第75話「過ぎ去った日々②」

 オレは目の前の事態に驚かされた。

(あの清久が、気丈に、立ちはだかっている?)

 いつも不安げで、頼りなげだった清久が、今この性質の悪い不良達と、オレの間に立ちはだかって向き合っている。


「おい、お前何なの?」


 正直背丈もおおきいし、こういうのにも場慣れしているようにみえた。

 ひょっとしたら警察の厄介になったことも一度や二度じゃないかもしれなかった。


「な、なんなのじゃねえよ、お前らっ彼女が嫌がってんだろ!」


 清久が精一杯の声を振り絞っているのがわかる。


「ああ? お前、なにいきがってんの?」

「女の前でいいかっこしようとしやがって」


 なおも、清久が抗するべくなにかを言い掛けた途端、奴らの一人の重たい拳が清久の体にめり込んだ。


「ぐ、ぐほ……」


 鳩尾に拳を一発入れられて、あっけなく崩れ落ちた。ガシャン、と地面に清久の手から放れた紙コップの飲み物がおちる。

 飲み物と氷を地面にぶちまけて空になった紙コップがコロコロと転がる。

 そして地面に伸びてしまう、清久。


「口ほどにもねえ、ゴミが――」


 さらに地面に倒れた清久を足蹴にする。


「うう……真琴……」


 シューズの足底でグリグリと踏みつけられた清久が、微かにうめき声をあげる。


「バーカ、弱いくせに女連れて偉そうにすんじゃねえ」


(弱いだと!?)

 清久は一人で対峙して引かなかった――清久は十分強い。確信した。

(対して何人もで、囲んで脅かして、この卑怯者たちが!)

 さらに連中が、清久に蹴りを入れようとした時。

 オレの胸の中で何かが弾けた。


「おまえら――、おまえら――」

「ああ?」


 激高した少女の声。へらへらしながら、その声の方を向いた男たちは、体を硬直させた。

 その瞳が妖しい光を放っていることに――。

 人の心を惑わす妖絶な光だった。

 赤く光った――。


「お前ら、今すぐ目の前から立ち去れ。クソして寝てろ!!」


 少女の怒り。

 神の使いが下した罰。

 怒りが赤と黒の瘴気を発する。


 それに見入られるように男たちは動きを止め、そのまま白目を向いて倒れた。


   ☆   ☆   ☆


「清久、清久!」


 ボクの耳に真琴声が聞こえた。

 ふわっと宙に浮かぶような感覚とともに――。


「よいしょっと」


 気合いを込める声がした。

(どうやら、僕は抱き抱えられているようだ)

 柔らかくて心地よい。

 真琴の乳房が顔に当たっていた。

(本物だ)

 柔らかくて暖かみのある、それでいて崩れない弾力性。

 普段で、こんなことやったら絶対殴られるだろうが、今は構わないみたいだった。


「いてて……」

「大丈夫……か? 真琴」


 公園の人通りのある場所へ行き、そこの空いているベンチに横たえられる。


「馬鹿、大丈夫じゃないのはお前だろ」

「大丈夫だよ、ほら」

「そうか……」


 真琴はなおも気遣ってくれる。


「痛いか? 首が疲れるんじゃないか?」

「ま、枕でもあればいいんだけどさ」

「そうか。よっ」


 首を両手で持ち上げられる。


「!?」


 ふいに頭が急に柔らかいものに頭が支えられる。

(膝枕!? 真琴が膝枕……)


「動くなって」

「ま、真琴、ちょ……」


 少し離れたところで、親子が通り過ぎた。

 母親に手を引っ張られた男の子がボクたちの方を指さす。


「あー、みてママ、ねんねだー」

「まあ……ふふふ――」


 真琴はその声が聞こえていないのか、まったく動じない。


「いいよ、今日は特別にオレがどうこうとかいうのは忘れるさ。お前が身を捨てて体張ってくれたんだ。オレも姉貴によくこうしてもらったっけ……」


 柔らかい太股がそこにある。

(真琴の匂い……汗っぽく、甘く――女らしい匂いだ)

