第77話「迷宮から抜けて」
明美は二人を見つめていた。
周囲もそれに倣う様に抱き合う二人を見守っていた。
「いや……すげえな、清久が落ち着きを取り戻してるよ」
「もうずっと壊れたままだと思ってたのにねえ」
「真琴、凄いよ。これが女の力ってやつなの?」
「うーん、あたしたちには、男なんてもうありえないと思ってたんだけどなあ」
それは真琴が起こした波紋だった。小さいがやがて静かに大きく広がる。この学校の女子生徒たち、不思議の国に住まう少女たちに――その正体はかつての男の子たち――ちょっとした何かを変えたようだった。
男と女……
それまで忌避していたものに目を向けさせていた。
「あいつ、清久っていうんだっけ? あんなにあの子のことが好きだし、あの子も清久を受け入れてるみたいだしね……」
「こりゃ、あたしたちも認めないといけないようね」
そして――。
「ん……あれ?」
(ようやく失神していたお姫様が、目覚めたようね)
「じゅ、純ちゃん――」
ちょうど屋上への出口に寝かされて、生徒会長に介抱されている。
明美は顔をしかめた。
さっさと現実から逃げ出した、卑怯なお姫様が――再び舞い戻ってきたように思えた。
「もう……大丈夫なの?」
起きあがって、辺りを見回す。
「?」
「え? え? 何?」
真琴と清久を中心にした人だかりを見て最初はわけがわからなそうに様子を見ていた。
もう全てが終わってしまった、その現場に後からずかずか入り込んでくる。
「……」
真琴と清久が、お互いにおだやかに抱きあっている様を見ると、急に笑顔になった。
「あは、皆何やってるの?」
もしこの子のことを何も知らなかったら可愛い愛らしい笑顔と思っただろう。
けれども今の明美には、空虚に感じた。
「……」
空気を読まない――。
場違いに感じているようだった。
皆は白けたような顔をしていた。
彼女だけじゃない。
ここにいる女子校生たちは皆負けず劣らずの美女揃いで、特別なわけではないから――。
純――彼女が好みでない生徒もいるだろう。
ギャラリーの中にいた銀髪の少女などは、特にうっとうしそうな顔すらしていた。
その隣のポニーテールの子も苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
だが純は一向に介す様子は無い。
「よかったあ――」
「凄い、どうやったの? 真琴ちゃん?」
「これで三人、また一緒ね。そうでしょ、ねえ? ねえ」
次々に饒舌に周囲に語りかける。
周囲にいる子たちは、皆黙ったままだ。
純は、誰も何も返事をしないのを首を傾げた。
明美も純の思惑に、多分相当に顔をしかめていただろう。
つまり、自分の思い通りになったから、おいしいところだけ頂こうとしているのだ。
「ねえ……?」
これほど明美は義侠心にかられたことはない。
ずっと傍観したままで、一人、見ていただけで――。
やっと真琴が苦心と決意の末に得た熱いものを頂こうとする。
いい所を取ろうとするなんてあつかましい。
明美はちょうど目の前をすり抜けて、二人の元へ行こうとする彼女の腕を掴んだ。
「――!? 明美ちゃん、離してよ」
歩みを止められ瞬時、驚いたような顔をしているが、まだ甘えるような表情を崩さない。
(これまでにこういうことをされたことはないのね)
けれど明美は純の腕をしっかりと掴んで離さなかった。
「な、何するのかな? 離して――」
「ダメよ、あなたはここから先にはいかさない」
「ちょ――」
むずがる子供のようにじたばたしてふりほどこうとするが、掴んだ腕を離さない。
「あなたにあそこに行く権利はないの。私にもね――」
目の前にいる真琴と清久の元へいけないことに苛立ちが増している。
「離せ……離せよ」
男言葉が混じった。混乱していた。
「離せっていってるだろう! 不細工、ババア――このくそ女……」
ついにその可愛い容姿からは想像も付かない汚い言葉がでる。
「あは、やっと本性がでたね、純」
とびきりの笑顔を明美はあげた。そして。
パアアァンッ
乾いた音が響いた。純の右の頬に手のひらをたたき込んだ音だ。
平手打ちが綺麗に決まった。
純は打たれた右頬を押さえて信じられない、という顔をした。
「あ……あ……」
その口からは言葉が出ない。。
平手打ちは、力そのものは小さいもののその威力は計り知れない。
明美にとってはとっておきの秘密兵器だった。
言って聞かない、愚かな子を止めるために行う小さな実力行使。
女の平手打ち――。
もちろんやたらと繰り出すものではない。
タイミングを外したら、ただの喧嘩、暴力。時とタイミングを見計らないと自分に跳ね返ってくる。
必要なのは、女の感――。
今がその時だと明美は確信した。
一発の平手打ちに周囲もあっという息に飲まれた。
一度は緩んだ周囲の空気が一気に凍り、緊迫する。
よもやこのままなし崩し的に純の甘えと我が儘がかなうことにもなりかねなかった空気を、完全崩したのだった。
純もその空気をようやく読んだ。
明らかに表情から余裕が消えた。
これまで、我が儘が甘えがずっと通用してきた。
それが初めて効かないことに、驚きと怖れををいだいていた。
「くそアマはお互い様」
じっと顔を見つめた。純は固まったまま動けない。
吸い込まれそうなぐらい綺麗な瞳。思わず明美は惑わされそうな妖しい光。
けれども……
この少女の素性を察した。
「可愛そうな子……全部手に入れようとして、全部失った。欲張りな子……」
物ではない。心、胸が欲張りなのだ。そして、こういう結末を迎えた。
