第36話「夜の安らぎ」
風呂から出るとアパートの部屋には、ほどよく空腹になった腹に応える、いい匂いが充満していた。
マミが夕食を作ってくれたのだ。
豆腐の味噌汁と焼き魚にごはん。
帰りがけに寄ったスーパーで閉店間際で買った安売りの魚と豆腐。
もう定番となった食事だが、マミの料理は一流だ。
味付けも微妙に変えているし、毎回楽しみだ。
美味い、そしてマミと一緒に食べる夕食。
「ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
食べ終わると、マミは、俺の食べた食器まで片付ける。
「お、おい、そこまでしなくてもいいぞ」
「いいから、いいから―」
自分と俺の分の皿をキッチンに持って行く。
小さな体でよいしょ、と、食器を流しに降ろす。
マミは、俺の下宿に身を寄せて以来、この手の家事を自分の仕事だといって、自ら進んでやっている。
男子大学生だった真実から、十に満たない少女になったマミは、元にあった真実の生活基盤を全て失っている。
だから、身を寄せる場所がどこにもない。
だから俺が、その身を預かっていた。
衣食住はとりあえず確保したが、そこからマミという一人の少女、人間として生活をしていくのに、まだその基礎がない状態だ。
日々の生活で何もすることがない。毎日俺が大学から帰ってくるのを待つだけ。
だから、自ら進んで仕事をみつけているのだ。
最初はやめてくれ、俺も言った。
だが、ふと思った。
こいつが見つけた仕事を奪ったら、こいつの居場所を奪ってしまうのかもしれない。
だからマミのやりたいようにさせることにした。
それに小さな女の子にご飯を作ってもらってる大学生って、ひょっとして日本全国探しても俺だけかな? という妙な夢想もしていた。
「マミ、お前も風呂に入れよ」
「ああ、ありがとう」
皿洗いを終えたマミは、ようやく一息ついた。
マミが風呂場へ向かう。
しばらく後、じゃぶじゃぶと風呂場から音が聞こえる。
そして、部屋に一人になった俺は少し思う。
あいつにどうにかして、もっと居場所を与えられないものか……。
ずっと毎日この部屋で過ごすだけじゃなくて。
同じぐらいの背格好の女の子なら赤いランドセル背負って学校へ行っているが、それにはどうすれば、いいか。戸籍とかもどうすればいいのやら。
「よ、いい湯貰ったよ」
う……。
やがて、風呂から出てきた真実。
バスタオルで体を拭き拭き。
こいつ……。
風呂から出たら、そのままうろつく癖がある。
「髪洗うのが毎回大変だよ」
バスタオルで一生懸命水分をふき取っているがまだ湿っぽい髪が揺れる。
「えーっとどこだったかな……」
自分の衣服を置いてある箱を探す。
かろうじてタオルで隠しているが、わざわざ目の前まで来なくてもいいのに。
それにしても見れば見るほど肌、すべすべだ。本当に綺麗だ。
顔から胸、腹、腕、太もも、脚――。
投売りセールで買った5枚で200円のアニメキャラプリントのパンツであることが玉に瑕。
前開きの無いブリーフと同じとは本人の談だが……
でも俺から見ると、違う。本当に女の子なんだ。
毎日、毎日、この風呂上りの時間は際どい時間だ。
注意すれば、いつでもできたのに、放置してしまっている俺がいけないのか……。
「あー」
そして俺はマミの体のある変化に気が付く。
ほんとうにささやかだが……
胸に膨らみが微かに見て取れる。
よく考えたら、マミの年は、ちょうど思春期。
女の子は男の子より早く二次成長が始まる。
あれぐらいの容姿の女の子は成長を始める年頃。
女子小学生の高学年の手前くらいか?
白い下着のシャツを着たマミは、よくみると、時折胸の辺りを気にかけている。
擦れるんだろう――。やや薄っすら、Tシャツに突起が浮き上がっている。
マミの体は今、成長してるのだろう。
少し安心した。ひょっとしたらこのままずっとマミは子供のままじゃないか。
そんなふうに思うときがあったからなおさらだ。
布団を敷いて、寝る間際だった。
「清弘。そろそろ就職活動だろ? セミナーとかにもいかないといけないんだろ?」
「ああ、まだ卒論終わってないから行ってないけど」
「頑張れよ。オレできる限り支えてやりたい。今厳しいんだろ?」
「心配するなって。まあでも就活うまくいけば、収入が増えるし、もっと今よりいいアパートにいけるから俺達も安定してやっていけるようになるなあ」
「そうか、でも苦しい……だろ?」
「え?」
「生活費、オレがいるから、二人分かかっちまうし」
真実の言っていることは正しい。実際二人分の生活費は結構厳しかった。だが俺はそんな素振りをしないようにしている。
「バイトと仕送りもあるし、十分さ」
「なんで、こんな良い匂いがするんだろう―」
布団に入るとマミはすぐに眠ってしまった
寝つきがとても良いのは体が子供だからだろうか。
俺の隣で、すやすやと寝息をたてている。
穏やかな寝顔だった。
いい匂いだ。
マミから、髪や体の匂いがただよってくる。
同じ石鹸とシャンプーを使っているはずなのに。
なんでこんな良い匂いがするんだろう。
「むにゃ……ん……ぐう……双葉、様……オレ、あいつとちゃんと……やって……心配いらない……」
寝言を言っている。
双葉様、マミはまだ、あいつのことを忘れちゃいないのか。
もちろん大きな存在であることはわかる。
だが囚われたままでは駄目だ。
なんとか、なんとかこの暮らしを安定させてこちらの世界に取り戻したい。
あの山奥の寂しい神社にいた頃のマミの記憶を過去のものにしたい。
心地よい香りに包まれて俺も眠りに落ちていった。
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