第46話「来訪者」

「理由?」

「そう、理由」

「裏技って普通に編入しただけだよ、普通に試験受けて」

「それが普通じゃないっての。引っ越しでもないのに」


 確かにオレの転校は、時期はずれ、しかも引っ越しでもない転校であった。

 周囲が疑問に思うのは当然だ。

 もちろん理由はあるにはある。でもそれは周囲に説明するにはあまりにも奇異な出来事だ。

 そしてオレにとっても――それは、とても一言ではあらわせない。

 絶望、挫折、悪夢。

 思い出したくなくても、思い起こされる苦い記憶だった。

 遠い昔の記憶ではない。つい最近。

 完膚なきまでに自分自身が叩きのめされた。

 だがつまらない噂を立てられてもしょうがない。あれこ詮索されてもつまらない。

 あったことだけしゃべればいいと今は割り切っている。


「自惚れてたんだ。自分の力を過信しすぎた。それで学校にいられなくなった」

「いられなくなったって、辞めさせられたの?」


 明美の目がいかにも興味津々といったふうに丸くなった。


「いや、自分の意志でさ……引き止められたけどさ」

「引き留められたって説得されたのに? 何かトラブルでもあったの?」


 オレは頷いてみせた。

 あの学校の異変を恨んだこともあった。

 純と皆川に怒りをぶつけたこともあった。


「同じクラスの奴をグーで……ストレート喰らわしちまって」

「グーって、それって男子でしtょ? なんか痴漢でもされたの?」

「いや、そんなんじゃないって」

「じゃあ、なんでそこまで――」

「なんていうのかな、そいつ悪夢を見たまま目が醒めなくなって……、一発叩いたら目を覚ますかもしれないと思ってさ」


 明美は目を白黒させる。


「まあ……」


 でもやっぱり駄目だった。

 オレ自身も振り返ると、馬鹿げた行動だったと思う。

 そこまで追い込まれていた。


「でもやっぱり何も変わらなくてさ」


 心も女になってしまったのだろうか……。

 あの異変で校内唯一の男として残った生徒、清久は純の望みどおりになった。

 そして晴れて天聖館高校の生徒となった。

 オレはそれをただ見るだけしかできなかった。

 何もできずただ見てるだけ。

 ただただ甘かった。

 自分は清久を守ることができる。人を助けることができる。

 理由もなくそう思っていた。

 本当のオレは、「母さん」から貰った体で、ただ単にかっこいい自分を演じていただけ。

 あの異変で変わった体を奇跡と崇めている純やタマキたちとなにも変わらないじゃない。

 オレの脳裏に思い起こされるあの光景。


―可哀想な清久。一人だけ取り残されちゃったけれど――


 嬉しそうなあの純。


―真琴ちゃんも見てよ――


 悪夢。


―清久は今はね―


 あれは悪夢。


―男の娘になったのよ―


 悪夢以外ありえない。


 なんでか知らないが、涙が出た。

 床に膝まづいて泣いた。



「真琴はその人のことどう思っているの?」

「え? どう思うって……言っても、なあ」


(どうしたいんだろう?)


「うんうん」


 答えられないオレの様子を見て、明美は頷いた。


「真琴ってその人のこと好きなんだね」

「え?」


 明美の言った意味を理解し、オレの頭が熱くなってきた。


「あっ図星だあ」

「ば、馬鹿! そんなんじゃないって」

「新発見。真琴には好きな男の子がいる。ビッグニュース!」

「この!」


 逃げようとする明美を後ろからヘッドロックにして抱えた。


「きゃあ。ま、真琴、ちょっと力ありすぎ」


 しばらくその場で組み合っていたので、近づいて来た影に気づかなかった。

 オレ達二人の前に一人の男がいた。

 じっとセーラー服姿でじゃれあう二人を見つめていた。

 明らかに用事があるといった感じだった。


「だ、誰? この人」


 明美の綻んでいた顔が気付いた途端に急にひき締まった。

 そして男に冷たい視線を送る。

 明美にとっては見ず知らずの男だった。女子として怪しい相手に対する当然の反応だろう。


「あ、いやこれは失礼したね」


 明美の体が強張る。男に対し警戒している様子を隠さない。

 もし何かあったらすぐに大声を上げそうな感じだった。

 だが、この男性にオレは既視感を感じていた。

 まだ精悍さはあるが、真っ白な頭と皴。

 そしてスーツ姿のサラリーマンの風体。

 なによりあの優しげな顔が似ていた。


「清久の……親父さん?」


 オレの呟きにその男は頷いた。


「真琴? 知ってる人なの?」

「ごめん、明美。先に行ってくれないかな?」

「え?うん……」


 オレに促された明美は怪訝そうな顔をしつつ先へ行った。

 明美が帰り道に消えたのを見届けた後、その中年の男は再び口を開いた。


「済まないね、急に現れて。以君がこの街の歴史に興味を持っていると妻からも聞いてこの辺りにいるはずだと思って待たせてもらったんだ。当てずっぽうだったけれどね」


 その男は申し訳なさそうに白髪の目立つ頭をかいた。


「急に驚いてしまったかな? 姫宮君」

「え、ええ……まさか清久の親父さんに会えるとは思わなかったので――」


 その親父さんがなんでまた今、自分の前に現れたのか疑問だった。

 自分の息子をあんな風にした元凶の一人に会いたいはずもないと考えていた。


「ここでは落ちつかない。それに君とはじっくり話をしたいと思ってたんだ」

「話?」


 自分に対してないか敵意や悪意は感じなかった。


「立ち話は何だから、ちょっとそこらに入らないかい?」


 清久の親父さんは、目の前の喫茶店を指した。

 あまり高校生が入らないような、高級感の漂う店だった。

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