第32話「告白」

「そんなに大したことじゃないんだ……」


 そこで言いよどんだ。何だか恥ずかしそうにして、そして思い切ったように口を開いた。


「俺、彼女に振られた」

「は?」

「だから、振られた」


 体中に衝撃が走った。


「彼女!? お前彼女がいたのか?」

「あ、ああ、アルバイトで知り合った子だけどさ」

「そういえば、お前入学した頃からバイト始めてたもんな。でも気づかなかったな、同じアパートにいたのに……」


 文字通りの苦学生ではある。

 真実の彼女か、ちょっと興味あるな。


「どんな子だったんだ?」

「うーん、もう写真も無いけど……、幸せではあったよ。でも、俺は彼女に依存しすぎていた」


 その優しさが無限にあるものだと思っていたのかもしれない。

 三年以上付き合った彼女と別れることになった。

 大学に入って間もなく、出合った彼女だった。

 初めての相手だった。

 本気で好きだった。

 出会った頃からいままでも。

 就職後には結婚も考えていた。

 だから、真実は日曜日のある日、一緒に出かけたときに切り出した。

 同棲を始めよう、時期が来たら結婚しよう、

 だが返ってきた答えは拒絶だった。

 頭が真っ白だった。

 荷が重い。

 求めるだけで苦痛だったという―

 俺の寂しさを紛らわせるためだけの付き合いには耐えられないと。

 一方的な愛には耐えられない。

 

 何も考えられなかった。

 何故?

 女は彼女以外考えられなかった。

 遊んだ思いでは数え切れず。

 日曜日のショッピング、遊園地、旅行。

 毎日、会えない日には電話をし、朝まで部屋で、話しながら過ごした日もあった。

 自分の全てを捧げた。

 なのに何故?

 

 大学にも行けなくなった。就職活動も手につかなくなり、毎日ぼんやり過ごした。

 夜中の町をぶらぶら歩いても、心に空いた穴を埋めることは出来なかった。

 一人取り残された。

 それからのことだ。

 夜な夜な真実の枕元に少女が立つようになった。

 着物をきたおかっぱ頭の少女だ。

 寝ている俺を覗き込んでいる。

(君は、一体誰なんだ?)

 少女は何も言わない。

 ただ真実をじっとみつめるだけだった。

 やがて夢の中で、少女は俺を誘い、どこかに連れて行く。

(待ってくれ!)

 どんどん真実の前を走って行く。

 その後を追いかけた。

 気がつくと、山に囲まれた萎びた山村にいた。

 山、川、野原。あるいは神社の境内。寂れた農村、田畑。

 少女が一人で遊ぶ。

 春には花の咲き乱れた野原、夏には、川のせせらぎ、秋には、赤く染まる森の木。

 可憐で、儚くて、そして楽しそうに。

 それをみると真実も心が癒されて幸せな感覚になる。

 兄弟のいない真実にとって、それは懐かしい光景だった。

 遠い昔、もういない母親と遊んだ記憶が蘇った。

 真実はそれを離れたところから見ていた。だが少女に触れることは出来なかった。

 近づきたかった。

 だが、近づくと離れてしまう。

 いつももどかしい。少女に語りかけたい。

 その思いで、胸がいっぱいになっていく。

 そこで目が覚める。

 また、現実の世界へ。

 変わらぬ現実。

 一人ぼっち。


 少女に会いたい。

 それから真実は、夢で見たそこがどこだか、調べた。

 何故だか、夢の光景は、実際にある場所に思えた。

 そこへ行けば会える。

 図書館で民俗や神社を扱った書籍をあさった。

 専門の大学の教員に尋ねたこともあった。

 そして突き止めたのが、この双葉村だった。

 旅費を集め、取るものもとりあえず真実は向かった。

 電車を乗り継ぎ、バスもやっとこさ通るような過疎の村だった。

 村に降り立って胸が熱くなった。

 あの夢で見た光景と同じだった。

 少女の姿を求めて村中、農家や畑、小川、花畑。探し回った。

 最後にたどり着いた神社で真実はついに見つけた。

 あの少女だった。少女は俺を待っていたのだ。

 そして、気が付いたら少女を追いかけていた。

 少女に触れることが出来た。

 小さく暖かい。

 そのまま少女を抱きしめた。少女も俺を抱きしめる。涙が出た。


「お帰りなさい。マミちゃん」


 ただそれだけ、言った。


 体中が暖かいものにつつまれていって、感覚も薄れていった。

 そこで意識が途切れた。

 

 気がついたら、真実は自分ではなくなっていた。

 神社の境内で、あの少女たちの一人となっていた。

 あの華麗な着物を着て、世界から隔離された世界で、遊ぶ少女の一人になっていた。

 自分がー女の子になっている。

 体が小さく、色白で髪も長くなって、手足もちっこくなっていた。

 股間にはあの慣れ親しんだものはなく、毛すら生えていない。割れ目しかなかった。

 だけど、心は妙に落ち着いていた。

 自分の居場所を得た。

 もうどこにも行く必要がない。ここにいていいんだ。

 そう思うと、心が安らいだ。

 そして、それから女の子の遊びをやった。

 毎日、毎日、鞠つきやお手玉、綾取り、水遊びに鬼ごっこ。

 女の子だけの世界。

 何も考えないでよかった。

 ただ遊んでいるだけでよい。

 時々、昔のことを思い出しそうになると、双葉様がやってきて、抱きしめてくれた。

 楽しかった。いつまでも少女ように無邪気に遊ぶ。

 そしてすっかり世間のこととか、外の世界のこととかも忘れようとしていたときだった。

 真実はこのままこの神社の少女の一人――橘真実はもういない。双葉さまの一部となっていく。それでいいじゃないか。

 そんな時に清弘(おれ)がやってきた。

 あの神社の境内で、かくれんぼをしていた時。

 まさか……。

(自分のためにやってきたというのか―)

