第40話「夜の公園①」

 スーパーのバイトが終わったのは、ちょうど9時を回ったところだった。

 陳列棚の整理を終えて、くたくた。閉店を知らせる蛍の光のメロディーが売り場に流れる。

 店内は客がいなくなってガランとしている。


「うーん」

「お疲れさん、清弘君」


 背中から声がかかる。

 振り返ると、人の良さそうな眼鏡をかけた中年の男性が頭を掻きながら立っている。

 この店の店長だ。


「悪いんだけどさ……君、今度の日曜出てこられるかな? 急に別の子が急にこれなくなっちゃったみたいで……」


 願ってもない申し出だった。ここのところ、積極的にバイトのシフトを増やしてもらっている。むしろお願いをしているところだった。


「あ、大丈夫っすよ」

「悪いねえ」


 マミと一緒にいたいのはあるが……何せ苦しい生活費のためだ。

 帰りの身支度を終えて、外にでると、既に真っ黒な夜空。

 空気が冷たかった。身をふるわせながら俺の下宿アパートへ戻る。

 途中、ふと財布の中身をみた。

 千円札1枚と、小銭がいくらか。

 財布の軽さに、ハァ……とためいきが出た。

 今月はまだ一週間あるのに……。

 銀行へ行って金をおろしてこないといけないな。

 今月も赤になっちまった。ここのところ、バイトだけでは補えず、これまでの貯金を切り崩している状態……。

 だが、残りの一週間、それをしのげば、実家の両親から、仕送りが来る。

 そうすれば、またしのげる。

 家計簿をつける必要が出てきたかもな。いろいろもっと切り詰めないと……

 早く家に戻ろう。

 電灯だけが照らす暗い夜道、歩みを速めた。

 途中いつもの公園の脇を通った。

 昼間は、沢山の人がいる公園も今は誰もいない。

 マミが一緒に遊んでいた子供達も家に帰っているだろう。

 歓声は聞こえない。

 公園の電灯が静かに、滑り台や砂場を照らしている――

 何の気は無しに眺めた時だった。

 キィ……

 金属の動く音がした。

 何だ?

 キコ……キィィ

 確かに聞こえる。

 公園の奥の方から聞こえる、その方角にブランコがある。

 ブランコに人影がある。

 それも子供の姿影のシルエット。

 遠く見えるそれは、髪が長く、短めのスカート、少女だ。

 あれは!?

 見覚えのあるその影に思わず走り出した。

 キコキコ、寂しげにゆっくりとブランコが揺れる。


「マミ?」


 やっぱりマミだ。

 一体こんな時間に何を。

 オレの声に気がつかないのか、その影はすっと立ち上がる。

 ふらふらと怪しい足取りでーー。


「マミ!」


 もう一度、夜の冷たい空気を破るように大きな声で呼び止めた。


「お前……」


 ゆっくりと顔をあげた。

 赤とピンクの模様の入ったTシャツ。黒いフリルの着いたスカート。

 今風の女の子の格好だ。

 外出用に着飾ったようなしゃれた感じの格好だ。

 俺がスーパーで買った安物のものとは違う。

 マミが俺がいないときに、近所の人からもらったお古。その中でも良いものを選んでる感じだ。

 とっておきのものだろう。


「きよ……ひろ?」


 俺を見上げたその瞳は少し虚ろだった。

「おい、何やってるんだよこんなところで」

 こんな夜の公園に少女が一人。

 電灯のほのかな灯りに照らされて、虚空を見つめるその姿は、儚くて危うげだった。


「おい! どうしたんだよ」

「ははははは……ふ、ふふふふ」


 突然笑い出したマミ。


「――!?」


 どきりとしたのは、笑い出したマミは昼間の元気な子供達と遊んだり、下宿先のアパートで明るい彼女とは違う――。あの双葉と一緒にいるときの妖しい雰囲気があったからだ。幻の世界に生きる少女達の美しく妖しい遊戯。

 あの時に戻ったように、無邪気に、笑う――


「マミ!」


 肩を抱いて、体を揺らした。


「一体どうしたんだよ、お前」


 てっきり下宿先のアパートで、もう夕飯の支度でもして、待っているのかと思っていた。


「きよひろ……」


 元気なく呟いた。

 視線を俺を見据えている。

 良かった、俺の名前を呼んだ。

 それに、少し温かい。だいぶ外にいたらしく、冷え切ってはいたが、人肌の微かな温もりがあった。

 だが……

 衣服に少し乱れたような跡があった。


「マミ、何かあったのかわからないが、とにかくアパートに戻ろう」


 話は、それからだ。

 腕を掴んで、連れてこうと思った。

 と――。


「オレは知ってるんだ。あいつのことを――」


 突然のつぶやきに俺も一瞬体が固まった。

 その顔に口元には不気味な笑い。


「癖も、好き嫌いも体もさ――」


 小さくて愛らしい、可愛い少女で、通っていた容姿も声も、一瞬にして怪しく艶やか。

 妖絶なモノに変わる。

「な、何を言ってるんだ」

「お前、女と付き合ったこと無いだろう――」


 その可憐な唇から紡がれるのは刺すように辛辣な言葉――。

 確かに言うとおりだ。

 花の大学四年間、全く女っ気が無い下宿暮らし。

 おそらくマミも気がついただろう。だが、そんなことは、何も今更……。一緒に暮らしていてたら明らかにわかることだ。


「マミ……いや、……お前」

「可哀想だな、大学4年間、ずっと女とつき合えず、やったことも無いなんてな」


 マミがゆっくりとひらひらのフリルのついた、めいいっぱいおしゃれをしたスカートの裾を摘んだ。


「オレは知ってる……今はこんな体だけど、知ってるんだよ」


「お前にも、教えてやろうか? というか、それが目的なんだろ?」


 俺を誘惑してるのか?

 怪しい雰囲気は頂点に達している。

 心を引きつけられそう――


「う……」


 金縛りにあったような感覚。体が魔法にかかったように動かない。

 この感覚……。

 今俺の体に刻まれた感覚が、はっきりと過去の記憶を呼び起こした。

 あの時のこと……神社で、あの不思議な、神の化身とも言うべき童女と相対した時のこと。

 体が重く鉄になったように身動きできなくなったあの時のこと。

 あの時もこんな感じで体が動かなくなった。それと同じ状態になっている。


「清弘は幼女が好きなんだろ?」


 裾をたくしあげたまま、俺の方へ一歩近寄る。


「いつも、お前、顔赤くするもんな、風呂場や着替えの時……」

「!?」


 ばれていた。マミと一緒に暮らしている間。

 微かな胸の膨らみ……少し成長しはじめた体。

 俺が興味をまったく持っていなかったと言ったら嘘になる。


「…………」

「ほら、みろお前も男だしな、それに……だしな」

「ちが……う」

「あ?」

「俺……は……違う……」

「ほらー」


 なんでだ? 体が動かない……。

 今日の昼の高橋の言葉を思い出した。

 大学の図書館で見せられた資料にあった内容。

 不思議な力を持つ神の使い。これがそうなのか。

 空気が張りつめてビリビリするほどの緊迫感。

 勝手にマミを連れ去ろうとしたことへの怒りを背にした、神聖で厳かな空気に――。

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