谷渡り

「今日卸すのはそれで全部か」

「はい」

 頷いてキネは男を見上げた。 岩を削り出しでもしたような荒々しい目鼻立ちの男だ。

 鱗銭うろこぜにを数える彼――〈谷渡り〉の様子をそれとなく盗み見ながら、キネは売りに出す三ツ角持ちみつつのもちの干乾しと渡貝わたりがいの殻を詰めたずだ袋を手早く押し車へ積み上げる。

 谷渡り。決まった住処を持たないかわりに、この分かたれた海と山のどこにでも飛んで行ける〈重い翼〉を持つ者たちだ。働きこそ重宝されてはいるものの、彼らと親しげにする海の民を少女は知らない。

 大人たちも表立って口に出す事をはばかってはいたが、谷渡りと懇意にする奇特な者はおそらく何処を探してもいないのだと、キネも薄々気付きはじめていた。

 

 真昼のやわらかな光の中にあっても、重い翼はいつもどこかひとを不安にさせる姿をしている。

 白くざらりとした殻を何枚も接いだ胴はひっくり返って浮かぶ潮喰らいの死骸のようだ。鋭利な翼には硝子のごとく透けた翅が鱗状に折り重なって生えている。落ちくぼんだ眼窩にも似た八つの窓が不気味なまなざしを向けてくるようで、思わずキネは目をそらした。

 あれはヨルの国に棲む魔物が死んだのを、そのまま使って作るんだ。呪いで飛ぶ骨とでも言ったらいいか――意地悪に囁いた兄の言葉がいまさら耳に蘇る。それが真実なのか兄の嘘だったのか、今でもキネは知らないままだ。

 本当はこんな考え方をしてはいけないのではないかと多少の罪悪感を覚えつつも、こんな怪しげなものに乗っている谷渡りが誰とも親しく出来ないのは当然ではないかと少女は考えるのだった。

 

 谷渡りの生き方は孤独そのものだ。

 止まり木を持たない鳥の生き方だと筏之群いかだのむらの長は言う。谷渡りたちもまた、誰彼と親しくするつもりはないようだった。山の獣たちとも、海の竜の末裔たちとも、ヨルの国の魔法使いたちとも。

 それどころか重い翼はなにかしらの魔法を有するものであるはずなのに、谷渡りは魔法使いを嫌い絶対に関わらない。谷を越えたそのさらに向こう、闇夜に閉ざされたヨルの国への確かな足を持っているのにも関わらずだ。

 キネはまだ幼かった頃、谷渡りのひとりに「あなたは魔法使いなのか」とたずねたことがある。子島と同じくらい大きな身体で軽々と鳥のように浮かび上がる重い翼が不思議だったからだ。谷渡りの答えは「俺たちに二度とそんなことを聞くな」だった。

 たずねた相手は今日訪れた谷渡りではない。それでも少女が彼らの存在に今なお飲み込めない思いを抱えることを、誰が責め咎めることもできないだろう。


 谷渡りはそんなキネの思いも知らず黙々と荷を積み上げている。

 群にいた頃から見知った仲ではあったし谷渡りの中では比較的話のできる男でもあったのに、いまだ少女はこの男に家族があるのか歳はいくつか、そういった他愛のない会話で明かされていく諸々を知らない。浅黒い顔は日に焼けてつやつやとしていて刻まれた皺もまだ浅い。けれどうしろでひとつにまとめられた緩く波打つ髪はほとんど白に近く、彼が一体いくつなのか想像するのは難しかった。

 年齢くらい聞けば答えてくれるだろうか?

