第10話

 呪い屋になれる者は、呪霊師の中でも一握りである。それ故に呪い屋は協会内では立場が優遇され、多くの呪霊師の目標となっている。

 ではどのようにすれば呪い屋になれるのか? それはある力を有しているかで決まる。

 呪いをかける力、すなわち呪霊を操れる者だけが呪い屋になれるようになっている。

 「蛇の道は蛇」という言葉に倣い、呪いに詳しくなければ呪詛士を見つけられず対応できない。そういった理由から、呪い屋になるためには呪霊を制御できる力が求められるようになった。

 そのため呪い屋は常に呪霊を飼い慣らし、いつでも人を呪えるように準備をしている。

 そのなかでも、継音さんは数少ない複数の呪霊を扱える一人だった。


「な、なんだそいつは……」


 山木さんは継音さんが出した呪霊に目を丸くした。

 継音さんが出した呪霊は、山木さんの《虚飾》と違って姿形がはっきりとしている。ぼさぼさの黒髪に鋭い眼光、小さくて貧相な体の上に汚れた衣服を着ている少女だ。まるでテレビで見る貧困街の子供のようだ。

 そんな弱そうな子供の呪霊は、《虚飾》を見ると躊躇なく跳びかかる。


「その子は《飢餓》の呪霊。欲しいものを何でも奪おうとするの。あんたの《虚飾》の天敵よ」

「天敵?」

「そうよ。だって生きるのに精一杯な子はね、相手の事なんて見ない。満足するまで欲することだけを考えるからよ」


 《飢餓》は《虚飾》の体に飛びつくと、大きく口を開ける。


「その子は見せかけの姿になんて興味ないの」


 そして、思いっきりかぶりついた。


『オォオオオオオオオオオオオ!』


 《虚飾》が低い音の悲鳴を上げる。空気が揺れるほどの重厚感のある声で、頭に響いて圧倒された。

 ボクが呪霊の悲鳴に圧巻されている間も、《飢餓》は容赦なく噛り付く。右肩辺りに噛みついた《飢餓》を《虚飾》が左手で引き離そうとしていたが、決して離れることなく噛みつき続ける。まるで飢えた子供が食料を奪われまいと、必死に抵抗しているようだった。


「何をしてる! 早くそいつを引き剥がせ!」

「無駄よ。その子は呪いや呪霊が好物で、しかも私が育てた呪霊よ。相性も地力も、あなたの呪霊は負けてるの。そんな奴を、その子は決して食べ残さない」


 じきに、《飢餓》は《虚飾》の右肩を食い千切る。《飢餓》は千切れ落ちて黒い靄になり始めた右腕に飛びつき、大口を開けて口に入れて、一噛みもせずに飲み込んだ。

 腕一本を丸々食べた《飢餓》だが、まだ満足はしていなかった。すぐにまた《虚飾》に向き直ると、再び跳びかかる。《虚飾》も反撃を試みるが、力の勝る《飢餓》は反撃を受けながらまた噛みついて食い千切る。そして千切れ落ちた部位を食べるとまた襲い掛かる。

 反撃が無駄だと判断したのか、《虚飾》は回避行動をとる。しかし《飢餓》の執拗な攻撃を躱しきれず、また捕まってしまい体を食い千切られる。反撃だけではなく回避も無駄だということが、見ていても分かった。


「くそっ! くそっ! くそっ!!」


 体積を削られ続ける《虚飾》。山木さんも不利を悟ったのか、悪態をついている。

 そしてようやく諦めたのか、突如虚飾は黒い靄になって山木さんの体に戻ろうとする。


『シャアアアアアアアアアアアア!』


 だがその逃走すら許さないのが《飢餓》だった。

 《飢餓》は黒い靄の塊を丸呑みしようと大口を開ける。頬が裂けそうなほどに開けた口の中に、全ての靄が入っていく。

 山木さんの呪霊は、跡形もなく消え去った。


「お、おれの力が……」


 山木さんはその場に座り込む。がっくりとうなだれて意気消沈しているのが見て取れた。

 継音さんがネネに目配せをする。ネネは軽く頷くと、その直後に尻尾が二つに割れる。さらに巨大化すると、ボクと継音さんを尻尾で掴んで屋根の上へと運ぶ。継音さんは着地に失敗してふらついていた。

