第47話「喫茶店」
古めかしいインテリアで施された店内はクラシックの音楽が清々と流れ、コーヒーの香ばしい匂いが漂っていた。
他の客はいない。オレは清久の父に促されるまま見晴らしの良い窓際の席に座った。
座るとすぐに店のマスターが注文を取りに来た。
「真琴君は、何を頼むかい?」
(うげ……)
何気なくテーブルのメニュー表を見て仰天した。一番安いコーヒーが一杯七百円だ。
「気にせず飲みたいものを注文してくれていい。誘ったのは私だし」
そうは言われても、あまり好き放題にするほどオレはお調子者でもない。
ともかくここは好意に甘えることにした。
「あ、じゃあ……ミルクティーでお願いします」
コーヒーと同じ値段の紅茶を注文する。清久の父はミルクティーとブレンドコーヒーを注文する。
やがて運ばれてきたブレンドコーヒーに親父さんは口をつけた後、言葉を発した。
「そうか、姫宮君は今は第一高校に通ってるのか」
ミルクティーに口を付けつつ、頷いた。香ばしい紅茶の香りが口に広がる。
「はい、たまたま編入試験を受けさせてもらえることができたので……」
「学校を辞めたと聞いたが、まずは健やかそうで安心したよ。うちの子のことがきっかけで、君の人生を狂わせたのじゃないかと」
「あ、すいません、辞めたわけじゃないんです。なんか心配かけてしまったみたいで……」
慌てて頭を下げた。本来一時期親しく自宅まで訪問したこともある関係にまでなっていたので、一言でも伝えようかどうか迷っていたが今日ここまで来てしまった。
今の清久を見たくないという思いがあったからだ。
「ああ、もう辞めてくれ、姫宮君。そんなことを君にさせにきたのではないんだ。それより君がとりあえず落ち着いた姿を見て安心したよ」
「あ、ありがとうございます」
「新しい環境だ。特に君らのような子は巷の女子生徒の中に混じってくらすと相当ストレス溜まってるだろうからね」
「?」
なんか微妙なもの言いに感じた。
「息子のことは気にしないでくれ。あいつのことは私も妻も一時の気の迷いと思ってるよ」
またコーヒーカップに口をつけた。そしてそれを置くと話をまた始める。
「今時の子は「男の娘」か……面白い言い回しだ」
ふふっと笑う。
「随分寛容なんですね。今もあいつは……」
その落ち着いた様子にオレの心にややむすっとした感情が起こる。
「清久は少し優しすぎるきらいがあった。一人っ子だったし、まっすぐに育てたつもりだったんだが……。私は今度定年退職する。あいつと今度真剣に向かい合ってやろうと思ってたところだったんだ」
「定年退職……ですか?」
「ははは、実はそんな年なんだ。時が経つのは早いな。私は結婚が遅くて、清久も四十を過ぎてから生まれた子なんだ」
言われてみると白髪の多いその頭と顔は、納得がいった。それでもやや若くは見えるが。
「私はある事から、しばらく女性というものを受け入れられない性質になってしまってね。今の妻に出会うまでずっと駄目だったんだ」
(あ、あの調子のいい清久の母さんか)
人はいいし、ちょっと明るく力の抜けた自然さが悪い感じをさせない人だ。
「お互いもう随分な年で子供はあきらめていたが、清久を授かった。その大事な清久がどんな道を行こうと、迷ったとしても、いつかもどってくると信じてるのさ。姫宮君」
決定的な言葉。さっきから会話から妙な感じがしていた。
(オレを姫宮『君』と――)
疑問に思っていたことをついに切り出す。
「あなたは知ってるんですね!? 今の清久に起こっていることもあの学園のことも――何が起こっているのか」
「そうだね、知ってるよ。清久は、今一人の少女の夢に捉われているんだろう。そして姫宮君は、その少女の申し子だってことも」
オレが男だったことを知っていることの告白。そしてさらに――。
「『ふたば』。この少女に姫宮君は心当たりがあるのだろう」
(そんなことまで……)
「心当たりもなにも、オレを今のこの姿に変えた存在だから……」
「そうか、やはり君たちに強い想念を及ぼしているようだね。『あいつ』もそうだった……」
「そこまで……知ってるのですか」
「私はあの少女と昔接触したことがあるんだ。どうもあの少女に関わると、能力に影響が及ばなくなる場合があるらしい。ある意味辛いところだね」
オレに、このとき新たな感情が沸いてきた。そして抑えられず体が震えた。
「そこまで、そこまで知っているならなんで、今更そんなことを言うんです。今更何を……」
怒りをぶつけてもしょうがないことはわかっている。
知っていてもどうしようもできなかった可能性が圧倒的。でももしかしたら何かできたかも。もっと良い結果を得られたかも。
そう思うと体が熱くなる。
「そうだね、姫宮君の学校で起こったこと。全部知っている。でもそれもこれも、君と、清久自身が立ち向かわないと」
「立ち向かうって、そんなことできるわけ……今のあいつは……悪夢に囚われた「男の娘」で」
「最近の若者の言い回しはわからないが――」
そしてカップのコーヒーに一度口をつける。
皿にまた置く。
「清久にその想いさえあればできる」
「想い? 一体なぜそんなことがわかるのですか?」
畳みかけるオレの言葉と眼差しにも清久の父は全く動じない。
「私は、昔『あの少女』に友人を取られた。一度はこの手に取り戻したが、結局再び取られてしまったんだ。なんで『あの少女』の下に友人が戻ってしまったのか……。あいつの気持ちに考えが及ばなかった。その心の奥深くを知ることができなかったばかりに……」
その声には後悔と嘆きが滲んでいた。過去に何があったのかはわからないがオレはただ黙って聞いた。
「友人を取られたあげくに二度とこの手に届かないところに行ってしまった……。わたしに成し遂げる想いがなかったばかりに――」
既にコーヒーを飲み干してカップを置き、胸元からライターを取り出した。
そして一本の煙草を取り出し、くわえる。
「だが、清久に想いさえあれば、戻ってくる。そして、全てが終わる。姫宮君はその意思を呼びさませばいい」
ふと親父さんの目は遠い方を向いていた。視線の先は窓の外。おそらく天聖館高校のある場所だった。
「この辺りも随分開けたもんだ――四十年も前、ここへ来たときはあの古ぼけた長い長い石段しかなかった。その先に神社があった」
何かの偶然か。さっき明美から聞いた同じ内容であった。
「教えてください。一体何が起こるのですか?」
「少女の世界の終焉、だよ。残酷で優しい少女に囚われた娘たちの遊戯が終わる――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます