第31話「帰る場所」

 どれくらい眠っていただろう。

 ようやく目覚めて布団から起き上がる。

 部屋の窓から差し込む光が眩しい。もう陽が高く、昇っていた。


「ふわぁ……」


 大きな欠伸がでた。

 体調も良い。久々にたっぷり寝たおかげで、昨日までの身体のだるさもすっかり取れている。


「あれ……」


 辺りの様子を見回して、変化に気付く。俺がこの間から止まっている宿の部屋。四畳半の小さな部屋。旅行用のバッグ。

 俺は浴衣に着替えられている。

 一体誰がここまでやったんだ――。


「あー真実!」


 いない。

 ここにいた、あいつが――。

 慌てて立ち上がったと同時に、部屋の出入りするドアがぎいっと開いた。


「あ、起きたか? 清弘」


 ドアの向こうからひょっこり、女の子が現れた。

 白い襦袢姿の子だった。

 袂と裾を紐で縛って、動きやすい格好をしていた

 そして手に持った盆には、お粥があった。

 それに風邪薬と水も――。


「真実、お前……」

「びっくりしたよ。昨日は戻ってくるなり、ぶっ倒れるからさ」


 俺の布団の傍らで座り、お盆を置いた。


「真……」


 見た目はこんなに可愛らしい少女なのに、この男の口調。


「ん? どうした? まだ気分悪いのか? うわっ」


 俺は、顔を覗き込んだ、真実を抱きしめた。

 今は小さくなってしまったその体を。


「良かった……」

「まったく、こんなところまで追っかけてくるなんて無茶しやがって……」


 だが、真実は抵抗しなかった。

 少し照れてはいる。

 真実は、俺の説得を受け入れた。

 またこちらの世界に戻ってくることを選んだのだ。


「そろそろ準備しないと……帰ろう」


 真実はしばらくは、そのまま身を任せていたが、やがてゆっくりと腕の中で小さく呟いた。


「そうだな」


 ゆっくりとその小さな体を離した。

 今はまるで小学生と同程度の女の子になってしまっているが、とにかく戻ろう。

 そして、全てはそれからだ。





「あ、あの……昨日はありがとうございました」


 病気の俺の為の食事や薬まで用立てしてもらった旅館の老夫婦にお礼を述べる。


「気にしないでおくれ。困ったときはお互いさま」


 お婆さんの方が笑顔で答えてくれた。


「しかし、可愛い娘じゃの。村の言い伝えの『双葉さまの娘っ子』みたいじゃ」

「おや、爺さん、本当に信じているのかい?」


 真実は旅館を営む老夫婦に可愛がられている。

 色々用立てしてもらったのも真実が頼み込んでくれたからだ。


「その……『双葉様の娘』ってのは……」

「双葉様の娘はな、着物を着たそれは美しい娘らしいんじゃ。たまに村に降りてくることがあるそうな」


 真実の頭を撫でた。撫でられる真実は笑顔を浮かべていた。

 か、可愛いな……。


「あんまり美しいんで、その昔、神社から降りた娘を誘わかそうとする野盗もおったそうなんだが、その度に双葉様の怒りをかって、天罰が下ったそうな」

「天罰?」


 連れ出そうとした時に俺に襲った異変を思い浮かべた。まるで金縛りにあったような……そして、鉄の塊のように重くなった真実の体。

 あの時、真実が助けてくれなかったら……。

 その先どうなってただろう? まさに天罰を受けていたのではないだろうか……考えるだけゾッとする。


「じゃから、遠くから愛でるのが一番じゃ。そして仲良くなって神社の外へ連れて行っても必ず双葉さまの娘は、双葉さまにお返しするのが掟なんじゃぞ。しかし、この娘、本当に双葉さまの娘に見えるのう。違うのかい? あんた」

「そ、そいつは、い、妹です」

「ほう年の離れた子じゃな―」


 一瞬真実は首を捻ったが、すぐに笑って頷いた。


 その日のうちに、俺は東京へ戻る準備をした。

 俺の持っている服はもちろんサイズが合わないので、旅館の老夫婦になんとか用立てしてもらった。

 いらなくなった孫の服とかが、まだ倉庫の中にあるというので、それを譲ってもらった。


「なんか、兄妹よりも親子みたいだな」


 出立の時、真実がそう冗談めかしてこぼしていた。

 子供用の服がすっぽり収まった真実をみると、大人の格好の俺が並べば、完全に親子だった。

それに、ここのところ、あまり身なりとか考えなかった生活だったので、少し髭も伸びていた。おっさんぽくなっている。

 確かに、周りからは親子なのか兄妹なのか悩むだろうだ。


 世話になった老夫婦にお礼を言って、俺たちは双葉村を後にした。

 地元に唯一の駅から在来線に乗り、新幹線に乗りかえ、再び東京の大学の下宿先に戻った。

 俺の暮らす1DKのボロアパートの二階。

 そこの隣には真実の部屋もあるのだが、今は鍵が閉まっていて、片付けられていた。

 真実は残念そうな顔をしていた。

 おそらく義理の両親が帰って来た時に片付けて行ったのだろう。

 真実が、かつてこの部屋にいたという痕跡が、跡形も無かった。

 同じ大学に通う学生として、この同じアパートで暮らしていた記憶。

 思い起こせば、入学を控えた三月に、この部屋に引っ越してきた時に、真実も同じように部屋の準備をせっせとやっていた。

 掃除をしたり、布団を持ち込んだりしていた。

 俺は両親が来たり、同じ地元から東京に出てきた奴もいたりして、早くもアパートには、出入りがあったが、真実はいつも一人で黙々と準備していた。

 挨拶した時に、同じ大学、それも同じ学科に通うとわかり、早速打ち解けた。真実は、初めて越してきて話し相手ができたと喜んでいた。

 そう……真実とはここが始まりだったんだ。

 ともかくアパートに戻った俺と真実は部屋に入った。


「失礼するよ」


 真実のために寝床を作らないと。

 とりあえず、俺はキャンプ用の寝袋に寝ることにした。

 真実は、いらないと言い張ったが、構わなかった。

 風邪でも引いたら大変だ。なんたって真実は子供の体だから、風邪を引きやすいだろう。


「さて、寝るか」


 とにもかくにも明日からだ。電気のスイッチをオフにすると真っ暗闇。

 徐々に暗闇に目が慣れて天井がぼんやりと映った。

 ようやく、俺は真実を取り戻した。

 幻のような世界に囚われていた一人の人間を救ったのだ。

 満足感が合った。

 布団に寝転がりつつ、ここ数日の不思議な体験を思い起こす。

 出会った神社の少女たち。

 ただひたすら神様の下で遊ぶ。

 彼女たちはかつて、心に傷を負い、生きることに光をなくした。

 人の世の事を忘れて遊び暮らすのだ。

 それらは全て幻、夢のようにも感じる。

 だが、それが現実である証拠はこの真実だ。

 男子大学生だった真実が、今少女となって戻ってきた。


「まさか、清弘が来るとは思わなかったよ」


 暗闇の中、真実がポツリとつぶやいた。


「なあ、お前に何があったか、聞かせてくれないか?」


 何がお前をそんなにしたのか。

 一体どうして、誰が。

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