第38話「夢でみたもの」

 その夜。

 マミも布団を引いて眠ったが、妙に寝つきがわるいようにも見えた。

 暗闇の中で、何度も寝返りをして、呻いていた。

 

 俺は夢を見た。

 マミと俺が一緒に学校に通っている。

 山の上にある高校へ向かって通学路の階段を上っていく。

 俺は学生服。そしてマミが女子の制服を着ていた。

 でもあの制服はなんだろう? スカートが短くて、やたらと明るい色調のリボンがついたブラウス。

 ちょっと変な制服だ。

 いかにも野郎が考えるようなセンスを匂わすデザインの制服だった。

 でも変だな……。

 あの高校、俺が出た高校じゃないし、マミと俺は一緒の高校に通うなんてことはありえない。

 将来だって、今10歳ぐらいの女の子であるマミが大学生の俺と一緒に高校に通うなんてつじつまが合わない。

 それに、あのマミはなんだか雰囲気が微妙に違う。

 少し気が強そうに見える。

 女子高生のマミに似た少女はとても、綺麗で、元気いっぱいで、天真爛漫だった。

 長く続く階段をわけもなく、ひょいひょい上っていく。

 綺麗に折り目のついた紺のプリーツスカートを華麗に翻し疲れを知らぬが如くだった。

 そして、俺は息を切らしながら追いかけていく。

 あんまり先をいくので、離されそうになる。だが、一旦ふりかえった後、マミに似たその少女は、わざわざ階段を下りてきて、俺のところまで戻ってくる。

 情けなくて、うつむいてしまう。

 本来俺が守ってやるべきなのに、俺の方が脚を引っ張ってしまっている。

 もどかしい。

 でも、少女は俺のことを気遣って、戻ってきてくれたのだ。

 俺の傍らから離れようとしない。

 そのことが嬉しかった。優しい奴――。

 俺もこいつと離れたくない。


「ん……」


 目が覚めると、薄暗い部屋は、しんと静まり返っていた。

 炊飯したご飯や味噌汁の匂いが漂っていて、せわしなくパタパタ動く音。

 マミの朝支度の音。

 ここしばらくはそれが目覚まし時計代わりになっていた。

 だが、それは今日は無かった。

 意識がまだはっきりとしない目覚めの直後。

 完全に目覚めきっていない体。

 今見ていた夢を反芻した。

 俺とマミが同じ高校に通う。

 そういうのもありだよな……。

 少し笑みがこぼれた。


「ふわ……」


 欠伸と共に伸びをすると、ゆっくり起き上がる。

 窓から挿す眩しい日光が無い。

 その代わりに外でパラパラと叩きつける音がする。雨が降っているようだ。

 確かになんだか空気がじめっとした感じがあった。

 俺の横で、マミが布団を被って寝ている。

 時計を見ると、朝の5時半だった。

 どうやら、俺の方が早く起きてしまったみたいだ。

 いつもは6時過ぎぐらいに起きだして、朝の準備を始める。


「今日は俺がやるか……」


 マミはまだぐっすり寝ていた。

 昨晩は、寝つきが悪く、眠りも浅かったのか、何度も目を覚まして、トイレに行っていた。

 それでも夜中には、ようやく眠りにつけたようだった。

 体が子供になったせいか、マミは睡眠時間が大幅に増えた。

 寝る子は育つというが、まさに寝ることは小さな体には大事なのだろう。


「う……ん……」


 マミは寝返りをうって、布団がパサっと捲れた。

 パジャマになった。

 小さな女の子体――体に成長の兆候があるとはいえ、まだまだ子供。

 この小さな身に色々なことを背負っている。

 辛い子供時代、男子大学生の過去、そして新しい俺との生活。

 少しでも和らげないと――。

 無理や負担をさせたらすぐに壊れそうだ。

 とても儚く、消えそうだ。

 俺の手を差し伸べないと。

 俺はまたマミに布団をかけなおした。


「え……と今日は燃えないゴミの日か……最近やってなかったから忘れかけちまった」


 アパートの壁の脇に貼っていたゴミ出しの分別表を見ながらつぶやく。

 ゴミを片付け、纏めてた。

 マミがいつもよりだいぶ遅れて起きた時には一通りのことを終えていた。


「あ、しまった!」


 ゆっくりと目覚めたマミは、七時半を過ぎた時計を見てガバっと起き上がった。

 既にテーブルに朝食を用意して待ち構えていた俺はその一部始終をじっと見ていた。

 マミは俺に気づいて、顔を赤らめていた。


「なんだよ、起こしてくれれば良かったのに……」


 布団から抜け出したマミは、パジャマ姿のままで、テーブルについた。


