしょう! ちくしょう! よくも真琴をこんなにしたな!」


 その人形を拾い上げた。


「!?」


 これ……は……。


「きよ……ひさ……元に……戻った……んだな、よか……た……」


 人形の微かに口がパクパク動いて途切れ途切れに、言葉が漏れる。

 真琴の綺麗な声が――今はねじが壊れた機械のような声だ。


「あたしの言うこと聞かずに、出て行くっていうから、もういらない――」


 少女の無邪気な声だけが響く。


「真琴ちゃん、壊れちゃった。でも直す必要はないよね、もうあたしの人形じゃないし――」


 人形を抱えた僕をあざ笑う。


「あ、お兄ちゃん、これ欲しいの? 壊れちゃってるけどいいの?」

「そんなの関係ない! 真琴! 真琴! 僕は離さない」


 頑なに少女の誘いを拒否する。


「あ、そうだ」


 何かひらめいたかのように、ポンと手を打つ。


「あなたには、これをあげる」

「な、なんだと?」

「新しく作った真琴ちゃん。こっちの方が綺麗で新しいよ?」


(この少女は一体何を言ってるんだ?)


「とっても従順で、あなたの言うことをなんでも聞いてくれる子」


 僕が首だけ曲げてゆっくり振り返ると――。

 そこには――。

 セーラー服を着た真琴が立っている。


「きよ君」

「ま、真琴!?」


 姿、形、声も確かに真琴だった。

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