第2話「ハーレムか地獄か」

 それまでの僕自身の天聖館高校での学校生活は残念ながら平凡そのものだった。

 勉強も充実して、生まれて初めて彼女が出来て、毎日一緒に会話をして、日曜日には一緒に遊びに行く。

 入学前にはそんな理想的な日々を思い描いていたが、そんな都合の良い展開は無かった。何せ男子校で出会いも何も無い。

 毎朝登校し、クラスメイトと他愛もない会話をし、授業の後は所属するテニス部に出る。

 共学のような花やかさも無い。

 どこまでも平穏に過ぎていく日々――。  


 なのに。

 その平凡な日々が唐突に終わりを迎えた。 

 学校が女子校に変わってしまったあの日から。




「このベクトルの問題の解き方は……」


 教室に女性教師の声が響く。

 真面目に授業を聞く女子生徒のカリカリとノートに書く音が響き渡る。あるいは退屈そうに頬杖をつきながら長い髪の毛を弄っている女子生徒、さらには机にノートをとりながら時折髪をかき上げたり、スカートの裾を摘んで直したりする女子生徒、それぞれ思い思いに授業を受けている。

 教室に男子は僕一人であとは全員女子。

(はは、これじゃまるで女子校じゃないか)

 思わず首をふるふると振る。


「う……」


 急にむせて思考が途切れた。

(まただ。 この妙な感じ――)

 頭がぼうっとしてくる。

 思わず辺りを見回した。周囲にいるこの女子たちはまったく気づいていない。

 締め切った教室で空気が淀んでいた。今日はやけに篭ってる。


「だめだ――」


 教室に充満する空気に精気を奪われそうだ。

 男も女も本来嗅覚に感じない程度に異性を惹きつける物質を普段発しているという。

 フェロモンだ。

 それをはっきりと感じるほどに濃く漂っている。

 全く違う異質な空気にあてられ、ぐったりと机に肘をついてうつぶせになる。

 そのせいで頭がはっきりせず、授業内容はまったく頭に入らない。

 ようやくスピーカーからチャイム音がキンコンカンコンと鳴り、授業の終わりが告げられる。


「今日はここまで」


 数学担当の教師が教室を去る。

 すぐさま席をたち、窓に駆け寄り全開にした。外の新鮮な空気が風と共に入ってくる。

 めいいっぱい吸い込む。こんなに空気っておいしかったのか、と思えるぐらいに吸った。


「ふう……」


 気分転換を終えて再び席に戻る。

 さ、次の授業の用意を。

 ツン、ツン。

 背中を誰かがペンのようなものでつついてきた。


「?」


 ツンツンツンツン。


「清久、清久」


 背後から小さく女の声で僕の名を呼ぶ声がする。

 後ろを振り向いた。


「!」


 一瞬身体が固まった。

 そこには机に座ったままスカートをこちらの方に向けて捲り上げている女子生徒の姿があったのだ。

 伊藤鈴雄、もとい涼香というクラスの生徒だ。


「清久、見ろよ、サービスだよ」


 口元をにやつかせながら伊藤はスカートを摘んでパタパタ振る。


「な、なにやってんだ! お前……」


 紺色のプリーツスカートの中が丸見えだった。


「興奮するだろ?」


 眼に飛び込むのは桃色の布で覆われた股間だった。


「うう、早く隠せ」

「ほらほら、清久」


 なおも伊藤はやめないで煽る。反応を楽しもうとしているのだ。

(その手に乗ってたまるか)

 精一杯目を逸らしてやった。

女が恥ずかしがる様子もなく下着を晒すのは、僕の好むシチュエーションではない。

 女には恥じらいがあって欲しいのだ。


「でも、顔が真っ赤だぜ? しかもちゃっかり見やがってさ」

「うっ……」


 とはいえ、どうしてもチラ見してしまう。見せつけられるあの股間の部分は男子にとって至高――。男の本能に訴えかけてくる。

 見たい見たい。

 だが見たら負けだ。必死に目をそらして抵抗を試みる。

(あんなのアレがないだけじゃないか)

