第73話「屋上」

「ここはやっぱりいいな」


 ようやく清久と自分だけの場所を確保できたことに感謝した。

 屋上は雪が降りしきっていて、オレの髪にも肩にもまとわりついてくる。

 凍えるような寒さだが、何故か今は気にならない。


「真琴! 真琴!」


 遠くからドアを開けようとドンドン、ガンガン叩く音がする。


「ここを開けて!」

「開けるんだ! 真琴!」


 ガラス越しに見えた。――二人の姿が……。


「長谷川と明美……」


 傍らに純もいるようだった。しっかり明美が引き受けてくれているのをみてホッとする。

 そして目の前にいる異形のモノに語りかけた。

 もはや感情も感覚も失っているのか、まったく凍えを感じるようなそぶりもみせない。

 息を深く吸った。


「清久、今オレとお前、二人だけだぜ」


(お前とオレ、よくここに来て一緒に弁当食ったり、放課後に話をした――)

 そして……。


 ……オレはこの景色を見ながら、清久と語り合った。


 ある日の放課後――。


「なあ、清久。オレがこんなこと言うのもなんだけどさ、なんで清久はここにいようと思ってるんだ?」

「僕がここにいること?」

「ああ、おまえがここにいる理由なんだけどさ。転校生が一人いたけど、先生の紹介で別の学校に再転校したって噂聞いたけど……」


 噂にしたって、それを聞いたときは、この胸にギクリ、ときた。

 清久だって、いつこの学校からいなくなることが無いとも限らない。

 歓迎ムードではなくて、露骨に異質な奴扱いして、除け者扱いする奴が後を絶たない。

 悪い癖だと思った。この学校を異世界や聖域みたいに考えたり、偏屈な同類意識が芽生えてしまったり。

 けれども、清久はなおもここにいる。

 今日までここまでやってこれたのは、他人の支えだけではなくて、清久の意志もあるような気がした。だから、ふと聞いてみたくなった。

 夕暮れの放課後。

 屋上から見えるそら

 夕日が山に消えていく。

 ところどころ電気が灯り始めていた。

 清久は、ふっと笑いながら言った。


「だって、ここ、オレが入りたいと思って入った学校なんだぞ?」


 清久の表情には曇りがなかった。


「屋上の景色も最高だし、……街も近いし、スポーツの施設もあるし」


 清久は語った。

 清久の両親は元々この街の人間じゃなかったらしい――。

 小学校の時、この街に引っ越してやってきた。

 どういうわけか父親はこの街に住むことにこだわり、転勤、単身赴任も覚悟でこの街にやってきた。

 母親を説得したらしい――。

 連れられてきてみた景色がとても感動したらしい。


「僕は、この学校好きなんだ、この街もさ」


 山も街も、見下ろせるこの街を、清久は見下ろした。

 校舎はいかにも昭和の成長時代に建てられた無機質な鉄筋コンクリートの校舎。


「正直、純がこの学校に来ることになったって聞いたとき、オレ嬉しかったんだ。あいつには悪いけどさ」


(あ、そういえば一高に落ちてうちに来たって言ってたな)


「それに、ここにいていいって言ったのは真琴、お前だろ」

「そう……だったな」


 自分の言葉の重みを知らされる。いつのまに何気なく出た言葉が人を支えていたことに――。


「他の学校に行っていたら、真琴にも会えなかったんだ」


(オレが清久に出会ってなかったら……どうなってたんだろう)


「オレも結局あいつらと同じような百合百合に走ってたかもなあ……」


(清久とオレが出会って今のオレたちがいる――)


