第11話「女になってもオレはオレ」

 すっかり朝シャワーを浴びるのがオレの習慣になってしまった。

 シャワーを浴びて濡れた身体のまま洗面台の前に立つ。

 体についた水滴をタオルで拭きつつ、ついでに髪も丁寧に拭きながら、じっと前を見つめた。


「ふう……」


 一息つく。

 目の前の鏡には裸の黒髪の長い少女がいる。

 肌は色良くすべすべ、目鼻も整って、胸も尻もほどよく大きくて、まるで人形のように完成されている少女が、オレを見つめている。

(今日もオレはこの姿だ――)

 しばしの間、鏡に映った自分を眺めていた。

 ここのところ、毎朝いつも鏡の前でこれをやっている。

 新しくなった自分に戸惑っているのか、それとも綺麗になった自分に見惚れているナルシスト的な行為なのか、自分でもよくわからない。

 ただ、はっきりしているのは、今日もオレはこの鏡に映っているこの少女の姿をしているということだ。


 ドライヤーで乾かした髪を、きとんと拭いて櫛で整える。

 長い髪を梳るのは、一苦労だ。ついついボヤきも出る。


「あー、面倒だな」


 ストレートの長い黒髪は早くもサラサラ。

 完璧だ。大して手間隙をかけているわけではなく特別な整髪料とか化粧とかはしていない。

 きっと地の肌と髪質がいいのだと、自分で思ってしまう。

 鏡の自分を改めて見て満足して、着替えの衣服を手に取った。

 ショーツに足を片方ずつ通して、腰まで引き上げる。

 股間と尻を包む。

 結局は前開きの無いブリーフと同じだ。穿くことそれ自体は何も特別なことはない。

(密着感は強いけどな)

 股間と尻にピタッとはまる感覚に戸惑った。これもそのうち慣れるんだろうとは思う。

 ブラジャーは少しコツを要した。

 乳房にブラを被せて、紐を背中に回す。


「ん、くっ」


 ホックを背中で止めるのが、なかなか上手く留められない。これもコツをつかむのに相当時間かかりそうだ。

 しばらく鏡の前で奮闘する。

 前でホックを留めるタイプもあるらしいが、いつかは試してみたいとは思う。今のオレに便利なものならやぶさかではない。

 面倒でたまらないが、ブラは忘れると大変なことになることは知っていた。

 胸の部分の違和感が一大事なことになる。

 

 そしてスカートは、少し丈の短いプリーツスカート。このスカートを穿くとふわっと広がる――

 やや太ももが出る。ズボンよりも風通しがやたら良くて、スースーする。

 白いブラウスは、ボタンが右前なことにまずは戸惑い、胸元のスカーフを結ぶのだってとりあえず見ようみまねで、なんとかできるようになった。

 女子になって以来朝は色々大変だ。準備しないといけないことが沢山ある。

 ようやく一通りセットを終えたときには結構時間を使ってしまった。


「さて……」


 朝の洗面と、着替えを終えて大きく伸びをする。


「んー」


 外からは、まぶしい朝日と鳥の声。

 今日も清清しい朝を迎えた。

 オレはずっと小さい頃から、目覚めが良くないほうだった。

 朝はだるくて、イマイチ頭が冴えない。布団からでるのが辛くていつも姉のマミにギリギリに起こされるのだった。

 それが今では目覚めが清清しいほど、スッキリだ。

 早起きになったし、元気がみなぎっている。

 そのまま、マラソンに行っても良いぐらいに力が溢れてる。

 が、その前に、空腹を覚えた。腹ごしらえの時間。


「真琴――もう用意できてるよー」


 マミ姉のがオレを呼んでいる。

 ずっと早く起きて朝食を作ってくれているのだ。


「はーい」


 早速、食卓へと向かった。


「おはよう、真琴」


 既に座って真琴を待っていた。


「おはよう、マミ姉」


 テーブルに並べられた朝食を前に座る。

 メニューは定番ではあるが、ご飯に魚に味噌汁、卵焼き。自作の糠漬けまである。これも格別で好物である。


「いただきます」


 箸を取った。

 マミ姉の料理は、どれも美味しい。

 だから、ついついおかわりも続く。今日もご飯をもう一膳、さらにもう一膳いただく。


「マミ姉、おかわり」


 茶碗を差し出すと、マミ姉が受け取ってそれにご飯を盛る。


「あら、真琴。今日は、よく食べるわね」

「うん、今日は体育の授業もあるからさ」


 マミ姉の朝食も、今ではおかわりまでするようになった。

 朝から食欲いっぱい。これまでは朝食べるのも辛かったが今は違う。

(誰だ、女は男より食べる量が少ないって言った奴)

 茶碗は、小さいものに変えずに済んでる。大きさも、以前と変わらずだった。


「ほら、ご飯粒がついてる」


 食べているとマミ姉が頬っぺたの下の部分を指差す。


「モグッ、え?」


 盛んに動かしていた箸の手を止める。


「ほら、ここよ」


 自分の頬を確認しようとしたが、マミ姉がオレの頬に指をすっと伸ばす。

 そのままオレの目の前に持ってくる。

 人差し指にはご飯粒が、一粒引っ付いてた。


「う……」


 そのままマミ姉はそのご飯粒を自分の口へ運ぶ。

 静かにマミ姉の喉を通っていくのを見つめていた。


「慌てないで行儀よく食べなさい」

「は、はい……」



 朝食を済ませて、食器を片付けると、もう行く時間だ。


「さあて、行こうかな」


 玄関の大きな姿見の鏡で身嗜みチェックする。

 また自分を見つめてしまった。

(やべっ。女になってからオレ、変だよな)

