第29話「降りしきる雨の境内で」

 その晩旅館に戻った俺は眠ることができなかった。

 あの少女達のことについて、一つの思いが頭を駆け巡っていた。

 村人も知らない、あの神社しか現れない少女達。

 そしていつまでも続ける遊び

 その奥に秘めた悲しみ。

 まるで過去のことも、外の世界のことも忘れようとしている。

 布団を被ってもなかなか寝付けず、暗い天井を見つめていた。

 その時――。

 何故かあるイメージが俺の頭をよぎった。

(子宮――まるであの境内は子宮だ)

 あの神社。

 みればみるほど外部からは閉ざされた場所だ。

 単純な内部だ。礼拝施設も、集会所のような附設物は無い。

 そしてだだっぴろい境内は鬱蒼とした山の木々に囲まれている。

 外部へ出るには1つの道しかない。

 あの長い長い石段だ。

 薄暗く長い一本の道。似ている。

 外界から隔絶された境内。そして外部と繋ぐ一本の暗い道。これは産道だ。

 この神社は女性のお腹の中を模しているようだ。

 双葉という神様は生まれ変わりを司る。

 その神様を祭る神社。

 そうするとあの神社は生まれ変わる場ということになる。

(馬鹿馬鹿しい)

 だが点と線が繋がっていく気がした。

 あまりにも、荒唐無稽でなんでそんなイメージが思いついたのかもわからない。

 でも今の俺にとってはこれが一番納得がいく。

 神社の境内で、ただひたすら遊ぶ少女たち。

 あの少女たちは、苦悩に満ちた人生を捨てた、かつての大人の生まれ変わりなのでは?

 借金、離婚、失恋、挫折、失敗。あらゆる人生の困難。

 あの少女達はかつての大人達の生まれ変わりなのではないのか?

 なんて馬鹿馬鹿しい結論だろう。だがそれ以外のことは考えられない。

 一番納得がいく。

 ここの村、いやあの神社は人が生まれ変わる地。

 そしてここへ帰ってきた真実も、年齢も性別も変えて、あの少女たちと同じく女の子になってしまっている。

 あの伝承はやはり本当だった。

 だとしたら、あの遊びはあまりに哀しい遊び。

 俺には、過去のことも思い出も全て捨てて断ち切るための遊びに見える。

 真実はあの少女達の中にいる。

 おそらくは……あの背中の痣を持った子……

 でもだとしたら……

 真実。何がお前をそうさせたんだ?

 あの姿に生まれ変わるなんて……。


 次の日は一転して冷たい雨が降っていた。前線が通過したのか気温も低い。

 元々山の中にある地域のせいか、バスが停留所に近づくにつれて濃い霧が立ち込め始めた。

 バス亭に降り立ったころには、さらに雨は一層強くなってきた。おまけに低い気温で肌に寒さが染みてくる。

 元々人の少ない集落だったが今日はまったく人をみかけない。

 神社の入り口から見上げると頂上は霧でみえなかった。

 きつい石段がツルツル濡れており、一足一足気をつけないと転びそうになる。

もし下手に転んで踏み外せば一気に下へ崩れ落ちる危険な状況だった。

 だが俺は昇らなければいけない。

 もう時間がない。

(あと少し。あと少しで真実の行方にたどり着けそうなのに)

 今朝早く旅館にかかってきた電話でさらに状況が変わった。

 真実の実家からだった。

 戻って来い。

 唐突な知らせだった。

『清弘君、もう真実のことは忘れてほしい』

 捜索を打ち切って戻って来いということだった。

 理由を尋ねてみても、納得のする回答は得られなかった。


「これ以上、君を巻き込むわけにはいけない」


 ただそれだけを繰り返すだけだった。

 俺はその場をなんとか言い繕って明日まで残ることにした。だが残る時間はわずかだ。

 例え雨であっても今日一日さえも無駄に過ごすことはできなかったのだ。

 陰鬱な気持ちがそうさせるのか、雨でぬれた階段がそうさせるのか、長い石段を登るのがこれまでよりもずっときつい。

 傘を指しているが、気がつくと足元はずぶ濡れだった。

 上半身も汗と水滴がまじり、滴る。

 時々体がブルッと震える。振りつける冷たい雨。

 薄暗い石段を登り終えた頃にはすっかり体は冷え切っていた。

 だが、神社の境内には誰もいなかった。

 あの綺麗な着物を纏った美しい少女たちの姿はない。

 広い境内にはシトシトと降り注ぐ雨音だけが響いていた。

 完全な空振り。まったく気配がない。

 この天気で、昨日のように川かどこかへ遊びに出かけている気配もない。


「くそ、せっかくここまで来たのに……」


 あきらめきれない。

 神社の軒先で雨宿り。だがもう既に体はずぶ濡れだった。

 靴の中まで水が染み込んでいる。もう夏といっても秋が近い時期だ。まして天候の変りやすい山の天気。

 座り込むと、髪や衣服からポタポタと滴り落ちる。

 じわじわと奪われる体温。

 かなりこたえる。


「へっくしょっ!」


 くしゃみが出た。それに寒気もだんだん強くなってくる。このままだと風邪引くな……。

 この山奥の広い境内で一人きり。

 なんだか世界から取り残されたようで心細い。

 おまけにこの体調だ。

 何か暖かいものを――。体がそう欲していたときだった。

 ふと空気が揺れるのを感じた。

 人の気配?

