第78話「歌声」

 これで全てが終わりを迎えたと明美は思った。


「悪いな、明美。なんかいろいろやらせたみたいで……」


 真琴はようやく清久を離して起きあがった。

 純と会長の方を見て呟いた。


「凄かったぜ、明美、あの平手打ち、迫力会ったぜ。今度何かあった時の参考にさせてもらうよ」

「真琴はあんなことしなくても得意のグーパンがあるでしょ」


(清久君、真琴と一緒にいたいと思うなら、覚悟しなきゃね)


「ほら、真琴……寒いでしょ」


 制服がビリビリに破けてしまっている。下着も見え隠れしていた。

 いつも地味、もとい控えめなファッションの真琴に似つかわしくない結構豪華な下着だった。

(あれ、勝負パンツでも穿いてる?)

 このアンバランス感が真琴らしいといえば真琴らしいと思えた。


 明美がコートを脱いで真琴に着せようとしたその時だった。


「!?」


 はっきりとわかる神気が瞬時のこの学校を覆った。


「あ……」

「頼む、今は、今は出てこないでくれ」


 真琴が呟く。

 せっかくの喜びに浸りたいのに――。


「な、何?」


 突然校舎内が異様な張りつめた空気に覆われていく。

 より空気が厳粛な空気に変わっている。

 明美は占いとか信じない性質だった。女子で好きな子は好きだが私は一切興味なし。

 霊感とかそういうのとは無縁だと思っていた。だけどはっきりと感じた。

 なにか物事を超越する存在の気配、厳粛なものが突如降臨した。


「!?」


 さらに周囲の変化も感じた。

 周りの生徒たちが、おしゃべりをやめていた。

 瞼を重そうに、惚けた表情に変わっている。

 そして、校舎が静まりかえる。ざわめきが消える。

 皆恍惚とした表情になり、焦点を失っている。


「長谷川さん! どうしたの?」


 横にいる長谷川も、目に精気がない。


「聞こえる……聞こえるんだ。声が……」


 明美も耳をそばだてた。


「!?」


 確かに聞こえる……子供の声が、黄色く無邪気で、汚れのない――声が聞こえる。

 歌だった。懐かしく紡がれる旋律が。

 明美の耳にも届いてくる。

―おいで……こっちへおいで―

 綺麗な歌声だ。けれども、そこまで聞きほれるほどでもないとも思った。

 だが長谷川も目が虚ろだ。

 純も皆川も焦点を失ったまま、嬉しそうな、心地良さそうな顔をしていろ。

(童謡?)

 その旋律は聴いたことがあった。我が第一高校郷土史研究会が保存している古いテープをCDーRに焼き直す作業をしていてその真っ最中に確認のため流していた時に邪魔したことがあった。

 少女たちの歌声が入った童歌。

 失われた郷土の歌。

 少女の歌だという。遊び、舞い、戯れる。

 神様の使いとして、村人達は畏れ敬うのだ。


「聞こえる……」


 天聖館高校の制服を着ている女子生徒達は、ゆっくりと導かれるように一人、また一人と歩き出した。

 吸い込まれるように屋上の入り口へと戻ってゆく。

 人形のようだった。


「真琴!?」


 真琴も悶えるようにうずくまり必死に抵抗していた。


「しっかりして! 真琴」


 抵抗していた真琴もついに力が尽きたようにゆっくりと手を下ろし、立ち上がった。

 ボロボロの衣装のまま――。

 寒そうなそぶりもみせず。


「真琴! 待って」


 ふらり、と立ち上がった。

 まさに圧倒的な力――直感せずにはいられなかった。神の力だ。


「真琴! どこへ行くの!」


 明美は叫んだが、真琴は声が届いてないのか、ふらふらとそのまま他の子の後を追っていく。


「ま、待って!」


 明美は慌てて屋上出口に吸い込まれていく真琴達天聖館の生徒の後を追おうとした。けれども。


「真琴……」


 呟く声が聞こえた。

 清久がまだ屋上の床に横たわって呻いていた。


「まったく……」


 置いていこうと思ったが、一端戻って抱き抱えるように肩を持って立ち上がった。


「お、重っ!」


 高校生の男子生徒の体がずしりと肩にかかる。

 既に誰もいなくなった屋上を後にした。


「う、嘘……」


 それほど時間が経ってないのに、校舎は異常なほどの静けさだった。

 一人分重たくなったまま、階段を下る。

 三階の廊下、二階の廊下を見ても誰もいない。

 すでに校舎には人っ子一人いない。

 さっきは放課後の喧噪が残っていたのに、校舎には明美と清久たちがいるだけ。

 ポツンと取り残された。


「これは……」


 まさに集団神隠しが起きたような光景だった。


「真琴ーーー!!」


 叫ぶが空しく明美の声が響くだけだった。


「長谷川さーーん!」


 外には既に降り積もった雪が一面に広がっている。

 コンクリートも土もあらゆるものを白く覆っていた。


「もう、なんなのよ……」


 靴に履き替え、マフラーを締め直した。そして清久を抱えて外へ出た。

 風は強くないが、雪がどんどん降り積もっていた。

 暗い空から白い花びらが舞い散るように後から後から降ってきた。


「……これは……」


 よく見ると、足跡が残っている。

 ローファーの革靴の跡や上履きの跡。この学校の女子生徒達が皆導かれるように、雪の中を歩いていったのだろう。

 その足跡も降り積もる雪でどんどん小さく、見失いそうになる。

 だが、追うにも一人分の重さを抱えながらだ。


「ほら、あなた、しっかりしなさい! あなたは男なんでしょ!」


 しかも男子一人分の重さだ。


「う、うう……」

「ああ、もう何で私がこんなことしないといけないのよ……」


 清久を肩で抱えながら行く。時折重さでよろけそうになる。

 さすがに重い。けれども何とか重みに耐えながらも歩みを進めているのは火事場のくそ力ってやつなんだろうか。異常な出来事に自分の体もたぎっているようだった。

 ずっしり来た。


「真琴……」


 まだうわごとのように呼んでいる。


「ほら! 真琴を助けたいんでしょ!」


 肩を揺らして呼びかけた。

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