第72話「記憶の中から②」

 真琴は一体何をやっているのだろう?

 さっきから二人が向き合ったままだ。

 何かを語り掛けている。ただ、それが清久に語り掛けているのか自分に語り掛けているのかわからなかった。


 そして――。

 ふっと向き合っている真琴の警戒が緩んだ一瞬だった。

 清久が大きな叫び声をあげて襲いかかってきた。


「真琴おおおおお!」


 悲鳴があがった――。


「真琴!」

「いや! 真琴ちゃん!」


 明美の腕の中の甘えん坊も、悲鳴をあげた。

(まったく、戦隊ショーを見にきている子供みたい)

 また飛びかかった。

 残っている子たちも、ひぃっと引きつるような声をあげた。


「信じられない……」


 真琴は清久を力で押さえつけていた。

 力で押し返す。

 目だけがギラギラと光っている。真琴しか見ていない。

(真琴を犯す気満々ってことね)


「はは、慌てんなっていってるだろ、清久。まだ……全部は話してないんだ」

「いやああ」「逃げなさいよ、あなた」


 悲鳴がわきあがる。

 この人間、いや、この物体が二本の腕で真琴を捕らえた。

 押し倒そうとする。


「流石に、強いな」


(嘘……)

 男子のパワーを真琴が押し返していく。

 凄い力が掛かっているのが見て取れるのに、真琴はそれをものともしない。


「真琴はあれで凄い力があるからね……クラスで一番強かったんじゃないかな? 下手に手を出すと真琴に摘みあげられるから――」


 長谷川が明美にささやく。


「そんな、ただ綺麗とか可愛いだけじゃなくて、男子並みの力まであるの? だって、どう見ても普通の女の子なのに」


(そんな、神様の悪戯でもなければありえない)


「だから、普通じゃないんだよ、うちらはね」


   ☆   ☆   ☆


「真琴、まことぉ!」


(く……。なんて力だ。どんだけクソ力なんだ)

 どちからというと華奢な部類で、大柄な体格ではない清久を、オレは今あらん限りの力で押さえている――。

 人の筋力というものは、普段大半は働いていない。

 何かのきっかけでリミッターを外されて火事場のくそ力みたいに、瞬発的に出すことがあるというがあると聞いた。

 まさにそれだ。

 腕と腕で組み合っている、その間近に見える清久の顔。

 道化のように白く化粧の粉が塗りたくられ、口紅がべたべたに醜く塗られた唇。

 だが、その瞳は、虚ろで焦点を失いながらもはっきりとオレを映している――。


「そう……か……オレに会いたかったか」


 清久の手……冷たい手だ……

 氷のように冷たい。生身の人間なのだから、そんなはずはなのに。どこまでも冷たく感じる。

 心だ。心が冷え切っているんだ。

 心が凍てついている。

 翻弄され、悩み、疲れ切った清久の心は、今や氷河の氷のように冷え切っているんだ。

(オレたちのせいだ。オレの体……。もう元には戻らない。例えば、清久と男同士だったら……)

 どんな友情が?

 記憶をさらに辿る。清久とオレ……。


「そういえば……」


 過ぎ去った日の光景が蘇っていく。


「家庭科室で……お前料理下手くそで、リンゴの皮もむけなかったんだよな……オレ姉貴に教えてもらっただけだけど旨い旨いって食ってくれた」


   ☆   ☆   ☆


 調理実習は、いつもより真剣な空気が漂っていた。

 清久の包丁さばきは見事なくらいな初心者だった。

 あぶなっかしい手つきでりんごの分厚い皮をむき、食べる部分がなくなるかと思った。

 だが――誰も清久のことは馬鹿にできなかった。


「まあ、笑っちまったよ。他の奴らも料理なんかみんなへたくそで、ろくに包丁扱えなかったからな」


 明美に一度話した時に、吹き出した。あんな綺麗でおしとやかそうな顔の女どもが、「ちくしょう」「料理なんかできなくてもコンビニでいいじゃん」とか言ってた。


「へへ、オレは真琴の嫁になるからいいよ」

「いいや、真琴はボクのもんだって。 ね、可愛いボクに味噌汁作ってよ」


(お決まりのパターン……。何度言ったらわかるんだ、オレはお前等みたいにする気持ちなんてねえんだよ)


「うるせえ、離れろ――」

「ああん、真琴~」


 離れて見ていた清久は、ホッとしたような顔をしていた。

 

 これじゃない。

(なんだっけ? もっと違う大事なことがあっただろ。記憶の糸をたぐり寄せる)

 オレと清久の日々……。

 この教室で過ごした時間が多かったからここへきてみたが、ここじゃないのだろうか――。

 考えてみれば教室で過ごすのは大半が授業であとはちょっと休み時間に話しだけ……

 清久と大切な話をしたことがあるのは……。

(長い時間あいつと一緒に……)

 あそこ……?