 それだけの事すら見当もつかない。

 

 押し車に積み上げられた品々を淡々と数えながら、谷渡りは籠に鱗銭を重ねていく。かちりかちりと涼しげな音が、潮風と波音に紛れて消えていく。

「干乾し十束が五つ。渡貝が六袋。貝は青斑か?」

「あの、今日はこのひとつだけ黒なんです」

 キネはおそるおそる袋のひとつを差し出す。取り出した貝殻を検めて、谷渡りは僅かばかり目を見開いた。つるりとした巻き貝の口から覗く、闇夜の海のような深い黒。

 黒い渡貝は高級品だ。谷の堀城に住まう貴族達は、これを宝石と同じように扱う。

「では、百キルン足りなかったな。口紐を黒いものに変えておいてくれ。混ざると分からなくなる」

 そう言いながら谷渡りは懐から別の財嚢を取り出した。滑るように光る血色の鱗銭が籠にもう一枚乗せられる。青斑五袋でも届かないような額だ。思わず目を見開いたキネをちらりと見やり、けれど谷渡りは特に顔色も変えずに

「今年は黒物が少ない。どの谷渡りも高く買うだろう」

 とだけ言った。

 喜ばれているのかそうでないのかさっぱり分からない。声の調子だけで聞くならむしろ機嫌は良くなさそうだから反応に困る。

 そう言えば。

 ふとキネは、谷渡りがヨルの国へ近付くことになるからと谷へ行くのもあまり好まないのを思い出した。谷渡りという名を冠しているのにおかしな話だ。

 

 そんな事を考えていたものだから、キネは袋の紐を締めながら引き上げのしたくを始めた谷渡りをあやうくいつものように見送りかけた。慌てて引き留める少女の声に振り返った谷渡りは、やはりどことなく不機嫌そうな顔をしていた。

「すみません! あの、手紙のこと相談したいんですが」

「手紙」

「山の方に……」

「ああ、文通の」

 群に居た頃から何度も出していたからだろう。頷いて、谷渡りは腰に下げた帳簿を開いた。

「子島に定期便は渡せん。今日はたまたま近くを飛んだから寄ったが」

「難しいですか」

「そういうわけでもない」

 ちらりと重い翼にを見やって、谷渡りは大きく手を打った。

「トドラ! 砂笛すなぶえだ、持ってこい」

 驚いてキネは重い翼の積込み口を見た。もうひとり谷渡りが乗っていたとは。降りてきた谷渡りを見て少女はもう一度驚いた。

 トドラと呼ばれた谷渡りは、彼女とさして変わらないくらいの少年だったのだ。

「コイツが特別便を出す。砂笛を軒に結わえておけば、こちらから島を探せるからな」

 少年が無言で砂笛を差し出した。笛と呼ばれてはいるものの、それは不格好に穴の開いた緑色の石ころといった見てくれだ。片手に収まるそれを受け取ってまじまじと見る。

「魔力のある石だ。山で採れる」

 少年が言った。潮風にかすれた、大人とも子供とも言い難い声だった。

「削ったり割ったりすると、どれだけ離しても大きい方に小さい欠片が引き寄せられる石だ。対になる欠片を使った方位計があれば、子島が筏之群になくても探し出せる。あなたが何をする必要もない」

 よそよそしい口調はまさしく谷渡りのそれで、こちらに親しみを抱かせない何かがあった。

 キネは少しだけ恥ずかしいような悔しいような気持ちになった。やっと島分けの儀式を迎えたばかりの自分とは違う。同じくらいの年のこどもが、もうとっくに谷渡りとして生きている。

「もちろん不定期便にはなる。それで構わない?」

 不審そうに顔を覗き込まれて我に返る。キネは慌てて頷いた。

「構いません」

「配送代はその都度」

 もう一度頷いて、キネは手紙と鱗銭を差し出した。

 少年は一瞬眉をひそめ早速かと呟いた。

「シタアバル……そこ以外とのやりとりは?」

「ないです。そこのシシトトという猫の子だけ」

「なら早い。今度から俺の周回にその村も入れよう。あなた宛の手紙についても知らせておく」

 そうして腰に下げた鞄に手紙をしまうと、少年はさっさと重い翼に戻って行った。おかげでお願いしますのひとことも言いそびれ、キネは呆気に取られて立ち尽くした。

 残された谷渡りが困ったようなため息をつく。

「……あれはどうにも人見知りが過ぎる」

 人見知り、というにはあまりに無愛想だと感じたが、キネは何も言えなかった。

 やはり谷渡りとは仲良くできそうにない。


 そう言えばお互い名乗りもしなかったなと彼女が気がついたのは、重い翼が黄色い空の向こうに見えなくなったあとだった。

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