 服を変えると、自分が変わったような気分になれる。制服姿、私服、下着姿。その時によって映る自分が違う。

 だから、ついつい鏡があったら、チェックしてしまうようになった。

 手間が多いが楽しみもある。

 オレが男子の時は、ただ服は着るものだった。

(そういや、ここんとこ学校でも、手鏡持ち歩く奴が増えてきたな。やっぱ徐々に変わってきちまうんだなあ。でも……)

 変わってゆく。大事なことまで譲りたくは無い。

(オレはオレだ)

 心の中で、呟きつつ黒の革靴を履くために身をかがめようとした。

 完全に無防備で、そっと忍び寄った影にオレは気がつかなかった。

 その影は後ろからガバッと抱きついてきた。


「ちょ!」


 頭が混乱したが、直ぐに抱き着いてきた犯人が誰かわかった。


「マミ姉、何を―」


 これをするのは、この家に1人しかいないからだ。


「この間のお返しよ。お姉ちゃんのおっぱい触った罰」


 耳元の囁きは予想通りの人物の声。


「え?」


 オレの胸に両手が伸びてきた。

 そして、膨らみを覆うように掴んだ。


「ああっちょっ」


 優しく、それでいてしっかりと――。


「真琴に、教えてあげる」


 なんてことだ。抵抗ができなかった。マミ姉は女の知り尽くしている。

 どうすれば喜んでもらえるのか。

 優しく丁寧に扱うマミ姉。手のひらで踊っていた。受け入れてしまった。


「ご、ごめん、な、さい、マミ、ね……」


 やがて。

(どれくらいの時間が経ったのかな……)

 時間とか場所とかわからなくなっていた。

 玄関で二人。

 抵抗を止めて、今はマミ姉に体を預けていた。


「どう? 真琴。女の子の胸はやたらに触ったらだめってわかった?」

「うん……ごめんなさい」


 全ては、女の体を知り尽くしたマミがオレに教育するためのものだった。


(マミ姉の手で……。オレはマミ姉に勝てないんだな……)

 ゆっくりとその手が胸から離れた。


「さ、後片付けしなくっちゃ」


 マミ姉は、そのまま起き上がって、スタスタと廊下からキッチンへと言ってしまった。

 なおも、玄関で横たわったまま、まだ消えないでいる余韻に酔っていた。

(もっとやって欲しいのに……)

 あの双葉という少女の時と同じだと思った。ずっとこのままでいたいと思っていたのに、終わりの時が来た。

 ようやくゆっくりと起き上がることができた。

(あれ? そういえば、オレここで何してたんだけっけ?) 

 玄関、そして制服姿。スカート、ブラウス、そして鞄。


「やべ! 遅れる」


 時計を見るとギリギリの時間だった。

 靴を穿いて、玄関の扉をあけて飛び出した。


 猛ダッシュしたら十分前に着いた。

 登校する途中である坂も階段も、全速力で駆け上がっていった。スクールバスはとっくに出てしまっていたので徒歩でだ。あのやたら長い石畳の階段をも構わず登った。


「はぁ……はぁ……」


 ようやく登りきって時間を確認したら、むしろいつもより早く着いた。


「なあ、昨日自分の部屋で、パンツいっちょで横になってたら、妹が急に入ってきてさ」


 今日も女体化談義がクラスで盛り上がる。異変後は、必ずクラスの話題となるテーマだ。


「驚くどころか、一緒に寝ようっていいだしたんだぜ。あいつ最近やたらと一緒に風呂に入りたがるしさ。いつも『うざい、あっち行け』とか『死ね、エロ兄貴』とか言ってたのによ」


 男の時は、動画や画像があれば、簡単に自分を慰められるが、女は、そうはいかない。

 だが、それで得られる愉悦は男よりも素晴らしい。皆の一致した意見であり、また研究に没頭していた。


「ところで――真琴。お前、何やってんだ」


 自分の席で座りながら、スカートをヒラヒラしていた。


「ああ、これか……実はさっき走って登校したからさ、汗かいて蒸れたんだよ」


 走って汗を掻いたせいなのか、下着も塗れていた。

 それもかなり。

(ここは意外に蒸れやすい場所なんだよな)

 だから、風通しの良いスカートは、この体には最適なものだ。

 最初は、穿くことには戸惑いがあったけど、良いところもあることに気付かされた。

 股がなくて、ヒラヒラして、すぐに捲れ上がって困ることもあるが、この季節は涼しくていい。

(涼しさがかえって、気持ちいいんだよな)


「おい、真琴。お前、そんなことやってると、清久が見ちまうよ」


 なおも乾かないので、スカートをヒラヒラさせていた。

 脛毛のないツルツルの脚と太ももは、非常に丸出しだった。

 言われて、はっと顔を上げた。

 隣の席には、既に清久が来て座っている。

 そして、こっちを横目でチラ見していたのを慌てて顔を背けた。

(まあ、男ならそうするよな。それにしても……清久……)

 見られて恥ずかしいとか怒りの感情は何故か無かった。


「あいつ……あそこまで卑屈にならなくてもいいのに」


 むしろ、唯一の学生服の背中に差している影が気になった。

(あいつ、ずとからかわれっぱなしだもんな)

 ここのところ自分自身のことで頭がいっぱいだったオレが久々に他人のことが気になっていた。

 たった一人の男子、鷹野清久。

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