第41話「夜の公園②」

「う……く……」


 身動きとれない。しかも――。

 体がやばいことになっている。妙に胸の奥が熱くなって――。

 頭がぼうっとして――。

 これ以上やられたら、魂がぶっ飛びそうになってきた――。


「ふふ――」


 マミが突然腰元に手をやる。

 そのままスカートのベルトを降ろす。


「な、何してるんだ、お前っ」


 俺を見つめたまま、マミがそばに寄ってきた。

 背の低い少女の姿のマミは、俺をのぞき込むように見上げた。


「ほら、清弘。お前は、これを望んでたんだろ?」


 口元には不適な笑みのまま。


「お、お前……」

「わかるよ、オレもこうなる前は、お前と同じだったからな……」

「やめろ、マミ――」

「なんでだよ、お前は男、オレは女だからな――嫌らしい男だもんな。オレだって」

「お前は違う、お前は……そんな」


 マミはもっと、綺麗で高潔で……。


「オレは、そんな奴さ。隠れて……だってやってるんだ」

「!?」


 片手で、股間を抑えた。


「な、何するんだ!」


 おかしい。

 知っている今までのマミじゃない。

 この淀んだ疲れ切った様子は……あの時と同じだ。

 真実。

 マミが真実だった時の、あの時の瞳だ。

 人生に迷い、疲れ切った、自暴自棄な真実。

 マミになってようやく新しい生活へと踏み出したと思っていたのに――、今のマミは、あの時の真実に戻ったようだ。

 姿を消す数週間前の――。

 つらい子供時代、苦しい学生生活、ようやく巡り会った女子学生との失恋――

 失恋!?

 まさか……。


「今じゃ翠と、あいつと同じ女なんだ。オレはあいつと同じ女だ、卑怯で――」


 いくら鈍感な俺でもわかった。

 なんでこのことに気がつかなかったんだろう――。

 一緒に暮らしているのに、そのことに気が回らなかった。

 なんと愚かだったんだ。

 マミは今はああでも真実という大学生で、そして、ここでの生活にはつらい出来事があったばかり。

 きっと、マミは今日行ったのだろう――


「!?」


 胸から溢れ出そうになった。

 その途端に、全く動かなかった体が動いた。

 マミは神じゃない。神と同じような力を使えたとしても、その力はごくわずかなものなのだろう。

 オレは抱きついていた。

 その小さな体をぎゅっと抱きしめると本当に小さかった。柔らかく細く手荒く、力を入れると壊れてしまいそうな、精巧な人形のようだ。


「何するんだ! 幼女マニア!」


 甲高い声が叫ぶ。バタバタ暴れる。

 まるで腕の中で、小鳥のように。


「ごめん、マミ――」


 俺は……。


「!?」

「悪い、お前のことわかってやれなくて……」


 俺は泣いていた。


「俺は……彼女なんかいたこともないし、ましてや……お前の気持ちもわからない」


 大学の4年間の光景を思い出した。

 授業、サークル、ゼミ、合コン――。

 遊んだりもした。

 でも真剣に誰かを好きになることは無かった。

 バイトに明け暮れ、ただ何事もなく過ぎていった。

 その同じキャンパスで過ごした時間を大学生の真実 は、俺よりももっと熱く濃厚な時間だった。

 未来に希望を持っていたかもしれない

 幼い頃から家族環境に恵まれず、つらい時間を過ごした真実。誰かと一つになり、わかりあえるようになりたかった真実の夢。

 そして破れた――。


 山本翠という一人の女子学生がその中心だった。


 あいつは真実を受け入れることはなかった。

 そして真実を捨て、大川と今つき合っている。


「だからさ……こうするぐらいしか」


 俺はマミを抱きしめ続けた。

 当たり前だ。

 神様に連れていかれて、この姿にされてしまうほどに、真実は傷を負ったのだ。

 心に癒え難い傷を。

 何もかも消え去って、何の汚れもない少女、マミに生まれ変わって、苦しみから解き放たれるために――

 あの美しく怪しい女童たちの一部になった――。あの神社に囚われたまま永遠にあそこにいれば、こんな思いをすることも無かった。

 マミを現実に引き戻したのは俺だ。

 無理矢理連れ出してここに来させたのに。


「ごめん、お前のこと、何もわかっていなかった」


 俺の浅はかさに気がついた。

 癒えていない大きな心の傷。

 そのことにきちんと向き合わないままマミはこの町に戻った。部屋に閉じこめて大学にも近付かせなかった。放っておけばそのまま立ち直ると思った。

 だが――

 実際はその逆だった。

 マミは会いに……行ったのだろう。

 なおも残る未練――。


「ううっ」


 と徐々に俺に抱えられたマミは、抵抗を止め、今度はぐす、ぐす、とすすり泣きを始める。


「なんで、あんなに簡単に乗り換えられるんだよ、別の奴に、あんなにいやらしく……」


 俺のシャツに熱い何かが濡れ始める。

 マミの涙。

 もっと残酷な現実。

 大川とできるのが、早すぎる。

 恐らく、真実との関係が終わる前から翠は……。

 二股――

 その二文字が浮かんだ。


「オレもきっとああなるんだ」


 俺に抱き抱えられたまま、マミはわずかにようやく動く腕で、自分のスカートを、また摘んだ。


「男を惑わして、心を弄んで、そして人形のように捨てる――」


 マミは少女、翠と同じ女――。

 自分の未来の姿だ。


「オレ、女になっちまってるんだぜ。立ちションできないし、髪洗うのも大変だし、スカートひらひらして気持ち悪いし――でもそんなことはいいんだ」

「ちやほやされるて、優しくされて、知らないうちに、溺れそうになるぐらいに――」

「怖い――」


 これから、真実からマミとなった。

 少女から大人の女になったら――。

 マミ自身も感じているのだ。自分自身の身体を。

 女の体に成長していくであろう自分を。

 実際今もわずかな胸の膨らみがある。


「お前は違う!」

「!?」


 高熱を発した俺を暖めてくれた。

 俺のことを心配して――。

 朝味噌汁を作ってくれた。

 以前は男だったとか、そんな理屈建前はどうでもいい。

 マミは……。

 マミは、俺にとって大事な少女だ。

 強く強く、抱きしめた。


「お前は俺と行くことにしたじゃないか」


 いつまでも続く永遠の楽園から――幻の世界から帰ってきた。

 あの少女の手の中に囚われていたマミは、俺の手を取って、この世界に戻ってきたんだ。


「俺は絶対にお前を裏切ったりしない、いつまでも――俺は誓ったんだ」


 あの神社であの少女からーマミを取り戻した。この手を離すもんか。


「うう……」


 いつしか、マミの方も、オレの体を抱いていた。

 嗚咽すら漏らしていた。


「オレ、やけになっちまって、あいつらに……」


 いつの間にか、マミの体が、小刻みに震えている。

 俺は頭を撫でた。そして待った。


「もうそれ以上言うな――」

「うう……」


 何度も深呼吸と嗚咽を繰り返した。

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