第71話「記憶の中から①」
そして、教室のゴミ箱を見た途端……ふいにオレは思い出した。
「そうだ、こんなこともあったっけ……」
☆ ☆ ☆
一、二ヶ月過ぎた頃の出来事だった。
「うお!」
叫び声に振り返ると、教室においてあるゴミ箱の前で、清久は真っ青な顔をしていた。
いったい何があったんだ、と駆け寄ってゴミ箱を覗くと……
「あ! また誰かこんなところに捨てやがって……」
生々しく赤く染まった使用済みのものがーー
女になって既に女子高校生の体だった真琴たちには、順番に訪れた。
早いやつは一、二週間で。遅くとも一ヶ月以内にはやってきた。
さかんに保健の授業も急遽行われたのもこの時期だった。一応の作法は教えられたが……。
何せ教師も含めて全員が初体験・未知の領域だった。家族に姉妹がいる奴は随分違ったが……。
使用済みのものは、トイレの汚物入れへ。そういうごく当たり前のことさえも、まだ周知しきれていないらしく、普通にゴミ箱に捨てるやつらがいた。
そういうのは、大抵男兄弟で女の作法を教えてくれる奴がいないのだとか。
血生臭いを放つから、絶対に通常のゴミ箱に捨てるなと学校中で呼びかけられていた。
が、それでも捨てる適当な生徒がいた。
流石にオレも胸が悪くなるし、清久は青ざめている。どん引きだ。
「なあ、真琴、お前も、来てるのか?」
「ああ、もうとっくに来たよ」
「そっか……そりゃそうだよな、お前等「女」なんだもんな」
あの「異変の日」から一ヶ月を過ぎた頃から順番に訪れた。
教室中でしばらくその話題でもちきりで……。
清久に何度か触れられた聞かれた。
うつむいてかみしめるように「そっか……」と言うのだ。
でも実際男と女の一番決定的な違いの部分だ。
女の体の現象だ。
清久がこの学校が変わってしまったんだと感じる瞬間なのだ。自分を置いて見知ったクラスメイトが、知り合いが変わってしまったことを――。
清久を励まそうとオレは妙に明るく語りかけた。
「ま、別にこんなもんかって感じだよ。ちょっといつもと違うだけさ」
そういいつつ少し顔をそむけた。
なんでもない様子を装ったが、オレも実は相当に騒いだ。
さらにこの一ヶ月前に遡る。
実際にオレは初体験した。その前日。
教室でも初潮についてもうずっと騒いでいた。
固まってヒソヒソ、クラスで話している奴らがいた。
「ボクも昨日からきちゃったよ。家で赤飯炊いてもらったんだ」
「本当か、どうよ?」
「結構辛いよぉ。まだお腹痛いし……なんども取り替えないといけないし……」
腹をさすりながら、鞄から未使用のナプキンを取り出し、このメーカーがいいよ、と囁いた。
「ええ……オレまだ来てないんだよ。真琴はどうだ?」
「オレも、まだだ」
「そろそろオレらも来そうだな」
その予感は当たりだった。
その会話の翌日の朝だった。
下腹部の痛みで早朝に真琴は目が覚めた。それも他の腹痛の感覚とは違う経験のない痛みだ。布団に包まったまま、オレは痛みに悶えた。
腹の中で生ゴミが自然燃焼でもしているかのように、じっとり熱さを伴った痛みだ。
そして、下着を調べてみたら――。
忘れもしない。
これまでに見たこともない、あの鮮明な赤を――。
オレは、動揺した。
知識として知っていても、自分で体験するのではまるで違った。
「真琴、ほらもう朝ご飯できてるわよ」
やがて部屋に入ってきたマミ姉。
朝飯に読んでも起きてこないオレの様子を見に来たのだ。
「マミ姉……」
自分自身でもびっくりするぐらい弱弱しい声だと思った。
病弱だった頃の自分をまた思い出したのだ。
またあの日々に戻ったような気がした。
「真琴、どうしたの?」
マミは全てを悟ったとばかりに、布団から動かないオレの横に寄り添ってきた。
そして、マミに手を握ってもらった。
「真琴……きてるのね?」
オレは小さくうなづいた。
「苦しい? お湯を持ってこようか? 体を暖かくするといいわ。今毛布を持ってくるから、そうすれば少し楽になるわ」