 あまりに意外な相手だった。

(清弘……まさかお前が来るなんて……)

 

 真実が一通り語り終える。


「そうだったのか……」


 俺はことの重大さに気付かされる。

 あのまま真実は神社の少女になっていたら、まさに消えていた。双葉という少女の作り出した世界の一部になってしまっていた。

 大したことではない。ただ連れ戻したかっただけだった。

 でも消えかけていた一人の人間の存在を、もう一度この世界に取り戻したのだ。


「なあ、一つ聞きたいんだが、その、お前の彼女って……」


 気が付くと、真実は眠っていた。



 次の日、俺は真実の保護者であるらしい夫婦のところへ行った。

 どうやって真実のことを話そうか悩んだのだが、とにか伝えることが肝心だと思いきって訪問した。

 だが、保護者であるはずの夫婦のその反応は意外なものだった。


「鷹野君。どうもありがとう、でも、もういいんだ」


 それは柔らかな拒否。

 初めて知った。

 真実の親を名乗っていたのは、親戚で、本当の両親ではなかった。

 真実の両親は、幼い頃に事故でとっくにいなかったのだ。

 警察への捜索願も大学の下宿まで探しに行ったのも失踪した真実の保護者としての義務感としてやったに過ぎないことだった。

 もう探さなくても良い、と言われた。

 むしろ俺がここまで真実のことを探したことに、驚いていたらしい。

 もう関わらなくても良い、と言われた。

 結局今の真実のことを切り出せずに終わった。

 お礼の言葉はあった。今回の旅で要した路用の金も贈られた。だが、そっけないものだ。追い立てられるように俺は真実の実家を後にした。

 釈然としない。


「おかえり、どうだった?」


 外でこっそり待機していた真実。


「まったく……なんなんだよ」


 だが、どうやら真実はこの反応を予測していたようだった。


「清久、気にしないでくれよ」


 真実はようやく、これまで語ってこなかった自身の生い立ちを話し始めた。親戚家族が一家団欒しているときも、輪に入ることはなく、一人部屋で、勉強し、本を読んで過ごしていたらしい。


「ちくしょう、あいつら。なんだよ、真実のことを邪険に扱いやがって」


 俺は帰路につきながら、思わず一人ごちた。

 夫婦の態度には、真実がいなくなってかえってスッキリしたと いう態度も見られたのだ。

 だからあんなにあっさり真実のいたアパートをさっさと引き払ったのだ。

 とうとう最後まで、真実のことは言えなかった。

 だが、真実は、憤る俺を宥めた。

 育ての親への恨みはないという。


「それでもさ、俺を大学まで行かせてくれたんだ。そう世の中、綺麗ごとばかりじゃないからな」


 仕送りは無い状態だから、バイトや奨学金でぎりぎりだったらしい。

 真実の希望で、帰る途中に墓にお参りに行った。

 実家から少し離れたところにあるお寺だ。俺も伴って訪ねた。

 真実は、両親の墓前に花を添えつつ呟いた。


「オレ、母さんの顔も覚えてないんだけど、ある言葉だけは何故か覚えてたんだ」


 真実の母は、出身地がわからず終いだったという。

 だが、鮮明に憶えていることがあったらしい。

 ある時、まだ物心つきたてのころだった。

 その腕に抱かれていた頃に、真実に語ったことがあったらしい。

 その言葉とは、

『もし母さんたちに何かあっても、真実には双葉様が付いている』

 恐らく今になって考えてみれば、真実は双葉村の筋の子だったのだろう――。


 だが、くそ、真実の居場所が……。

 居場所がなくなれば、真実をまた、あの村に返すことになりかねない。

 あれだけ、タンカ切ってつれてきたのに、もう駄目なのか?

 帰りの電車の中席に座る。真実は、窓を見ながら、足をプラプラしている。


「居場所がないなら作ればいい……」

「ん? なんか言った?」


 窓の流れる景色を眺めていた当の少女が振り返った。

 いや、俺は実家から仕送りを貰っている。

 まだ余裕がある。


「なあ、真実、俺んとこ来るか?」


 他人に頼ることは無い、いなけりゃ俺が引き取ればいいさ。

 女の子一人だ。

 一緒に暮らせないなんてわけないさ――。


「お前のとこに?」


 目を大きくした。


「でもさ、迷惑かけないか?」

「俺、これでもアルバイトもしてるし、貯金もそこそこあるんだ」


 一瞬黙った。そして、俯いた。


「う、うん……それなら……」


 行く充ても無い。答えは決まっていた。

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