「さてと」何事も無かったかのように、継音さんは山木さんの前に立つ。

 山木さんが顔を上げる。戦意は無く、怯えが混じった表情だ。


「呪霊はいない。逃げ場はない。もちろん味方は誰一人もいない。誰が見ても詰みの状態ね」


 逆に、継音さんの顔には余裕がある。嬉々とした声で宣告をする。


「じゃあ言った通り、このまま呪いをかけさせてもらうからねー」


 継音さんが両手を前に出し、山木さんの前で指をうねうねと動かす。


「どんな呪いにしよっかな~。ユズちゃんを襲った罪は重いからねー、うんと恐ろしい呪いにしなきゃ。毎夜毎夜悪夢を見させるのとか、やることなすこと上手くいかないアンラッキーじゃ足りないねー。周りが不幸な目に遭う呪いも物足りない。やっぱ直接的なやつが良いかな。頭痛が収まらない。体が動かない。病気が治らない。大怪我をする。事故や事件に巻き込まれがちになる。人に嫌われる。怪奇現象が周りで起きる。……うんうん。これくらいじゃないと足りないよね」

「ひっ……」


 山木さんは恐怖で引きつった顔を見せる。逃げようとして後ずさって体を反転させるが、既に巨大化したネネが回り込んでいる。山木さんに逃げ道は無かった。

 だが往生際が悪く、山木さんはボクの方に向いた。


「なぁユズ、助けてくれ! もう反省したから! 謝るからさ!」


 山木さんは膝をいて命乞いをする。その姿に王様のような悠然さも、素朴な高校生のような純粋さも無い。

 あるのは必死に逃げようとする醜さだけだ。


「ボクだけじゃなく、多くの生徒や教員を操って好き勝手にして……これだけのことをしといて許されると思うんですか?」

「謝る! 謝るからさ! ほら、このとおり!」


 山木さんが必死に頭を下げる。散々呪いで好き勝手してきたのだ。呪われたときのことを考えれば必死になるのも無理はない。

 ボク自身、端から呪いをかけることに賛同はしていない。きちんと原因を究明し、解明をしてから除霊をすべきだと考えている。

 元々、継音さんもそのつもりだったのだ。ボクの事を想って怒ってくれるのは嬉しいが、公私混同させるわけにはいかない。

 それに、継音さんの狙い通り山木さんはこてんぱんにされた。力の差を実感した今、早々呪霊を生み出すことは無いし、ましてや敵対することは考えないだろう。

 ここまで謝罪しているのだ。その想いを汲んであげよう。そう思って継音さんの方を見たときだった。


「ほら、好きになった相手がこんだけ頼んでるんだからさ。許してくれよ」


 一瞬だけ思考が停止した。ボクは再び山木さんに視線を戻す。


「好きになったって、誰が誰にですか?」

「そりゃ、お前がおれにだよ」

「呪霊に操られているときのことですよね?」

「いや、その前からだろ」


 いったい何を言ってるんだ?


「だってあんなに優しくしてくれたり、汽車の中では抱き着いてきてくれただろ? 気づくに決まってんじゃん」


 ふつふつと、体の中で何かが沸き上がる。


「あれはボクにとっては普通の対応で、汽車のはただの事故です。なに勘違いしてるんですか」

「いいって、誤魔化さなくて。ちゃんとわかってるから」


 知った風な口振りに、体の熱が上がる。


「無事に許してもらえたら付き合ってあげるからさ。お願い」


 そして、上から目線な言葉に、怒りが沸点に到達する。

 ひと思いに殴ろうと手を振り上げる。が、その直前に止めた。

 一つ、山木さんに伝え忘れていたことがあったのだ。


「山木さん」

「なに?」

「ボクはあなたに伝えていないことがあります。それを聞いてくれませんか?」


 山木さんは不思議そうな顔で頷く。それを見て、ボクは振り上げていた右手で自分の頭を掴む。

 そして


「ボク、男なんです」

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