第8話

 夜六時、少しずつ暗くなり始める時間帯だった。ボクらは車に乗って山木さんの家の近くに来ていた。運転してくれたのは、継音さんの知り合いである烏丸茉莉さんだ。

 烏丸さんは継音さんより少し高い身長で、きりっとした気の強そうな顔をした女性だ。格闘技をやっている烏丸さんの体は引き締まっていて手足が長い。高校生のとき、空手の全国大会で優勝したことがあるらしい。


「大事な要件だからっていうから来たのに、今度はただのタクシー代わりだなんて……良い度胸してるわね」


 住宅街で停車している間、烏丸さんが話しかけてきた。継音さんは「フヒヒ」と気味の悪い笑みを返す。


「良いじゃない。どうせ暇だったんでしょ? だったら私の仕事の手伝いをした方が有意義じゃん」

「こっちは修行や勉強で忙しいの。仕事もしてるし……」

「いいじゃん。今はフリーターなんだから」

「フリーター舐めるな」


 継音さんがまた「フヒヒ」と笑うと、「黙れ」と烏丸さんが叱責する。

 見た目こそかっこいい女性の烏丸さんだが、今はフリーターである。元々は警察官で、その後に退職して探偵になったのだが、問題を起こしてしまいクビになりフリーターになった。

 その問題が起こった事件に関わっていたのが継音さんだった。烏丸さんは継音さんと知り合った縁で、アルバイトをしながら呪霊師になるための訓練を受けている。

 呪霊師とは呪霊の専門家であり、呪い屋のように決まった活動拠点を持っていない人のことだ。呪霊師をまとめる呪霊師協会の指示の下、様々な地へと赴いて呪霊の調査と除霊を行う仕事である。

 烏丸さんはまだ呪霊師として認められていない見習いのため、この地域に住んでいる。そして修行の一環として、呪い屋の継音さんの仕事を手伝うように協会から命じられていた。今回車を出してくれたのもそれが理由だ。


「そもそも車くらい運転できるようにしなさいよ。呼び出すのも面倒でしょ?」

「そう思って教習所に行ったんだけど……教官が音を上げちゃったからさ……」

「どんな運転してたのよ」


 適当に雑談をしていると、車のボンネットの上にネネが飛び乗った。「あぁ! 傷が!」と烏丸さんが小さく悲鳴を上げたのを無視し、継音さんが車のドアを開ける。ネネはすぐにボンネットから下り、車の中に入った。

 「どうだった?」と継音さんが尋ねると、ネネはすぐに「いない」と答える。


「だが学校の鞄と制服が無い。家の中も特に荒れた様子はないから、朝は普通に学校に行ったんだろ」

「そっか。じゃあ予定通り城央高校に向かって」


 「はいはい」と言いながら、烏丸さんが車を走らせる。ここから城央高校までは、車だとおよそ三十分くらいだ。

 運転している最中、烏丸さんが前を向きながら「それで?」と聞いて来た。


「学校に行って何をするの? 夜の学校に潜入とか、警察沙汰になりそうなことは止めてよね」

「平気。ばれないようにするから」

「……やばいことはするんだ」


 烏丸さんが溜め息を吐く。元警察官としては見逃したくない心境なのだろう。

 だが残念ながら、呪霊師協会内では呪霊師よりも呪い屋の方が立場が上だ。今は継音さんを止める立場ではない。


「大丈夫。烏丸さんは送り迎えだけで良いから。後は私たちだけでやれる」

「あっ、そう。大したことが無い呪霊なのね」

「うん。悪くても全校生徒と全教員が襲ってくる程度だから」

「……何言ってるのか全然分かんないんだけど」


 烏丸さんの口から、不安の宿った声が出ていた。


「え? 全校生徒と全教員って……何が起こってるの?」

「そいつら全員を操れる呪霊なの。まぁ今回は、私がそうさせるように仕向けたんだけどね」


 今朝の継音さんの宣告は、ただの感情任せの言葉ではなく、計算があっての発言だった。

 呪霊の対処の手順としては、まず呪詛士や原因を突き止め、それらの問題を解決したうえで除霊を行うのが一般的がある。先に問題を潰しておくことで、再び呪霊を生み出さないようにするためだ。今回の場合だと、被害者であり呪詛士でもある山木さん本人が原因に当たる。

 しかしただ追及しただけでは躱されてしまい、当たり障りのない対応をすれば反省もせずに再び呪うことが考えられる。それは問題解決したとは言えないし、被害者が増える結果になる。

 だから継音さんは、徹底的に追い詰めることにした。


「あんな風に言われたら、必死になって私たちと戦うでしょ」


 理性が無い人間は獣と同じ。獣を制するには力が必要である。獣に勝つために、山木さんは呪霊を使う。

 山木さんの手は、自分を王様に見せて、呪いにかかった人を集めてボクらを迎撃することだ。そして彼が待ち構えているのはおそらく学校だ。学校なら、時間をかけて多くの人を集めることができる。