そして今本当の素顔が出てきた。
「あなた、何考えてるの?」
わざと純に冷たい厳しい視線を送った。
瞳を見つめていると、ブラックホールにでも吸い込まれそうになる心のざわめきを押さえ、強い目線で見据えた。
「ひっ!」
純は手を引っ込めようとする。
逃げに走った。
思った以上に抵抗はなかった。
(弱い)
この気迫に耐えることができないようだ。
竦んでしまっている。あれほどきらめいていた瞳も怖れと混乱で、萎縮して縮こまり始めた。引きつける力も弱まっている。
きっと女同士の対決、修羅場を経験したことがないのだろうと思った。
十何年も生きていれば何度も経験する出来事に――
幼稚園、小学校、中学校。
意地、見栄、嫉妬。そういうときに衝突する女の感情。
本当についこの間女になったかのように拙い――。
「思いあう男の子と女の子の二人の時間をじゃまするのは全体、野暮ってものよ?」
「お、思いあう?」
「そう、あなたには関係のない世界、よ。残念、関係のない女の子は及びじゃないわ」
「だ、だって、私は清久と小学校から一緒なのに……」
「残念、どうやら清久君には大事な子ができたみたい。あなたはもう知る由もないの」
「タマキちゃん、何やってるの! こいつ……。オレ……いや、あたしは真琴ちゃんのところに」
「純ちゃん……」
「あら、皆川さん」
もう皆川会長は、真琴と清久には手出しできないことを悟っていた。
流石に会長やってるだけあって、状況の理解は的確だった。
「じゅ、純ちゃん……もういいのよ」
その声に益々純の瞳は絶望の度合いを増す。
急に喚き散らし始めた。自分の思い通りにいかない幼い子の態度のように――。
「なんで、なんでみんなあたしを見捨て……オレの言うとおりにならないんだよ――」
手に入れようとしたものは、何故か自分の目の前から離れていく。
受験も、友達も、恋人も――。
「どうして……いつも離れていくの? 手に届かないの?」
「自己採点で一点足りなかった。中学も、高校も――」
「清久のことを思い出して、清久のところに行ったのに……」
「いい? 見なさい――もう二人は男と女で心を通じたのよ」
「いやあ! 真琴ちゃん! 清久! あたしのところに来て!」
真琴も清久もその場から微動だにしない。
彼女の叫びに誰も動かない。唯一皆川会長だけが、悲しそうに彼女をなだめようとする以外は――。
「あなた……最後まで彼を信じられなかった。彼が真琴を犯すと思ったんでしょう?」
純はその手を伸ばした。
その手の先には、抱きしめあう二人がいる。けれども届かない。目の前にいるのに、どんなに叫んでも手を伸ばしても届かない。
やがて、その手が力なくがっくりと落ちた。
「ちくしょう……ちくしょう……」
ついにどうしようもなくなって、ボロボロ、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
(これでいい)
明美はただみつめていた。
女の子は泣いて泣いて成長する。
泣き疲れて、眠って、すっきりしてそして心に記憶する。
「女になるんじゃなかった……」
純は涙を流しながら、呟いた。
(そう、純は女になったからこそ、こんなことになった)
幼なじみとの決別を知ることも無かった。
清久君と純は、男と女それぞれ別になった。
親友でも幼なじみでも別の女に引かれていくことがある。
純が男だったら、清久に相手の女ができたことを素直に祝福できた。
羨みながら、冷やかし言葉を投げかけつつも、友に彼女というかけがえのない存在ができたことを喜んだだろう。
けれども――
今の純にとっては大事な親友、幼なじみを――後からやってきた女に幼なじみを取られた。
「ようやく自分が今女だってわかったみたいね」
今までふわふわと夢や幻のようにただ女性という立場を流されるままに受け入れるだけだった。けれどもはっきりと現実として知ったのだ。
「うう……」
純は、ポロポロ涙を流す。
根は純粋な部分がある。
(この子は欲張りなんだ)
惜しむらくはいろんなものを望み過ぎ。
女の子としてより多くのものを望むようになった。
これでは男の子から女の子になっても、結局同じ過ちを犯すことになった。
体が変わっても心は同じ。
清久と真琴を、そして他のもの全てを手に入れようとして失った。
対して真琴はただ1つ、一番大事なものだけを求めた。
その身をなげうって、1つのものを手に入れようとする気持ち。
清久を求めようとする気持ちは同じ。
わずかな違いが全てを決めた。
清久は真琴を求めた。
一番求めるものは何か、お互いが答えをみつけた。
そこに純の居場所は無かった。
「うう、うわあ、えぐっ」
涙をボロボロ、そして鼻水も垂らして泣きじゃくっていた。
だが、泣き崩れても誰も純に手をさしのべない。ギャラリーは沢山いるけれど、彼女の周りには斥力でも働いてるかのように、近寄る人がいなかった。
冷たいのではない。今は彼女の抑えきれない感情を赴くままに放出させる必要があった。泣いて泣いて最後のひとかけらを出し尽くすまで。
大事なものを失った彼女に――。
安易に他人が彼女に手をさしのべることはできないからだ。
その資格があるのは、彼女を真剣に支える気持ちのある人物のみ。
明美は声をかけた。
「皆川会長……この子の面倒、お願いね」
言われずとも皆川会長が純に寄りそう。純の肩を抱いた。
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