―真琴……―


「!?」


 一瞬だけ声が聞こえた。オレにしか聞こえない声で清久が語りかけてくる。

(そう、あいつと二人きりで話をしたことがあるのは……)

 ギリギリと服の音がする。

 スカーフを引っ張ろうとする。

(おいおい、首が締まるって)


「悪い、清久。ここじゃなかったみたいだ」


「悪ぃ、清久」


 思いっきり清久を蹴飛ばした。

 直後、耳にドスン、という音が響く。


「どこへ行くんだい!? 真琴」


 長谷川が叫ぶ。だが今はそれに返答する余裕はオレにはない。


「来いよ! 清久!」


 叫んで、手招きをすると――。

 今までゆっくり、ふらふらとした足付きだったのが、急に獲物を奪われた野獣のように猛烈な早さで立ち上がり、オレめがけて、走り出す。

 教室で何かをやるかと思ったが、それは思い違いだったようだ。

 周囲の女子生徒を凄い力で、突き飛ばす。



   ☆   ☆   ☆



「いやあ!」「助けて、変質者がこっちくる――」

 まだやってないじゃん……と突っ込みつつ、明美は真琴の背中を追う。


「真琴! どこ行くんだい!?」


 長谷川さんも、追いかけていく。

 明美も後を追おうとする。

――と横からの声が一瞬明美を遮った。

 天聖館高校の生徒会長、皆川タマキ。


「い、いいかげん、離しなさいよ」


(おっとっと。こっちの方も忘れていたわね)

 腕の中の子猫とそれをみつめるもう一匹の雌猫。

 ロングの黒髪ストレートは真琴と同じだが、背が大きい。

 目がちょっと細くきつめで、それに、ちょっと高飛車なところがある。

 真琴とは雰囲気が偉い違う。

 天聖館高校生徒会長として、基本的に優秀で、そつがなく纏め役としては十分能力がある。

 だけど、接してみると意外にプライドが高く、独断的なところがある――。


「あら皆川会長、この子、とっても可愛いわね――」


 頭を撫でると嬉しそうに、笑顔を浮かべ、「あは……」と呟いた。

 それをみると、もういてもたってもいられないような表情を浮かべた。


「真琴、どこへ行ったの?」


 明美は会長には構わずゆっくりと、腕の子を抱き抱えながら、真琴の後を追った。

 パラパラと見守っていた子たちも、真琴と清久の後を追っていく。

 明美にとっては不慣れな余所の学校の校舎だから、人の流れだけが目印だ。

 追いかける生徒たちが階段を昇って行く。

 明美もそれを追って階段を上がる。

(一体どこへ?)

 階段を上がる。ぐるり、と踊り場を周る。

 3階いや……さらにその上……。

(屋上!?)

 踊り場から屋上へでるドアのところで生徒たちが固まっていた。


「ごめんなさい、どいてもらっていいですか?」


 明美が集まった子たちをかきわけると、そのドアの真ん前、一番前列のところに長谷川がいた。

 ドアノブを引っ張ったり押したりして、ガチャガチャやっている。

 先にやってきた長谷川さんが屋上への扉の前で立ち往生しているのだ。


「どうしたの? 長谷川さん」

「真琴が……真琴がこの先で……」


 ドアの向こうへ目をやった。真琴はやはり屋上に出たようだ。


「どうしたんですか!? なんで屋上へ行かないの?」

「真琴が向こうからつっかえ棒をして開けられなくしてるみたいだ」


 ドンドンドアを押しているが、何か引っかかって開かない。

 明美はドアの窓ガラスを覗いた。

(いた)

 屋上で二人、再び向き合っている真琴と清久が――。

 誰にも侵されない二人だけの空間と化した屋上で。

 清久と真琴。そこは二人だけの世界だった――。

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