第62話「再び元の地へ」

 ひたすら続く険峻な石段を上っていく。

 上っていくたびに鳴る革靴の音。

 すぐ後ろから、カツカツともう足音が2人分した。


「なんで明美が……。これはオレの問題で……」


 長い階段を上り始めたオレのすぐ後ろをくっついてくるセーラー服の冬服を着た女子生徒一人。

 この階段は、かつては山の神社へ続く唯一の道で、今は、天聖館高校へと続く。

 『産道階段』という名前がついているのを知っているのは、この街の人間でもあまりいない。

 生徒なら、スクールバスを使って別の道路で一気に校門前まで上っていける。

 が、オレ達は生憎天聖館高校の生徒ではないのでバスは使えないので歩きだ。


「はいはい、それはもう説明したでしょ、もう愚痴らない、愚痴らない」


 耳聡くオレの愚痴を聞いた明美。

 いつもかっこ悪いと嫌がる明美も今日は流石に黒タイツを穿いている。かくいうオレ自身も黒タイツ。

 スカートから伸びる脚が黒く包まれたおそろいの女子2人、階段を上ってゆく。

 ついでにマフラーを首に巻いているのも二人一緒。


「なんでこんな大事になってきちまって……」


   ☆   ☆   ☆


 放課後、第一高校の校門を出た真琴は、クラスメイトに見送られて出て行った。

 広まっていたオレが転校するという噂の誤解は明美が解いてまわったが、天聖館から転校するきっかけになった出来事の決着をつける。そんなふうにクラスでは話が広まった。

 で、出て行くときは激励の嵐。

 女子達から――。

『まこっち、頑張ってね、あたし達もついてるから』

 男子達からは――。

『真琴ちゃん、帰ってこないと俺達寂しいよお』

 春香からは――。

『真琴さん、頑張ってください、私、応援してます』

 と、クラス皆のいる前で、涙目の挨拶。

『わかった、わかったから涙拭けって春香』

 あまりに春香が、張り詰めた表情なので、肩をポンと、叩いたら、抱きついてきた。

『お、おい、春香……』

 ぎゅっと強くオレを……。そんなに強く……。

『真琴さん、絶対、帰ってきてください、絶対』

 オレのセーラー服のスカーフの辺りに顔を埋めてる。

『私、ここで待ってます―』

 そのままじっと動かなくなった。

『わかったよ、オレちゃんと戻るから心配するなって』

 春香のそのまま頭を撫でた。

『あは……真琴さん、いい匂いがする……』

 春香の気持ちよさそうな恍惚とした顔――。

『あ、ずるい! 春香! あたしも』

『ちょっと、私にも真琴にハグしたい!』

 一斉に女子がオレの方に飛び掛ってきた。

『ちょ、ちょっと、お前ら! こら、明美まで抱きつくな!』


   ☆   ☆   ☆


 盛大に見送られてしまったし、もみくちゃにされた。

(これも明美の作戦だろう。ったく、やられてしまった)


「真琴は、一人で自分で全部背負いこもうとしてたからね、まるで孤独な男子みたいに」

「だって、これはオレの……」

「他の女子の力をいいえ、男子からも力をちょっとずつ貰う。女の子の戦法の一つよ、みんなに支えてもらって、それが真琴の力になるはずよ」

「わかんねえ……力って……さっきの見送りがなんで、それに明美がついてくるなんて……でも……」


 実際朝から張り詰めていた緊張が少しほぐれたかも知れない。


「ふふ、まだまだ真琴は女子力についての修行が必要ね、それに」


 明美が少し息をついた。少し遅れ始めたので階段を登る足を止めた。

 ふう、と明美が一息ついた。


「そう、これは勘。真琴を一人で行かせない方がいいってね」

「勘?」

「真琴に、戻ってくる場所と人を、ね――」


 朝から続く曇り空が一段と暗くなってきた。

 凍るような冬の冷たい風が吹きつける。


「うわっ」


 明美と会話してたら、急に風がビュウ、と階段にスカートが捲れそうに。

 慌てて抑える。

 明美も抑えている。

 第一高校のスカートは丈が短いから盛大に捲れることはないが、天聖館のあの趣味丸出しのミニスカートだと捲くれ上がってただろう。


「ち、不便なはき物だな」


 夏は涼しく風通しが良いが、冬は最悪。

 天気は益々悪くなってきた。

 ふと、小学校の頃に社会科で習った天聖市の気候を思い出した。

 山あいの盆地で、夏は猛暑になるが、冬は馬鹿みたく雪が降る。

 昔小さな村だった時代は、相当な豪雪だったらしいし、都市化が進んだ今も結構な積雪になる。

 都会からの転勤、転校生なんかは、厳しい気候に驚くらしい。

 凍える風が拭いて、暗い曇り空。

 体を突き刺すような寒さ。こういう日は雪が降るのは、地元出身なら大人も子供も知っている。


「今夜は雪が降りそう……」


 明美の息が白く輝いた。

 オレ達以外、人っ子一人いない石段を延々と登る。

 長い階段も、あと少し。小さな踊り場を越え、産道階段の最後の石段に着いた。

 あともう一息で、たどり着く。


「待って、真琴。何か変じゃない?」


 明美が突然、声をあげた。その声にオレも足を止めた。


「どうした?」 

「だって、もう放課後なのに……」


 冷たい風の吹きすさぶ階段。

 もう最後の急な昇りでてっぺんはもうすぐ。

 この辺りは、昔の神社だった頃の名残まま、両脇は鬱蒼とした木々が生い茂っていて、上りきると、天聖館高校の校舎が目の前に飛び込む。

 いつもは、在校生が登下校に行き交う場所。

 そういえば、誰ともすれ違わなかった。

 振り返ると、誰もいない。

 普通の住民もいない。

 そして、オレも同じような違和感を覚えた。

 神社のような神域に入ったような神聖な張り詰めた空気。

 空気が急に澄み切り、浄化されたような――。


「そういえば、ここって昔神社だったんだよね……」


 明美の顔から、暢気っぽい雰囲気が消えて、一気に緊張した面持ちになる。


「生まれてこの方、こんな緊張感は初めて……」


 思い出した。

 この空気、この感覚。

 日常とは違う空間に入ったような――。

 長い階段の後ろ、変わらぬ街並みが、眼下に広がるのに、遠く感じる。

 妙に張り詰めた空気。

 恐れとは違う。むしろ畏れ――。

 あの異変の日に感じた、空気と同じだ。

 だが、オレの気持ちは、緊張に包まれる明美とは正反対だった。

 心が激しく躍動していく。

 体に満ちていく。

 あの日、あの時。そしてこの場所でオレは、オレ達は出会った。あの存在に――。  

 『母さん』に――。

 全てが始まったあの日と同じだ。

(まさか、まさか『いる』のか?) 

 そこに……。

 今からオレ達が行こうとしている場所に。


「く……」


 たまらない胸の蠢きは、誘惑へと変わる。

 清久のことを忘れて、会いに行きたいという欲求さえ起こりそうだった。

 思えば思うほど、逆らえない。愛おしい。

 『母さん』に身も心も捧げ、支配されているから――。


「どうしたの? 真琴?」

「あ、いや、行こう、明美」


 固まってるオレは、明美の声で意識をこっちに取り戻した。

 風で揺らめくスカートを翻しフタタ部階段を上る。

(明美が一緒にいてくれてよかった)

 今、初めて思った。

 明美も一緒に来たことが正解だったと確信した。

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