おじいちゃんの吊屋

 風が吹くたび、ゆらりきしりと〈吊屋つりや〉は揺れる。吊屋とは文字の通り、山肌に太い杭柱を打ちそこに吊るかたちの家屋である。

 もう少し谷の側に行けば〈橋屋〉や、山を削ってその中に造られる〈堀城〉もあった。だが山裾の村にあるのはほとんどが吊屋だ。土地柄これがいちばん建てやすく、手入れもたやすい。

 そして山裾に住むのは殆どが猫や山羊や栗鼠のような身軽な者達であったので、風が吹くたび揺れる吊屋で暮らす事くらい、まったくどうという事もなかったのである。

 しかし前にシシトトの住む村にやってきた物見塔の担当官は、結局村を去る最後の日まで吊屋ではまともに寝られなかったと苦笑いをこぼしていた。

 彼は谷の堀城で育ったそうで、そういう者にはこの手の家は心底つらいものらしい。

 慣れると楽しいんだけどなあ。ゆらゆらするの。

 揺れる家も細い橋桁も、まだ幼く恐れを知らないシシトトにとっては全てわくわくする遊び場なのだ。少し古びてよく揺れる祖父の吊屋などは、特にシシトトのお気に入りだった。


「それにしたって、これはなあ。ちょっと揺れ過ぎだろうねえ」

 そう言って祖父のシシカが困ったようにしていたのが昨日の事であった。

 季節外れの強い〈谷揺らし〉が吹いた日だ。明け方あまりに家が揺れるので、堪らずシシカは起き出した。まだ日も昇らないうちから近くの橋に縄と鎖を渡し、ひとりせっせと家を吊り直したのだ。しかし吊屋の杭柱がしっかりしていなければ、たいした揺れ止めの効果はない。

 結局、閉口した彼はそこから逃げ出して、四阿で肋魚の煮干しを噛みながら風が止むのを待つほかなかったのである。

「太い杭柱を打ち直そう。親父、寝ているうちに今より傾ぎでもしたら、もう本当に逃げられんぞ」

 様子を見に来た彼の息子の――つまりシシトトの父親だ――タタトラも、風のなすがままに踊る吊屋を見て渋い顔でそうこぼした。シシトトですらこんな家では遊びたくないと思ったほどだ。家ごと海に放り出されてはたまらない。

 そういうわけで、めったに旅人も来ないようなシタアバルの村に、久しぶりに他所から大工が来る事になったのである。

 

 明け方の黄色い空が抜けるような薄紫に染まってゆく。ヒナアオイは明けの空を讃えるように一斉に花弁を広げ、ほの甘い香りを崖に並ぶ家々に届けた。

 大工たちは早くからやってきた。

「ここは山影になるのが少しばかり早いからなあ、急いで打ってしまわんといけんのよ」

「へえ! おじさんのところはお昼が長いんだ。 じゃあアーク山のほうから来たってこと?」

「そうそう。お前さんなかなか物わかりがいいねェ」

「ぼうず、俺のとこにもお前と同じくらいのがいるよ。しかしアイツはどうも飲み込みが悪くてなあ」

 東のアーク山から来た大工たちは朗らかでよく喋った。大きな蜥蜴の男ふたりだ。橋に結わえた腰綱で身体を支えながら器用に岩肌を降り、ときどき見物している村の者に答えつつ、吊屋の鎖と縄をいくつかの余杭に渡し直していく。できるだけ軽くなるように作られているとはいっても吊屋は家だ。それをふたりがかりとはいえ別の杭に繋ぎ直すその作業の精密さは、シシトトにはとんでもない魔法のように感じられた。

 あっという間にシシカの吊屋は杭柱から外された。いつの間にか日の光はシタアバルの村をくまなく照らし、遥か眼下に広がる海に巨大な垂状山脈の影を落としている。金色と深藍の境目に、ぽつぽつと浮かぶ筏之群が見えた。

「よし、いい頃合いだな。これならうまく杭も根を張るだろう」

 大工たちは杭を少し上向きに傾けて、できた隙間に固い斑鉛と不可思議な燐光を放つ大きな実のようなものを詰め込むと、するすると橋の上に戻っていった。

「おしまいなの?」

「いんやァ、まだまだ! 杭が根を張ったら吊屋をソッチに直してな、それでしまいって事になんのよ」

「ね? 根っこ? くいの?」

「ああ、ぼうず吊屋の杭柱を打つところ見た事ねえか」

 からからと大工たちは笑う。シシトトの頭を撫でながらシシカが言った。

「この辺の家は全部、孫が生まれる前からあるのでねえ。打ち直しだって久しぶりなものさ。おかげで良いものを見せてやれるよ」

「やあ、それはよかった! ぼうず見とけよ、珍しいもんが見られるぞ」

 大工はうれしそうに顔全部で笑ってみせた。

 めずらしいもの?