 いい匂いだった。香水をつけてるわけじゃないだろうにいい匂いがした。

 気持ち良かった。

(天国にいるみたいだ。もう、男だったとか女だとか、どうでもいい。ずっとこの天国にいたい……)


「体弱くて馬鹿にされたこともよくあったけど、反抗するから喧嘩して負けることもあったんだ。でさ、オレが擦り傷だらけで帰るとこうやってマミ姉がやってくれたんだよなあ」


(真琴を昔から知ってる奴が言うには、意外に気が強い……。きっと真琴の姉さんがいたからかもなあ)


「真琴は、平気なんだな……あんなことあっても」


 横になったままなのは、単にスケベ心からだけじゃなくて、まだ胸のどきどきが収まらず、さらに緊張が抜けて足に力が入らなくてたてないから――。


「オレはああいうの初めてじゃないし。それにしても、下劣だったけどな」


 真琴は本当にごく当たり前の出来事のように受け流している。

 絡まれるのは一度や二度ではないという。


「女になってからは、あんなのがしょっちゅうだぜ。面倒で」

「そうか、大変だなあ」


(いいことずくめではないんだな。あんなの二度も三度もあったら僕ならくじけるだろう)

 さらに、ボクには心配なことがあった。


「真琴、ああいうのあると男が嫌になったかい? なんか欲望丸出しの連中ばっかり見ててさ」


 真琴は口元だけ笑みを浮かべて苦笑した。


「男ってああいうもんなのは知ってるからよ。オレだって、お前らと同じだったんだしな」


 膝を枕にさせながら、ぐい、と真琴はのぞき込んできた。

 間近に見える真琴の顔――右に90度傾いたその顔に浮かぶ笑み。ボクには眩しかった。


「別にオレは、お前のベッドの下にエロ本があったって怒らないぞ?」


 冗談めかして言う。

(いや……当たってはいるけどな)


「違うよ――真琴」

「!?」

「僕は、あいつらとは違う。絶対に真琴には、そんなことはしないし、あんなふうに獣のように真琴を襲うようなことなんてしないさ」

「ふーん、そうかあ?」

「僕も真琴もあいつらとは違うんだ」

「オレもか?」

「ああ、真琴もだ」

「男ってのは野獣だろ」


 男の野性を真琴もボクも知っている。その身を持って。自らに潜む欲情も願望も――。


「誓って、そんなことはない」


   ☆   ☆   ☆


 天聖館高校の屋上で向き合うオレと清久。


 いつしか真琴は、ぼんやりとふりしきる雪を眺めていた。どこか現実と幻を行き来しているような感じがした。


「なんでだあろう……今あの時のことを思い出すなんてな……」


 あの時深くは交わさなかった。が、オレには今はっきりとわかった。

(あの時、清久は、なんていったっけか。じっとオレを見ながら清久は、オレに語りかけていた)

 いつになく強い意志を感じた。

『……僕は違うよ。わかるだろ、真琴。お前だってわかるはずさ。男だったんだから――』

(そう、男なら知っているはず。オレも清久も知っている)

 オレは知っている。清久もそれがある。


「うおおおおお!」


 清久の獣のような雄叫び。

 そして制服が破ける音。

(すげえな……清久もやればできるじゃん。 元々肉体系じゃなかったお前にもこんなに力があったんだな)

 心は落ち着いてた。

(やっぱり清久は男だな……こんなに力を秘めていた)

 精一杯男らしくしようとして、無理にかっこつけようとしたりする清久が思い浮かんだ。

(日頃あんなに、からかわれ、揚げ足とられたけれど、お前もやればこんなに男らしいとこみせられるじゃん)

 ついにこの時がきたっと覚悟を決める。元々オレは女になった時からこういう可能性があると予測していた。

(男に犯されるのか? オレ)

 制服のブラウスが紙切れのように千切れていく。

 体を包んでいたものが――。

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