「うん……」
身を横たえた。
しばらくして、強烈な気だるさにも襲われた。
体の痛みだけじゃない。
焦燥感、不安感がドーピングされたかのように普段よりも強烈に心も体も襲う。いつもより精神も不安定になっている。
「マミ姉、オレ、生まれ変わったんじゃないのかよ。なんでこんな目に……」
弱気になったオレの胸にはこんなはずじゃなかったという思いがいっぱいだった。
「大丈夫、これは真琴だけじゃないの。この痛み、お姉ちゃんもわかるから、ね?」
「う、うん……」
「お姉ちゃんだって、毎月きてるんだから。お姉ちゃんと一緒よ」
「マミ姉と一緒……なんだ」
「初めての時は驚くのは皆同じよ。お姉ちゃんの時は、教えてくれる人がいなかったから……ううんでも手伝ってくれた人はいたかな。ずいぶん迷惑かけちゃっったけど」
マミ姉が遠い目をしている。遠い遠い記憶を思い出すように呟く。
「初めての時、すっかり動揺しちゃって、そう真夜中だったの」
「マミ姉も……驚いたの」
「もちろんよ。痛い、苦しいって、驚いて泣いちゃって。どちらも二人、女の子のことはわからなくて……。あの人、あんまり驚いちゃって、寝間着のまま、町中のお店を走って回ったのよ。夜中なのに近所のお店のシャッター叩いて回ってをかけめぐって買いにいったの。あの頃はコンビニやドラッグストアなんて便利なものはなくて、お店は夕方には閉まっちゃうから、ドアを何軒も叩いてまわったのよ」
マミ姉が、とても懐かしそうな顔をする。体の辛さがなければ、その内容についてもっと問いただしたいことがあったが、今はその余裕がなかった。今は寄り添ってくれるだけでよかった。
「お互い、それが女の子には当たり前のことだってことがわからなくて、すっかり驚いちゃったのね」
「……マミ姉も大変なんだ」
「そうよ、汚れた下着は洗濯機じゃ洗い切れないから、自分で洗えるようにならないと、ね」
やがて、すぐに換えの新しい下着と、ナプキンを持ってきた。
一部シーツも少し血の色で染めてしまったので変えてくれた。
「学校には連絡を入れとくから今日はお休みしなさい、ね?」
「う、うん……」
(清久が一人になっちまうが、仕方ないか。こんなにきついと……何も出来ない)
マミの優しい看護。
この体も痛みもマミ姉と同じ。。その言葉は何よりオレの心を元気づけた。
なら……こんな痛み、我慢してやろう――。
オレは耐えて行こうと決心した。布団に包まってじっと耐えた。
翌日には嘘のようにけろりと直った。
朝、リビングに出た時朝食の支度をするマミから声をかけられた。
「真琴、大丈夫?」
「うん、嘘みたいに、今日は元気だよ。昨日あんなにつらかったのに」
ナプキンももう必要ない、と伝えると、これが真琴の体質なのね、とマミは澄まし顔で答えた。
「ところで、マミ姉。昨日話した、一緒に暮らした人って……」
「何のこと? それより、朝ごはん早く食べなさい」
それ以上オレは聞く気にはなれなかった。
☆ ☆ ☆
「こればっかりは……お前にも何もかもをぶっちゃける気にはなれなかったんだがなあ……初めてだぜ、誰かにしゃべったのはさ」
オレは目の前の、人間の怪異とも道化ともつかない格好の人間に語りかけた。
「うう……」
清久の目に微かに潤んだものを見た。
保健室には、生理用品が常備されるようになった。
(オレもよく世話になったっけ)
「あの日から一ヶ月も経たないうちに、全員に平等にやってきたからな。ま、理想の女子高生の体だからくるもんも、くるってことさ」
「なあ、お前ら――」
教室にいるメンバーたちを振り返った。
「ま、真琴……」
「実はさ、そん時だけはお前が羨ましいって言ってたんだぜ。オレだけじゃなくて、ほかの連中も……。あんだけお前のことくさしてたくせにさ」
教室にいる奴らは、目を逸らした。図星だという表情をしていた。
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