第30話「神の前で」

 夜遅くまで激しい雨は降り続けた。


 麓の宿泊所に戻ってきたときには、大粒の雨が滝のように打ち付けていた。

 一日中冷たい雨に打たれた俺は、ここ数日の疲労もあいまって、一気に体調が侵されていた。

 戻ってくる最中、ずっとダルく、足元がふら付いて今にも崩れ落ちそうだった。

 明らかに高熱があった。

 だが、背中にあいつがいた。

 あいつには、雨が当たらないように、カッパを着せた。代わりに俺がその雨を受け止めた。

 ここで倒れてなるものか。

 ようやく麓の旅館についた。

 そのまま俺は泊っていた部屋に戻って倒れこんだ。


「清弘! 清弘! 誰か呼んでくるから待ってろ!」


 叫び声が聞こえたが、意識が薄れかかっていた。誰かばたばたやってくる。

 そのまま――。

 酷い高熱を発していた。

 体は全身寒気。布団を被っても、震えが止まらない。

 だれか、だれか俺に暖をくれ――。

 だが、ここは山奥の鄙びた村の旅館。

 医者も薬も遠くにいかなければ無い場所だ。

(!?)

 暖かい――。

 不意に体に染みるような温かみが起こった。

 それは人肌の温もりだった。

 良く見ると、そこには、黒い長髪が見えた。

 小さな頭があった。

 女の子が俺が包まっている布団の中にいる。


「無茶しやがって……」


 裸?

 心地よかった。こんなに気持ちいいものがこの世にあったなんて。

 冷えきった体に、明りが灯ったように熱が回復していく。

 人肌の温もり、女の子の温かさ。

 やがて、その心地よさに誘われて、眠りに落ちていった。

 その間、夢を見ていた。

 夢は、今日の起きた出来事だった。

 俺は真実を取り戻した。










 雨の神社の境内。

 俺は、真実の化身と思われた少女を、神社から連れ出そうとした。

 この神社の神に囚われている少女を――。

 そして、少女を背負い出ようとした鳥居の下で、俺の前に立ちはだかった別の少女が現れた。


 俺はあの時、真実を背中におぶっていた。

 神社の境内の石畳の上。雨に打たれたまま……。

 凍てつくような視線で少女は俺を見据えていた。


「どこへ行くの? お兄ちゃん?」


 透き通るような冷たい声は、ただでさえ十月の雨で冷える俺の身をさらに凍らせる。

 この子こそ、この神社の氏神だ。

 真実を女童の姿に変えてしまった神。

 背中の少女が震えていた。

 駄目だ。ここでひるんでこの手を放したら、もう二度と掴むことはできなくなる。

 この少女に真実を渡してしまう。


「あ、足が!?」


 足が地面とくっついたように動かなかった。

 おかしい。

 まるで足が本当に人形の足になってしまったかのように、ぴくりともしない。

 魔法にかかったようだ……。

 逃げることすらできなくなった。

 ゆっくりと少女が近づいてきた。


「く……」


 ここで怯んではだめだ。

 崩れて膝をついたら、真実を明け渡してしまう。

 なんとしても背中の真実を離したら駄目だ。

 少女が手を差し出した。

 俺に向けてではない。

 背中の真実にだ。


「遊ぼう、マミちゃん。こっちへおいで」


 その声は、背中のマミを震えさせた。


「一緒にカルタしよう―お手玉しよう―」


 その震えは、恐怖ではないとわかった。

 必死に、耐えている。

 誘惑に負けまいと。この少女の手をとりたくてとりたくて仕方がないのだ。

 この少女の楽園、幻の世界へ残ること。

 だが、囚わた真実は幻と消える―


「真実、行くな―。俺は……」

「マミちゃん、悲しいことも苦しいことも忘れて―一緒に遊ぼう」


 くそ、何で体が動かないんだ? 崩れ落ちそうだ……。

 背中の真実が重くなってくる。

 石の塊……鉄の塊を背負っている。これも少女の菅をした神の仕業なのか? 

 俺に真実を手放すように仕向けている。

 重さに耐え切れなくなり、崩れ落ち、跪くように―


「ち、ちくしょう……」


 これが神と人間の違いというのか?


「マミちゃん行かないで」

「みんなで一緒に遊ぼう」


 引き留める言葉が次々にかけられる。

 俺は声も出せない。


「ごめんさない―」


 真実の振り絞るような声に、あの神の使いのような少女は無表情に、少し首をかしげた。


「双葉ちゃん、いや、双葉様。ごめんなさい。オレ、やっぱり忘れられないよ―」

「真実……お前……」


 背中から嗚咽が聞こえた。泣いているのか? 真実……。


「悲しいことがあっても、どんなに苦しくても……でも……清弘が来てくれたんだ……」


 俺の名を口にした瞬間、俺の心に再び暖かい灯が点った気がした。

 と同時に、鉄の塊のようだった真実の体がまた軽くなった。

 足も動いた。

 俺は、構わず、足を踏み出した。

 俺が歩き出して、まさに少女と接触するまで近づいたときだった。


「いってらっしゃい、マミちゃん」

「ふ、双葉ちゃ……様」

「いっちゃうんだね、マミちゃん。もっと遊びたかったな。もうすぐ雪遊びができたのに」

「ご、ごめんなさい、双葉様、オレ……」

「ううん、マミちゃんが決めたことなら、双葉は止めない」


 真実に語りかけていた少女が、その優しい表情を急に変えた。

 無表情、氷のような冷たさで俺に語りかけた。


「お前、マミちゃんを泣かしたらただじゃおかないよ」

「泣かせるもんか。俺は……離さない」


 あっけなかった。

 そのまま少女は、俺の横を通り抜け、神社の方へと歩いていった。

 鳥居を出ようとしたとき、ふいに歓声というか、ざわめきが背後にした。

 見たら、いつの間にか着物を着た女の子たちが、神社の本殿の上から、盛んに手を振っていた。


「いってらっしゃい、マミちゃーん」

「また、いつか戻ってきてね」

「鞠つき、一緒にやろうね」


 見送りだった。

 何十人もの女の子が一斉に、旅立ちの名残を、惜しんでいた。

 俺の背中に負ぶわれた少女も手を振った。

 俺は神社を背にして、出口の階段へと歩き出した。

 あの長い長い階段だ。

 木々に覆われ、薄暗く、トンネルと見まごうような階段を下った。

 そして――神社を抜け出した。

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