第4話
何時か分からないほどの深夜だった。ボクは布団で寝ていて、ネネは枕もとで体を丸めて眠ったふりをしていた。
何の音もない無音の空間。その静寂を破ったのは島村さんだった。彼女は何の脈絡もなくベッドから体を起こして立ち上がる。同時にボクの顔にネネの尻尾が当たる。呪霊がこの部屋に居る合図だ。
島村さんはふらふらと動きながら机に向かう。椅子に座ると引き出しから封筒と紙を用意してペンを握ると、卓上ライトを点けずに文字を書き始めた。
彼女は寝起きとは思えないような速さでペンを動かす。文章を考え込んだり、書き間違えてペンが止まることはない。事前に考えていた文章をそのまま書いているかのようだ。
だが彼女の顔に表情は無い。人形みたいに無機質で無感情。その姿に操り人形を連想させた。
真っ暗な部屋で無表情のまま書き続ける島村さんの姿は異常だった。呪霊に何かされているのは明らかで、助ける必要がある。
だけどネネは何もしない。寝たふりをしながら島村さんの動きを監視しているだけだ。この部屋で呪霊を祓えるのはネネだけだから動いてもらわないと困るのだが、その気配は全く見せない。
何か事情があって助けれないのかと思ってボクが動こうとしたら、なぜかネネに睨まれる。その眼は「動くな」と言っているように見えた。
しばらくすると島村さんの文章を書いていた手が止まる。彼女は紙を折りたたんで封筒に入れると、それを机の上に置いて道具を片付ける。それらが終わると立ち上がり、ベッドに入る。そして何事もなかったかのように寝息が聞こえてきた。
ボクがネネに声を掛けようとしたら、それよりも先にネネが起き上がっていた。ネネが机に飛び乗ったのを見て、ボクも起きてそれを確認する。
机の上には手紙が置いてあった。
「手紙はお前だけで継音の所に持っていきな」
翌朝、島村さんの家を出たボクらは洋館へと向かっていた。手紙は回収しており、後はネネと一緒に継音さんに届けるだけだった。
その予定をネネが変更しようとしていた。
「ネネはどうするの?」
「他に調べることができた。オイラはそっちに行ってくる」
隣を歩いていたネネが、ひょいっと跳躍して塀の上に上る。仕事真面目なネネだ。すぐにでも調べに行く気だ。
だけどボクはネネに聞きたいことがあった。
「じゃあちょっと質問に答えて」
「なんだ?」
「どうして島村さんを助けなかったの?」
昨夜の島村さんは操られていた。原因は明らかに呪霊の仕業で、ネネもそれに気づいていた。
ネネは呪霊と戦える力を持っている。呪霊に操られていた彼女を助けることができたはずだ。だけどネネは何もせず静観した。目の前で相談者が被害に遭っていたというのにだ。
何か手を出せない事情があったのか。それともあえて手を出さなかったのか。それだけははっきりさせておきたかった。
「なんだ。そんなことか」
ネネは意外そうな表情を見せて、歩きながら答えた。
「何をするのか観察したかったんだよ」
喉に熱い感情が込み上がる。口から出る寸前にそれを抑えて飲み込むと、少し冷静になれた。
「そんなの決まってるでしょ。島村さんが言ってたじゃない。手紙が置かれてたって。じゃあ手紙を書く以外にないよ」
「それはあいつが言ってただけだ。相談者の中には嘘を吐いてる奴や、大事なことを言わない奴もいる。それを探るのも仕事だ。結弦だって心当たりはあるだろ」
ボクは言葉を詰まらせる。先日の山木さんの件がそれだ。山木さんは、自分が呪霊を生み出したことを言わなかった。
「呪霊に付きまとわれている奴に、何も原因が無いわけがない。あいつは何かを隠してる。それを調べるために放置したんだ。ま、本当に手紙を書いてただけだったのは拍子抜けだけどな」
「まるでそれ以外のことをして欲しかったみたいな言い方だね」
「その通りだよ」
ネネは平然と言った。
「そうしてくれた方が今後の調査が楽だ。分かりやすい」
「……っ、ネネ!」
ボクが怒鳴ると、ネネは驚いてビクッと体を震わせて立ち止まる。
「そういうのは良くない。もしかしたらやばいことになってたかもしれないんだよ」
「その場合は止めるさ。死んじまったら元も子もないからな」
「……島村さんに申し訳ないとか、助けたいとか思わないの?」
ネネは不思議そうに首を傾げた。
「なんで赤の他人にそんなに入れ込んでるんだ?」
予想外の返答に言葉を失った。
たしかに島村さんは昨日知り合ったばかりの他人で、同じ学校に通っているだけの間柄だ。彼女のことは昨日見聞きしたことしか知らない。
だけど彼女は助けを求めに来た。そんな相手を見捨てられない。
それは、ボクだけの想いだったようだ。
「一人一人の相談者に入れ込んでたら身体がもたないぞ。下手したらオイラ達が命を落とす仕事だ。いつも冷静を保って、呪いを解くことを第一に考えろよ。そうすれば最悪の事態は免れるんだからな」
「……それはボク達の都合だよ。相談者は助けて欲しくて来てるんだ。それを裏切るのはダメだよ」
「オイラ達がいなくなったらもっと多くの人間が呪いで潰れる。どっちを優先すべきかは明白じゃないか」
「けど―――」
「それにな」
ネネはまた跳躍して、民家の屋根の上に乗った。
「そういう台詞は、自分のことを何とかしてから言ったらどうだ。今のままじゃ、我が身可愛さで言ってるようにしか聞こえないぞ」
「……っ!」
図星を突かれて言葉が詰まる。それを言われたら、ボクは何も言い返せない。それを分かったうえで、ネネは言ったのだ。黙り込むボクを尻目に、ネネは移動してボクの視界から消えていた。
残されたボクは行き場のない感情を抑え込もうと深呼吸をする。何回か繰り返すと少しだけ収まるが、完全に消えることは無い。ネネとボク自身への怒りが、身体の中に残り続ける。
ムカつきはするがネネの言う通りだ。今のボクが言っても自己保身にしか聞こえない。まずはボク自身が助からないと。
自分を納得させてから、ボクは再び歩き出す。先に仕事を終わらせよう。いろいろと考えるのは後回しだ。
そうして、止まっていた足を一歩踏み出す。
目の前が真っ暗になった。
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