第9話

 今回の作戦の欠点と言えば、山木さんに十分な時間を与えたことだ。今朝の電話から約十時間。これだけあれば学校関係者全員に呪いをかけることが容易にでき、それは継音さんも想定していた。

 だが山木さんは、それに加えて策を用意していた。

 昨日、ボクは山木さんに呪いをかけられた。継音さんに解呪してもらったが、おそらくそれがきっかけだろう、山木さんに継音さんが呪いを解く力を持っていることを知られたのだ。

 そこから山木さんは、人を集めても解呪されたら意味がないと悟り、それを逆手に取った手を用意したのだ。

 すなわち、人質である。


「こいつらの呪いを解いてみろ。正気に戻った瞬間に足元を踏み外して、地面に向かって真っ逆さまだ」


 調子に乗ってるのか、山木さんはペラペラと思惑を喋る。だが実際に山木さんの思惑通りの展開になっていた。

 継音さんならここにいる全ての人間の呪いを解けるだろう。周囲の人間も、屋上の人もだ。

 屋上にはどこかで見覚えのある男女二名ずつの生徒と一人の教員が見える。彼らはあと一歩踏み出せば落ちてしまう位置だ。

 もし屋上にいる人たちの呪いを解けば、意識を取り戻した際に足を屋上の縁から踏み外して転落してしまう危険性がある。あの高さから落ちれば即死だ。


「もちろんおれに手を出したら、その瞬間に飛び降りさせる。あんたらが出来ることは、じっとしていることだけなんだよ」


 人質を取られることを予想していなかったのか、継音さんはぶつぶつと呟き、動揺を見せている。

 仕方がない。継音さんが知っている山木さんは、洋館に訪れたときだけ。その時の山木さんはただの大人しい高校生だった。そんな人が、こうも人の命を軽々と扱うことは想像し難い。