「なあに、これぐらい気にすんな、いつもお前にやらせてるからな。今日は俺にもやらせろって」


 労いの言葉を忘れずに添えておいた。

 マミは家事をやることを自分の存在意義の1つにしているところがあるから――

 それを奪う形にしてはいけない。


「悪い……寝坊してさ……」


 朝食にトーストと目玉焼きにハム、牛乳。

 ま、これぐらいなら俺にもできる。

 料理上手なマミに比べたら駄目だが。


「いただきます」


 マミが食べる前にきちんと手を合わせるので、俺も合わせて手を合わせた。


「いただきます」

「どうした?」


 トーストも目玉焼きも平らげ、朝食を終えようとした頃、そっと、俺の方を伺うような視線をマミが送っているのに気づいた。


「そ、そのさ……オレも久々に大学いってみたいんだけど……」


 マミが口を開いた。


「大学?」、


 その口から『大学』という言葉が出てきたことに戸惑っていた。

 これまで、マミは努めて今の姿、子供の女の子らしく振舞うようにしていた。

 公園で子供達と遊んだり、近所のお年寄りと触れ合ったりしているのも、極力そのことをからかったりせず、俺もマミを女の子としてみるようにしていた。

 マミは俺の手で新しい未来を与えてやる。女の子として新しい人生を――。

 そうしていくうちに、ここ最近は、すっかり子供であるイメージが浸透しつつあった。

 どっからどうみても女子小学生にしかみえない。

 マミが、赤いランドセル姿で通学するイメージを妄想に描いていたぐらいだ。

 大学という言葉で、マミがかつて、真実という男子大学生だったという急に現実に引き戻された。

 何か心境に変化があったのだろうか……。


「ほ、ほら、色々置いてきたものがあってさ、ロッカーの中とかにIDカードとかあるしさ」


 確かに、マミ、いや真実としての学籍はまだ残っているはずだ。退学手続きなんてものはしていないし。


「それなら、俺が取ってきてやるぞ?」

「い、いや、それだけじゃなくて色々と……そ、そうだ、卒論手間取ってるだろ? 手伝うよ」

「いや、大学図書館は子供は入れないぞ?」


 大学の図書館は、市民図書館と違って、子供や部外者はおいそれと入れない。

 IDカードがあっても、入り口には警備員が立っていて止められるし子供はとても入れない。


「そ、そうだ、よな……」


 ようやくあきらめたようだった。

 俺も頷く。マミの正体が周囲にバレるのはまずい。

 面影があるものの、この美しい少女と真実が同一人物であることを気が付くのは難しい。

 せいぜい妹か、そこからか……。

 だが俺が気が付いたように、勘の良い奴が他にもいて、何かのきっかけでバレるようなことがあるかもしれない。

 大学には学生である真実のことを知っているのが多いのだから、キャンパスに戻るのはリスクが大きい。

 それは本人もわかっているはずだ。

 もしばれたとしたら……。

 最悪、この町にいられなくなるかも……。

 極力前に真実がいた辺りには近寄らせないで、このアパートに居させる方が良い。

 ここが一番安全だろうから……。


「さて、後片付けするか」


 そうこうしているうちに、目玉焼きやパンを二人とも平らげてしまい、皿を片付け始めた。

 いつもごちそうさま、お粗末様と、律儀に手を合わせるマミだったが、(双葉様へ感謝と無事の報告を兼ねて祈るらしい)妙にそそくさと、片付けを始めてしまった。

 俺が朝食を作ったからせっかくのことだし、後片付けもやろうと思っていたのだが。


「さて、俺もそろそろキャンパスに行くか」


 今日提出しなければいけないレポートを、鞄を入れる。


「お、いってらっしゃい」

「マミ、今日はお前はどうするんだ?」

「あー、うん、ま、また公園に、行こうかな?」


 キッチンで皿を洗うマミはエプロンをした後姿で、俺の方をチラ見した。

 公園へ行くのはマミのここ最近の日課だ。

 最近は公園にやってくる多くの子供達と親しくなり中にはマミ目当てで遊びに来る子供やお年寄りがいるらしい。公園は、以前よりも子供や老人が増えたようだ。

 ただマミはただ遊ぶだけでなく、どちらかというとその後色々なものを父母や近所のお年寄りから貰ってきたりするのも目的だったりする。

 夕食のおかずだったり、古着だったり、小間物だったり。

 少しでも生活の足しになるように、と。

 そうか、今日もマミは公園で遊ぶのか。

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