 と思った次の瞬間何か自分に後ろから覆いかぶさってきた。


「お兄ちゃん、風邪引いちゃうよ?」


 少女の声。そして人肌のぬくもりだった。


「今日は雨で遊べないから誰も来ないよ? だから帰りなよ」


 俺の体を抱きしめるように、しがみ付く。

 俺よりもずいぶん小さく細い腕だ。

 疲れきってて押しのける体力もない。

 それよりもこの人肌に触れるのが心地よかった。

 冷え切った体に温もりが浸透してくる。

 暖めてくれているんだ。体を密着させ暖めながら体を手ぬぐいで拭いてくれている。


「違うんだ、お嬢ちゃん。俺は……お兄ちゃんは、遊びに来たんじゃないんだ」


 こんなことをしてくれる少女など心当たりはない。

 でも、あいつなら……。心優しいあいつなら……。


「じゃあ、何しに来たのかな?」

「人に会いにさ。ここにいるはずなんだ」

「誰に? 会えたの?」


 俺は首を振った。


「色々と話したいことがあったんだけどね。嫌われちゃってるのかな?」

「嫌われてるわけないよ。わざわざこんなとこにまで来てずぶ濡れになってまで会いに来たお兄ちゃんを……」


 泣いている? 少女が……

 嗚咽しているのがわかる。


「ならなんで会ってくれないのかな? 俺はあいつとまた一緒に酒飲みたいなあ」


 確信していた。

 後ろにいる少女はあの背中に傷のある少女。

 真実と同じ傷のある……。

 真実。お前はこの背中の少女なのか?

 精一杯俺に会いに来てくれたというのか……。

 冷え切った俺の体を温めてくれる。

 無理に問い詰めることはできなかった。

 俺はまだ真実の心を開いてはいない。

 俺はそっと少女を抱きしめた。


「あっ」


 少女は声を上げたが抵抗はしなかった。

 こんなに誰かと体を密着させたことは初めてだった。それも女性。

 だが不思議と劣情は催さなかった。

 抱きしめた女性はあまりに幼く小さい。

 少し力を入れただけで折れてしまいそうな儚さ。

 そして幼女特有の甘い匂い。温かく柔らかい。

 性欲とは別の愛おしさがこみ上げてくる。

 もしこんな娘が自分の子だったら…

 抱擁しあっただけで俺は幸せな感覚でいっぱいになっていた。

 なのに、なんで辛そうにしてるんだろう?


「帰ったほうがいい。ここに居ちゃ駄目だ。ここは双葉様の世界なんだよ」

「じゃあ、君はどうするんだ?」

「ここから出ることはできないんだ。全てを忘れるまで、ここからは」

「そんなことあるもんか。現に俺のことを君は……」

「忘れるのはみんなだ。みんな忘れるから。だから大丈夫。悲しみは残らないよ」

「だから清弘、お前は帰るんだ」


 俺の名を呼んだ。

 ああ、君はやっぱり真実か。


「そんなことできるものか!」


 そんなことあってたまるか。

 誰からも忘れ去られるなんて。そんなことあってたまるか。


「帰ろう真実。こんなとこ出るんだ」


 俺は少女の体を抱き上げた。

 小さな体だから抱っこするように持ち上げられる。

 そのまま雨の中に足を踏み出した。


「駄目だ! 離すんだ」


 少女は着物から伸びた足をばたつかせた。

 だがその白く細い足は俺にとって妨げにはならない。

 構うもんか。

 とにかくこの神社の外に出るんだ。

 話はそれから。


「駄目だ、双葉様の怒りに触れる」


 あんな少女姿の神なんか恐れるものか。

 鳥居をくぐろうとした時だった。


「お兄ちゃん、どこにつれてくのかな?」


 不気味な声が響いた。


「ふ、ふたばちゃん……」


 腕の中の少女は震えている。


「マミちゃんをどこにつれていくのかな?」


 竹でできた傘を差した少女が行く手を塞ぐように、目の前に立っていた。

 雨は一層激しさを増してきていた。

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