第28話「心にかかるもの」

 幸い俺が飛び込んだ辺りは浅くなっている箇所だった。


「く……」


 川の中に入っても、俺の体なら腰上まで浸かるだけで、なんとか立つことができた。

とはいえ流れはそれなりに強い。

 しっかり踏ん張る。

 そして、流れてきたその女の子に腕を伸ばした。

 上手くキャッチできた。


「そら、もう大丈夫だ!」


 そして抱きかかえる。

 以外にずっしりきたが、流れから救い上げて川の岸まで引っ張っていった。


「ケホッケホッ、ハァ…ハァ……」


 その子の体からポタポタ水滴が滴り落ちてる。川縁の岩場に屈みこんだ。

 少し水を飲んだかもしれないが、大丈夫そうな様子だった。

 良かった……。


「ミキちゃん!」

「大丈夫!?」


 追いかけてきた少女たちがワラワラ集ってきた。ああ、見つかっちまった。逃げられないな。


「へーお兄ちゃん、東京から来たんだ。あたしも東京なんだよ?」

「さっきのすごかったなあ。かっこよかったよぉ、ミキちゃんを救い上げるところ」

「良かったね、ミキちゃん」

「う、うん」

「ほら、お兄さんにお礼を言わないと」

「あ、ありがとう……」 


 気味悪がられるかと思ったが案外人懐っこい娘たちだった。

 半分透けている白い襦袢でも恥ずかしがる様子もない。

 どころか、いきなり現れた俺を歓迎してあっという間に取り囲まれてしまった。

 意外な来客に興味ありげといった感じだった。


「でも濡れちゃったねえ」

「ほら、乾かすから脱いでよ、お兄さん」


 世話焼きの女の子――。


「あ、ラジオだあ。電波ははいるのかな?」

「わ、これ手で持てるゲームだぁ。こんなゲームがでてるんだ」


 いつのまにか俺の鞄をガサゴソやったり、肩や腕にぶら下がってくる少女。

 本当に無邪気な子供たちだ。それに着物を着ているから異次元のような子供かと思ったが、現代の様子もよく知っているようだ。


「お兄ちゃん、肩車してよ!」

「お兄ちゃん、草笛吹ける?ほら?」


 どうやら俺ですら遊びの相手だ――。

 俺の知らない遊びもよく知っている。

 それにしてもこんなに沢山の女の子に囲まれるなんて経験は初めてだ。

 やっぱりここはどこか違う。

 そんな状況でポツンと遠く離れたところで俺を見つめる娘がいた。

 日本人形のような端麗な顔立ちと黒髪だ。

 ここから少し離れた木の幹の影でこっそり俺を見ている。

 あの子だ。

 あの星の痣。真実と同じ痣を持つ子。

 俺はあの子と話したかったんだ。

 だが、俺と目が会うとハッと気が付いたかのように木陰へ隠れた。


「あ、君待ってくれ!」


 俺が追いかけようとしたらずっしりと重量がかかった。

 脚に女の子が引っ付いている。


「あーお兄ちゃん、どこいくの? 待ってぇ」


 太ももにしがみついて離さない。だが今は大事なことがあるから構ってられない。


「遊んで、あたしたちと遊んで」

「ごめんな、今は用事が……離してくれよ」


 やんわりと引き離そうとするが、その子たちはしっかり縋り付いてくる。


「ねえ、遊んでくれないの?」

「後で、後でな」

「いっちゃやだ、やだよ」


 突然その少女の様子が変わった。


「!?」


 手に頭をやり、抱え込むようにしてそのまま蹲ってしまった。


「う、うああああ!」


 そのまま悶え始めた。


「怖い、怖いよ……助けて」


 酷い悪寒に襲われたようにガクガクブルブル震えている。

 明るく無邪気だと思っていた女の子なのに――。その顔が青ざめている。


「ど、どうしたんだ? 君」


 心配になり、近寄った俺も、目に入っていない。


「借金――」

「え?」


 そしてうわ言のように口から出てきた言葉は、天真爛漫な少女とは、あまりに意外な言葉だった。


「もう……返せない。返せないよ、もう電話かけないでくれ! ドアを叩かないでくれ!」


 少女から繰り出される支離滅裂な言葉。

(一体この少女は何を言ってるんだ? 借金?)

 無邪気だと思っていた少女とはかけ離れた生々しいものだ。


「うう、俺は知らなかったんだ、ハンコ押しただけなのに。」


 小さな手が長いきれいな黒い髪をかきむしる。

 髪が乱れ、着物や腕にまとわり付く。

 苦悩に満ちたその姿。

 騙されて負債を抱え込んだ苦悩する男にも見えた。

 姿は違うが。


「わああああん」

「うえええん」


 気が付くとそこかしこで泣き声があがっていた。

 まるで点けちゃいけないスイッチを入れてしまったみたいだ。

 するとその様子をみた周りの娘たちに次々に伝播してゆく。


「わああああぁん」


 みんな一斉に泣き出した。


「みんな、みんな僕を除け者にしないで。さみしいんだ。いつも教室で一人ぼっちは嫌なんだ」

「母さん、僕を置いてかないでよお」


 錯乱した女の子たちの漏らす言葉は支離滅裂で、口調まで別人のようだ。

 俺が何をしたというんだ?

 俺は少し払いのけようとしただけじゃないか。

 どうすればいいんだ? 立ち尽くした俺の耳にメロディが流れてきた。

 歌だ。

 誰かが歌っている。

 童歌。

 かなり方言が入っていて聞き取り難い。

 でも一定のリズムでいつまでもいつまでも続く。


「春の菜の花、夏の虫の音、秋のどんぐり、冬の雪。美しい双葉の郷で遊ぼう楽しもう。仲間と共に永遠に」


 歌の内容としてはそんな感じの歌だった。

 やがて歌に取り乱した少女たちが気づき、顔を上げる。

 そしてゆっくりとその歌の主へ寄っていく。

 歌を歌っているのはあの少女だ。双葉というおかっぱ頭の少女。

 やがて大きな輪になる。

 口々に双葉の歌う歌に皆合わせて歌いだした。

 そして声が合わさりより大きな歌となった。


「みんなは、戻ってきたの。双葉のところに帰ってきてくれた。だから遊ぼう楽しもう。苦しいことも悲しいこともみんな忘れて」


 双葉は女の子たちに語りかけた。

 再び遊び始めた少女達。


 そんな彼女たちを、以前と同じように見ることはできなかった。

 遊戯にふける少女たちの深い心の奥底に仕舞い込まれた苦しみや悲しみ。

 それを目の当たりにした俺は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。

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