 湧き上がる本能を抑えるため、自分に心の中で言い聞かせる。


「清久、お前って女はあれがないだけと思ってるだろ」

「!?」


 まるで心を覗かれたようで、自分でもわかるぐらいに驚いた表情を出してしまった。


「あーあ、やっぱりな。いかにも童貞の考えそうなことだな」


 童貞ならお前もそうだったろ、と心の中で突っ込みを入れたが、言葉には出せなかった。


「お前に教えてやるよ、男と女の違いを、両方しってるオレたちがさ……」


 耳元でささやかれる。


「う……」

「……そんで、目の前が真っ白になるんだ。男なんかよりも何十倍も強烈なのが波のように押し寄せてきて――すんげー、いいんだぜ」


 そして同時に見つめてしまう。

 根競べは結局負けだった。

 最初から負けが約束された勝負だった。


(ちくしょう)

 僕にとって、この謎の異変でクラスメイトが男子から女子へ変わってしまったことは、全く楽園を意味するものではなかった。むしろ逆。


 何せ僕は筋金入りの女性恐怖症なのだ。


 いつのころからだろう――本物の女の前では心臓がどきどき、頭がヒートアップして、言葉もしゃべれなくなる。小学生時代、フォークダンスで女子の手を握るだけでも駄目であった。一体何故こんな体質なのか恨めしい。

 事務的な会話なら交わせるが、それ以上となるとだめだった。

 今もこうして胸がドキドキなり始め、言葉が発せられなくなるのを必死で隠している。


「うう……」


 ふしだらな雑誌もあるし、パソコンにも画像や動画が容量いっぱいに保存されている。ただ本物が駄目なのだ。それも会話を交わしたりすることが特にダメ。見るのはセーフ。

 今もその目は自然にたくし上げたスカートの中にいってしまう。

 苦手なのに惹きつけられてしまう。男の悲しい性質が恨めしい。

 その上女性恐怖症。

 沸騰しそうになった頭が意識を遠ざける。


「あーあ、清久。こりゃ先が思いやられるな」

「うちが女子高になってどれぐらい経ったと思ってるんだよ」

「いい加減慣れろって」


 いつの間にか周りに女子たちが集まってきて男子の時の口調のままで囃す。


「はあ、はあ……」


 煽りはそれで収まったが、ぐったりだ。

 換気するために開けた窓も、気が付くとぴったりしめられてしまった。


「ったく……」


 ようやく煽りが終わり、気がつくと休み時間は残りわずか。

(トイレでも行くか……)

 立ち上がり、教室を出て廊下に出た。

 廊下も女子校生だらけ。一方自分は男子であることが目立つのでやたら視線を浴びたり、振り返られたり、ヒソヒソ声が聞こえる。


「あいつだれだ?」

「A組の奴だよ」

「まだうちの学校に男子がいたんだ」


 視線は異質なものを見るような目である。廊下を歩くだけで心細さも倍増だった。

 知らない生徒に至るとまったく誰が誰だかわからず、完全に女子だった。


「……いつの間に工事したんだよ」


 トイレに辿り着き、ため息を一つつく。

男子トイレらしく小便器と個室にわかれていたはずのトイレは女子向け仕様になっていた。ようするに個室だけだ。

 しかし用を済ませないわけにもいかないので、とりあえず一番近いところのドアを開ける。

 そして――。初めて見た。

 1人の女子がなんだか心地よさそうな表情でスカートをたくし上げつつ便器に座っている姿を――。

 美しい。まるで天使のようだと僕は思った。


「うわっ!」


 だがその天使は驚愕の表情へと変わる。


「……」


 目が合った。ようやく事態を察した。つまり、これは……しているところだ。


「あ……あ」


 やがてその顔は天使から般若の顔に変わる。


「て、てめえ、何見てやがる!」


 その禍々しさに身体が固まってしまった。

 その天使から般若に変わった女子はバタン、と勢いよく戸を閉めガチャリとロックを締める。


「勝手に入ってきやがって、このど変態が!」


戸の向こうから怒りの収まらない声がする。


「ご、ごめん……」


 やっとそれだけ口から出た。鍵かけてない向こうが悪いと思うのだが、反論する機会を逸してしまった。


「はあ……」


またまた僕は大きくため息をつくことになった。

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