「どうしたんだ? さっきまでの威勢はどこに行った。ん? おれを許さないんじゃなかったのか? なのに何で大人しくしてるんだ?」


 継音さんの様子を見て、山木さんは増長する。有利な戦況であることを確信しているのだ。

 そして不利な展開に陥った継音さんは、煽られても変わらずに何やら呟いていた。


「山木さんは、ボク達をどうしたいんですか?」


 継音さんに代わってボクが尋ねた。山木さんは視線を継音さんからボクに向ける。


「たいしたことじゃない。おれに服従してほしい。ただそれだけだ」

「十分たいしたことあるんですけど」

「そうか? この光景を見たら普通だと思わないか?」


 周囲には山木さんの指示で集まった人たちがいる。彼らは無言で山木さんを仰ぎ見ていた。


「お前らはこの一員の一人になるだけだ。皆と同じようにおれに従い、おれのために動く。それ以外のことは不要だ」

「王様と家来の関係ですね。王様扱いされることに困ってなかったんですか?」

「そんなわけないだろ。やっと皆が、おれが特別だって理解したんだ。喜ばないわけがない」


 山木さんは嬉しそうに笑みを浮かべる。心底、現状を気に入っているようだ。

 学校の王様になり、誰にも邪魔されることなく、好き勝手に自由な日々を過ごす。それが山木さんの望みだと。


「君もおれに従うんだ。特別に傍に置いてあげる。おれの隣に来れば、誰にも拒絶されない日々が待ってるぞ」


 山木さんの声が、少しだけ優しくなる。少々上から目線な態度は残っているが、継音さんへの対応に比べたら大分良い。

 昨日共に過ごした記憶が残っていて、それが影響しているのだろう。彼の顔には、一緒に調査していたときの普通の高校生らしい素朴な表情が出ていた。


「隣に、と言われてもピンと来ません。具体的には何をすればいいんですか?」

「難しいことじゃない。そのままの意味だ。常におれの傍に仕え、おれの世話をし、おれの好意を受け入れる。それだけだ」

「いつも一緒にってことですか。夫婦みたいですね」

「ま、まぁ。そういうことだな」


 山木さんの声が少し上ずった。


「仕えるっていうのは分かりますが、世話とか好意っていうのはどういうことですか?」

「世話っていうのは……身の回りのことだ。おれが快適に過ごせるように、おれの生活を支えるんだ」

「じゃあ好意を受け入れろっていうのは?」

「それは分かるだろ? 昨日の続きを想像すれば」

「いえ、分かりません。教えてください」


 ボクがとぼけると、山木さんは言い辛そうに口元を歪める。どこか恥ずかし気で、初心な子供のような表情だ。

 その反応は、ボクが想像していたものと同じだった。


「……それはそんときに教える。どちらにせよ、君はおれの下に仕えるんだ。だったらいずれ分かること……それまで楽しみにしておくんだな」


 強引に話を終わらせると、山木さんが周囲を見渡す。それを合図に、ボクらを囲んでいた人たちが動き出す。

 円を狭めるように距離を詰めてくる。大勢で無言のまま徐々に迫って来る光景は、言葉が出ないほどの威圧感があった。

 逃げ場はない。このままでは捕まってしまう。せっかく時間を稼いだのに。

 ボクは助けを求めるように継音さんに視線を向ける。それとほぼ同時だった。


「時間稼ぎ、ありがとね」


 彼らはピタリと静止した。時が止まったかのように、一斉に。


「お陰で準備ができたわ。これでもう大丈夫」


 いつの間にか、継音さんは呟くのを止めていて、顔には勝利を確信したかのような余裕のある笑みを浮かべている。

 やはり、ボクの考えは合っていたようだ。


「お前……おれが言ったことを忘れたのか?」

「呪いを解いたり、あなたに手を出したら屋上の人たちを飛び降りさせる、だったよね? 守ってるわよ。呪いは解いてないし、手を出してもないわ」

「あれは反抗したらって意味なんだよ。そんなことも分からなかったのか?」

「あらそうなの? だったらやれば?」

「は?」


 継音さんが気味の悪く笑う。


「飛び降りさせたらって言ってるのよ。そんなことも分からないの? フヒヒ」

「っ……!」


 山木さんが眼を大きく開かせる。驚きと怒りが混じっているような表情だ。


「おれは言ったぞ。手を出したら飛び降りさせるって……それを知っててやったんだから、お前も同罪だ」

「何言ってるの? 命令するのはあんたなんだから、あんただけの罪よ。身勝手に罪を押し付けないで」

「いや、お前のせいだ。お前がやったんだ。だからこれはおれのせいじゃない」


 山木さんが屋上を見上げた。


「命令だ! 跳べ!」


 王様の命令は死への跳躍。先に言った通り、山木さんは彼らに命令した。

 跳べば地面に落ちて即死の命令。呪霊の力を受けている状態では、彼らは命令に背くことはできない。

 そのはずだった。


「なっ……なんで……」


 山木さんは目を丸くして彼らを見た。

 命令は彼らに聞こえたはずだ。それくらいの声量を出していた。

 だが彼らは、跳ぶどころかその場から一歩も動くことは無かった。


「おい、どうした? 跳べ! 命令だぞ! 跳べっ!」


 何度も叫ぶように命令するが、変わらず彼らは動かない。周囲の人たちと同じで、時が止まったかのように微動だにしない。


「くそっ! お前らも動け! さっさとそいつらを捕まえろ! 早く!」


 地面に居る人たちにも命令するが、やはり動くことは無い。止まったままだった。

 思い通りにいかない現状に、山木さんの声が荒くなる。


「てめぇらいい加減にしろ! おれを怒らせたいのか! おれは王様だぞ! おれを敬え! おれの言葉を聞け! 指示通り動け!」


 必死な形相で周囲に喚き散らす。その様子を見たせいか、継音さんが「ぷふっ」と吹き出した。


「みっともなく喚いちゃってる……あれじゃあ王様じゃなくて、わがままなお子様みたい」

「お前っ……!」


 山木さんが真っ赤な顔をして継音さんを見下ろす。


「お前のせいか?! いったい何をしたんだ?! こいつらを動かせ!」

「へ~、分からないんだ。ま、分からないよね~。どこにでもいそうな普通の高校生には」

「違う! おれは他の奴らとは違う! 特別だ!」

「そう思ってるのは自分だけなの。ほんっと、あんたを見てるとイラつくわ」


 継音さんが右手を上げ、山木さんに向ける。


「だから、私との差を徹底的に教えてあげる」


 突如、継音さんの髪が揺れ始めた。無風状態だった周囲に、風が吹き始める。

 風は継音さんを中心に渦巻いていた。


「皆が動かないのは呪いをかけたからよ。金縛りくらいは知ってるでしょ。それを全員に使ったの」

「そ、そんなことが出来るのか?!」

「普通の呪霊師にはできない。けど私は広い範囲に呪いをかけられる。そして呪いを解ける。こんな風にね」


 風に混じって、辺りから黒い靄が湧き出てくる。発生源は、ボクたちを囲んでいた人たちからだった。

 周囲から発生した靄が、一斉に継音さんの右手に向かう。それらは右手の掌に吸い込まれていく。


「呪いをかけるって……この短時間でこれほどの数相手に……」

「呪い屋の仕事は呪いを解くことだけじゃない。時には呪いをかけて人を助けるのも仕事なの。だからこそ呪い屋になれる人は限られてる。一歩間違えたら取り返しのつかない事故に繋がるから、呪いに長けた人物だけしかなれないの」


 全ての黒い靄が、継音さんの右手に吸い込まれた。


「偶然呪詛士になったあんたとは、格が違うの」

「ふ、ふざけんな! おれは、おれは……」


 山木さんの方から空気が流れ出る。継音さんとは別種の冷たい風。

 それは、呪霊が現れるときの前触れだった。


「おれは特別な人間だ!」


 山木さんの体から、黒い靄が発生する。呪われていた人たちから出ていた靄と似ているが、明確に違う点がある。

 その靄は、人の形をしていた。

 出現した靄は、山木さんの倍以上の体を形作る。頭部と思われる場所には鈍く光る二つの目があり、頭には汚れた金色の王冠を被っている。両腕は人一人分の太さがあり、上半身はボディービルダーの比にならないほど太く逞しい。反面、下半身は山木くんよりも少々太いくらいで、屈強な上半身を支え切れるのか不安になるくらいだった。

 不均衡な体の呪霊は、じろりとボクらを睨みつける。明確な敵意を持っているのを感じ取れた。


「呪いはなんとかしたようだが、呪霊はどうだ! ここまで育ったこいつを倒せるのか?!」


 呪霊は人の想いで生まれ、取り込んだ霊力で育つ。その量が多いほど成長し、力が強くなる。時には、本業の呪霊師を倒せるほどに。


「同じことを言わせんなよ。めんどくさい」


 だが継音さんは冷静だった。


「私とあんたとは、格が違うって言ってるでしょ」

「っ……! だったら見せてみろよ!」


 山木さんの呪霊が継音さんに跳躍する。大きな腕を前に出し、組みかかろうとしていた。

 呪霊相手に呪いは効かない。呪霊が守る呪詛士にも呪いは無効化される。解呪も条件を揃えなければ成功せず、今はそれを満たしていない。

 つまり継音さん自身だけでは、呪霊に対抗する術はないということだ。

 呪霊に真っ向から対抗できるのは呪霊だけ。

 だが継音さんの表情に動揺はなかった。


「じゃ、お願いね」


 冷たい風が、また吹いた。

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