「思い出した……そうだ……ここで」


 思い出した。

 空を仰ぐと薄暗い空から際限なく舞い落ちてくる雪――街並みが白くおおわれていく。

 暗く白い世界へ変えていく。

 遠くみえる山並みも。

 駅や商店街の街並みも。

 住宅やビル。

 眼下に街が見下ろせる。神様になったようにも思える。

 天聖館高校から見える景色は格別だった。

 歩くと、校舎の屋上にうっすらと積もった雪を踏みしめる音がする。

 そう、屋上であの日――。


   ☆   ☆   ☆


「なあ、ところで清久。今日、放課後に一緒に来れるか? 図書館に行きたいんだけどさ」

「どうした? 真琴……」

「ちょっと調べ物があってなぁ……」


 気まずそうに目を伏せて清久におずおずと申し出る。


「ああ、構わないよ」


 清久は、静かに聞いてくれる。研究者気取りの趣味と自分でも卑下していた。だが絶対に清久は真琴の誘いを断らなかった。


「悪いな」

「……」


 ふと清久が沈黙した。妙に緊張した空気が立ちこめてくる。


「?」

「そ、それよりさ……真琴、こ、こん、……」

「こ?」

「あ、いや……」

「なんだよ、狐じゃないんだから」


 ゴホン、っと咳払い、そしてスゥっと深呼吸をした。


「こ……今度の日曜日さ、空いてるか?」


 清久は、すっと胸ポケットから2枚の紙切れを取り出した。


「この間さ、うちのお袋が新聞屋から手に入れたんだ」

「あっファイターズとジャイアンツの試合!」


   ☆   ☆   ☆


 屋上にはどんどん雪が降り積もってくる。


「思い出したよ――」


 鮮明に蘇ってきた記憶が駆け巡る。

 凍える外と対象に胸が熱くなってきた。


「真琴! 気をつけて!」


 一斉に皆が叫んだ。再び清久が襲い掛かってきた。


「そう、思い出したよ、清久」


 ようやく思い出した。清久が言っていたこと、感じていたこと……。


「あの時言っていたお前の言葉――」


 やっとたどり着いた。ずっと手繰っていた記憶……邂逅の末に――。



  ☆   ☆   ☆



「あぁ!」

「真琴!」


 清久の我を失った攻撃をまた直前でくい止める。

 雪が振る中でまた組み合う。

 屋上ドアの覗き窓から屋上の二人の様子をのぞき込んでいる生徒たちが叫んだ。


「どうなってるの?」

「何があった!?」


 後ろにいる階段に集った生徒たちが、何が起きているのか知りたくて声をあげる。

(また同じだ)

 明美はもどかしく思った。さっきからずっと繰り返している。清久が襲いかかり、真琴がそれを力で止める。

(いつまでも繰り返すしかないの?)

 明美がそう思った次の瞬間。


「なっ!」


 真琴が目を閉じたのだ。

 何か、祈るような清々とした顔で――。


「真琴ちゃん!?」


 皆息を飲んだ。

 真琴が、押さえていた腕の力をふっと抜いたのだ。

 瞬間清久が真琴の体を求めて――。

 猛獣が獲物を捕らえるように。

 真琴をまさに犯すために――。


「大変! 真琴ちゃん!」

「うがああああ!」


 獲物にくらいつく野獣のごとく真琴にしがみつく。

(なのに真琴は抵抗しない!?)


「いやあああ!」


 明美の腕の中で純が悲鳴をあげた。

 それはまさに美しい雌鹿に襲いかかる猛獣に見えた。

 無惨に食いちぎられ、骨も食らいつくす。

 真琴の体を無惨に貪ろうとする獣に――。

 仰向けになった真琴に馬乗りになってセーラー服を引き裂いた。冬服の、あの厚手の生地をあっさり。

 真琴の体を奪うために、その障害となるものを排除するべく。

 凄い力だ。

 ブラウスも引き裂く。

 ブラだけのなった真琴の胸が露わになる。

 ビリイイィィっと裂ける音が聞こえた。

 そして――

 真琴は、すべてを受け入れるとても尊いとても神々しくみえた。

 腕の中の純の体がガクっと崩れ落ちた。

 失神してしまったようだ。

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