 山木さんがボクを取り入ろうとしたのは、呪霊の専門家を警戒しているからだ。その警戒心は今回も発揮されるはずだ。

 継音さんとの知識と経験の差を、数の力で補う。質で劣るなら数で圧倒するのは、戦術としては悪くないのだろう。

 だがそれこそが、継音さんの狙いだった。


「ヒステリックな女を大人しくさせるには、負けを認めてあげるか、徹底的に抑え込むかのどっちかよ。山木が負けを認めるわけないから、今頃戦う準備でもしてるんだろね」


 継音さんが理性がなくなった人間を演じることで、山木さんは呪霊の力を使わざるを得なくなった。

 そして同時に戦う理由を与えた。獣に襲われることを知っていて、何の対策も取らない人はいない。さらにわざわざ時間を教えることで、準備する時間を与えていた。

 継音さんは、山木さんに戦いのお膳立てをした。そこまでしたのは、山木さんに徹底的に教え込むためだ。

 どんな手を使っても、呪い屋には勝てないということを。


「どんなに手を尽くしても勝てないって思わせたら、流石の王様も観念するでしょ」

「王様? 何の話よ」

「自分で自分を呪った男の話。たまーになんだけど、こういうこともあるの。その場合は徹底的に叩き潰すのが一番なんだよ。フヒヒ」


 気味の悪い笑みを浮かべる継音さんに、「けどさ」と烏丸さんが尋ねる。


「そいつに勝てるの? 学校関係者全員が敵なんでしょ?」


 もっともな質問だったが、継音さんは「大丈夫」と答えた。


「操られてるのは全部呪いのせいだから。呪いさえ解けば意識は正常に戻るから」

「なんだ。じゃああんたなら大丈夫ね」

「そういうこと」


 継音さんがまた「フヒヒ」と笑う。今日はいつもより、笑みを見せる回数が多かった。




 城央高校の前に着くと、不穏な静けさが気になった。前回来たときは部活動に励む生徒たちの声や音が聞こえてきたのだが、今はその音が一切ない。それどころか、校舎は停電しているかのように真っ暗だった。

 薄気味悪さを感じる状況だったが、継音さんはそんなことに微塵も気にする素振りを見せなかった。


「学校とか久しぶりねー。高校生に戻ったみたい」


 呑気なことを言いながら、継音さんは学校に入る。遅れないようボクも継音さんの後を追った。

 校内に入ると、より不気味な雰囲気を感じた。夏の前だというのに冷気を感じ、誰かに見られている感覚がある。まるで得体のしれないものに監視されている気分だ。寒さのせいか恐怖のせいか、鳥肌が立っていた。

 一方の継音さんは、ボクと正反対の反応だった。


「呪いの気配が学校中から感じるわー。さぁて、どこから来るのかなー」


 恐怖を感じるどころか、むしろワクワクしている。まるでお化け屋敷に入るかのようなテンションだ。

 真昼間に外に出ることはほとんどなく、家事も碌にしないダメ人間の継音さん。だが呪いや呪霊に関してだけは誰にも劣らない専門家。そんな彼女の背中が、妙に頼もしく見えていた。

 校内には誰の姿も確認できず、物音すら聞こえない。人の気配を感じているのに、誰もいないかのように静かだ。しかし継音さんは、中庭やグラウンドに向かう様子を全く見せず、真っすぐ校舎に向かっている。おそらく校舎に山木さんがいると確信しているのだ。

 そして、ボクと継音さんが玄関前に着いたときだった。


「止まれ」


 頭上から声が聞こえた。上を見ると、山木さんが玄関上の屋根から顔を出していた。


「いいか。そこを動くな。じっとしてろ」


 ボクらを見下ろしながら、強めな口調を使う。昨日までの大人しい印象はまるで無く、偉そうな態度だった。


「こんばんは、山木くん。そこからだと月が良く見えるのかしら?」


 継音さんは豹変した山木さんに驚きもせず、いつもの相談者用の顔をつくる。

 出会ったときは継音さんに畏まっていた山木さんだったが、あのときとは別人のように堂々としていた。


「あんたらの動きを監視するためだ。夜景を見るのはあんたらを始末してからだよ」

「そう。じゃあそこに上ったのは無駄になりそうね」

「なんでだよ?」

「あなたが返り討ちに遭うからよ。このクズ」


 継音さんの口調が変わる。ボクがよく知る方の喋り方だ。


「ユズちゃんを誑かして私から奪おうとするなんてふざけすぎよ。しかも純潔まで散らそうとしたなんて……万死に値するわ。宣言通り呪ってやるから、覚悟しなよ」


 怒りが込められた強い言葉。継音さんが本気で憤然していることが声だけでも分かる。彼女の言葉を受けた山木さんも感じ取っているはずだ。

 だというのに、山木さんに動揺は無かった。


「あー、怖い怖い。見た目は色気のある人なのに中身は最悪だ。用心して間違いなかったよ」


 山木さんは右手を上げる。すると全方位から物音が聞こえた。

 周囲からぞろぞろと、生徒と教員が出てきている。一言も発することなく、ボク達を包囲するかのように集まってくる。継音さんが予想した通り、全生徒と教員に相当すると思えるほどの数だった。

 彼らはボク達が逃げられないよう、円をつくるように囲った。互いが満員電車のように密集し、猫一匹も通さないほどの密度だ。突破できる気が微塵も感じられなかった。

 それほどの厳重な包囲網を前にしても、継音さんはうろたえる様を見せなかった。


「けっこう集まったんだ。こんなに集めて何するつもり? 演説でも始めるの? 王様みたいに」

「王様みたい、じゃない。王様なんだよ。こいつらはおれのためならなんだってする」


 山木さんは自慢気に言い切る。

 その遥か頭上の屋上で、何かが動く姿が見えた。

 数人の生徒と教員が、屋上の落下防止柵の外側に立っていた。


「例え、命を捨てることになってもな」


 継音さんの口元が、微かに動いた。

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