第39話「キャンパスにて」

 提出したレポートが、指導教官から若干の書き直しを指示されたので、朝一で早速訪れた大学図書館。

 静寂の中、人のあるく音、本を捲る音、たまに咳払いの音が聞こえる。


「お、清弘」

「よう、高橋」


 出あったのは、同じ学科の高橋だった。

 大学一年の頃、教養の選択科目の英語、ドイツ語などで、同じ講師にあたったので、よく一緒になったので、多少の面識があった。

 ちょくちょく一緒に昼飯を食ったり、試験前にシケプリを回したりしていたが……。

 専門やゼミは別々の分野にいったので、ここ最近は顔を合わすことが少なくなっていた。

 その高橋が、図書館の机に分厚い専門書を何冊も埋もれるように並べていた。


「なにやってるんだ?」

「レポートだよ。もうすぐ締め切り近いんだが、同じテーマを共同でやってた奴がいきなり失踪しちまってさ」


 そういえば、こいつ確か、真実と同じ地方の民俗がテーマのゼミに所属してたっけ。


「そいつのフォローまで俺がやることになってさ、そいつ、全然関係ないことまでやってたみたいで、どこかの村の伝承をやたらと調べてたみたいなんだ」

「まさか、それって双葉村の伝承じゃないか……?」


 それまでぼやく様に本にうつむいたままの状態だった高橋が不意に顔をあげた。


「よく知ってるな、清弘。なんでだ?」

「知ってるも何も……」


 そこで言葉をストップさせた。

 その失踪した本人のマミと一緒に同居しているとは言えない。


「い、いや、俺も、その……噂で聞いてたからさ」

「ああそうか。清弘も『あいつ』を知ってたのか」


 あいつ、とはもちろん真実のことだ。

 専門書の傍らにおいてあったA4の紙の束を手に取り、俺の前にドサっと無造作に投げるように置いた。


「ほら、ここに『あいつ』の残したメモや資料があるんだが……」

「これは……」


 投げ出された資料を手に取った。

 パラパラと捲る。

 双葉村の地図、古文書のコピーと思われるコピー、マミ、いや大学生の『真実』が書いた手書きのメモもある。


「う……」


 細かい内容までは読み込めない。だが、俺の目に飛び込んだ資料の一部が手を止めさせた。

 それは一枚の写真だった。

 おそらく古い写真をさらにコピーしたと思われ、粗く擦り切れている。

 だがはっきりとわかるのは、少女の姿。

 和服姿で、精巧にできた人形のように美しい。

 マミとは違うが雰囲気はそっくりだ。

 とても綺麗で可憐で……神秘的。

 神の申し子のように――。

 背景は石畳だけで、場所はわからない。でも御礼はわかる。あそこだ。神社の境内。双葉神社のあの場所だ。

 マミがあそこで、少女達と戯れていた、あそこ。

 俺は少女の美しさに、写真に吸い込まれそうになった。


「な、綺麗な子だろう? それは神と村人を繋ぐ神の使いさ」

「神様の使い……」

「双葉神社とやらで祭られている神様ってのが、その村の神様らしい。で、そこで出会う凄く綺麗な女童は神の使いで、その女童たちを通して村人は神様と触れあう……。その写真は神の使いを撮った貴重な写真だってことみたいだぜ」


 膨大な資料を読む間もないが、代わりに高橋が解説してくれた。

 双葉村の神、女童。俺の体験したことと高橋の話は一致していた。


「その神様の使いとやらの少女は、人の心を惑わす不思議な力を持つらしい。下手をすると心を操られたり、崩壊させられる――男も女も――だから村の掟で、手を出してはいけないらしい。下手すりゃ化け物だな」

「まさか、そんなことあるわけないだろっ」


 マミが、そんな化け物の力なんてっと思うと急に頭に血が昇った。ガタッと椅子を蹴って立ち上がってしまう。周囲の学生が何事かと顔をあげる。


「おいおい、伝承の話しただけだって、しかも真実の奴の、さ」


 とっさの剣幕に、高橋がたしなめる――。


「わ、悪い……」

「まさかそこまで信じるとは思わなかったよ。だが、随分真実の奴、本来の卒論おっぽりだして、こんなに力入れて調べてやがって……。実際に会おうとして現地に行ったのかもな、ひょっとして、本当に、そいつらに取り込まれちまったのかもな――」


 また本来の卒論の調べ物の目を落とした。

 高橋は、また真実がその女童、神の使いそのものになってしまったことまでは、思い至ってないようだ。


「ところで……清弘」


 去ろうと、テーブルから席を立とうとすると、レポートや専門書に目を落としながら高橋が尋ねた。


「なんだ?」

「お前、もう終わったのか?」


 卒論のことを聞いてきたのかと思った。


「だいたい目途はついたよ、締め切りには間に合いそうだ」

「そうじゃなくて、就職の方だよ]

「あ……」

「この時期に決まってないのは、やばいぞ。卒業したら、どうするんだよ。大学出て無職じゃしゃれにならないぞ」


 俺自身の調べ物の用事はすぐに終わった。

 大学図書館を後にしながら考える。

 ずっとマミのことにかかりっきり。卒論は、目処がついたが……

(もともと高橋のとこのような厳しいゼミではないが……)

 就活の方は後回しになっていた。

 就職すれば、収入も増えて、マミとの生活にも余裕が出る。

 そうすれば、俺達は、今の暮らしを続けられる。

 だが……もし就職できなかったとしたら、バイトだけでは賄いきれず、実家からの仕送りに頼っている今の生活は、維持できなくなるのが目に見えていた。


「やばいな……」


 キャンパス内を歩きながら、一人零す。

 就職するには、内定を貰わないといけない。内定を得るには、エントリーして入社試験を受けないといけない。

 自然、足が就職課へ向かう。

 就職課のある棟へ入ろうとすると、見覚えのある奴に遭遇した。

 ん? 大川?

 この間は、山本翠の奴と仲良さそうなカップルぶりを演じていたが――

 今日は奴も一人か……。しかもスーツ姿だった。

 髪も普段の茶髪を落として、整った格好だ。


「おい! 大川!」


 大川が振り返る。大川も就職課へ用事だった


「どうしたんだ、こんなところで……スーツ姿で」

「試験を受けた報告してきたところさ。ま、これで大体俺は終わりだけどな」


 どうやら、既に内定は持っているような雰囲気だった。

 く、大川は、テニスサークルの幹部で、いかにもプレゼンは上手そうだからな……。

 まだ何もやってない俺の方に話を振られると、嫌なので先に話題を振る。


「で、これからどうするんだ。ひょっとして山本のところか?」

「まあな」


 はっきりと悪びれずにいいのけるのは、既にお互いの関係が深いことの証明だ。

 もう隠すつもりもないのだ。きっと下宿先に向かうのだろう。


「ところで、清弘、お前は?」

「おれはこれから……バイトだ」

「そうか、じゃあな」


 スーツのまま見送った。

 まったく健全でけしからん大学生活を送りやがって。

 まあいい。

 俺には関係ない。それよりもマミのことが気になった。

 今頃どうしてるだろう。また公園で遊んでいるのだろうか。そう思いながらバイトへ向かった。

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