 吊屋の事はそういえば移動図書から借りた図鑑にあったはずだが、シシトトはそのページをきちんと読んでいなかった。読めない字も多かったし、知らないものではなかったので興味がわかなかったからだ。

 まさかこんなに身近な場所に、こんなおもしろそうなものがあったなんて。

 とにかく何があっても見逃さないようにと、シシトトは杭柱をじっと睨みつけた。目に見えるのはもうちょっと後だ、今のうちに飯でも喰って来ないと後がつらいぞと大工が上から声をかけたが、シシトトは橋桁にひっついたまま杭柱から目を離さなかった。子供なんだそういうもんだよ、うちの子だってはじめて打ち直しを見させた日はあんなんだった。もうひとりの大工が笑いながらそう言った。

 

 確かに大工の言ったとおり、目に見える変化が現れたのはそれからもうしばらく経ってからだった。

 待つのにあきてしまったのと早くから起きていたのとで、シシトトは半分眠りかけていた。

「起きなさい、ほれ、シシトト。杭が新しい根を張りはじめたよ」

 祖父にぽんぽんと背中を叩かれてハッとする。シシトトはやっと柱に起こり始めた変化に気が付いた。

「なんか出てきた!」

 そう。確かに柱の根元から何かが覗きはじめていた。

 鉛色に鈍く輝きながら、ゆっくりと杭柱を覆っていく。螺旋を描くようにして柱を埋め尽くすそれは鱗や蔓草に似ていて、その不可思議な有り様にシシトトはこころを奪われた。鉛色の鱗は生えそろう速度を徐々に上げ、ついに柱の先端までを覆い尽くした。あっという間の出来事だ。

 そして次の瞬間、柱に生えた鱗は音を立て針のように逆立った。

「わあ!?」

 驚いて飛びすさったシシトトを見て、大工は大声で笑った。

「大丈夫だ、怖いもんじゃねェ。きちんと根を張ったって証拠でもあるのよ」

「それにすぐ逆立ったのが戻るんだ、おもしろいだろ?」

 おそるおそる覗き見る。たしかに鉛色の鱗は撫でつけられたかのようにゆっくりと倒れていく。しかし笑われたシシトトとしてはたまったものではない。この謎の物体への恐怖心と自分を笑った大工たちへの怒りと恥ずかしさとで、シシトトの逆立った毛はしばらく元へ戻りそうにもなかった。

 ビックリするような事が起こるなら先に教えてくれたらよかったのに。

 おじいちゃんだって!

 むっつりと黙り込んだシシトトは、この事を手紙に書くなら皆のいじわるに対する自分の憤慨もキネに伝えなければならないと、ひとり固く誓ったのだった。

 

 ともあれ、新しいしっかりとした新たな杭柱ができあがった。大工ふたりがぶら下がってもびくともしない。縄と鎖が再びそこに戻され、シシカの吊屋は頑丈に直された。

 不思議な事にはじめ鉛色に輝いていた柱は、大工たちが作業を終える頃には岩肌と同じただの灰色になっていた。

 これも打ち直しのおもしろいところなのさと、大工は片目を瞑ってみせる。

「新しい杭を打つ時はもっとおもしろいぞ。別の杭種を使うのさ。まずは孔を掘らなきゃならんから、そいつが手間ではあるんだがな……」

「お前はいい加減話が長ェなあ!」

 日の落ちる前に別の町にも寄るのだと言って、大工たちはそそくさと帰り支度を整えはじめた。

 まだ日は高く、渡る風はあたたかい。思い出したようにシシトトは空腹を覚えた。考えて見れば昼の食事を取っていないのだから当たり前だ。

 おじいちゃん家でご飯食べて来ようかな。そう考えながら吊屋を覗くと、ひと抱えもある袋を背負った祖父がちょうど出てきたところだった。

「あんたたち、よかったらコレも持って行くといい。ササラ虫の卵だよ、茹でてある。アークではあまり取れないんだろう?」

「やあ、ありがたい! こんなに貰っていいのかね?」

「かまわんよ。今日は孫と食べる分だけあればいいから」

 という事は今日の昼食はササラ虫の卵だ。久しぶりの好物へのうれしさで、シシトトは先ほどの怒りも忘れて祖父の背中にしがみついた。

「これ、シシトト重いから……おや」

 ふと、海を見おろしたシシカが固い声をもらした。

 つられてシシトトも海を見る。何か白い点のようなものが見えた。どんどんこちらに近付いてくる。

 のったりと翼をひらめかせる、異様ななりの白いもの。海と谷を越えて飛べる、この国で唯一のもの。

「ああ、〈重い翼〉だ」

 大工のひとりが苦い声で呟いた。

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