第6話
猫又は跳躍を繰り返した。ひとっ跳びで何百メートルも進み、誰にも気づかれることなくまた跳ぶ。雨が降って人通りが少ないこともあるが、着地と跳躍の音が無いことが気づかれない最大の理由だった。
十回前後の音のない跳躍をして、ようやく猫又は足を止めた。着いたのは小さな洋館の外庭だった。
猫又はボクを尻尾で担いだまま窓を叩く。少し待つとカーテンと窓が開き、ゴシックドレスを着た背の高い女性が現れた。
陰気な雰囲気のある女性は、ボクたちを見ると目を丸くした。
「どしたの? 二人してびしょ濡れで……。ネネなんか猫又になっちゃって……」
「緊急事態だ。結弦を治せ」
「治せって怪我でもしたの? 言っとくけど、治療とか無理―――」
嫌がっていた女性だが、ボクを見ると雨が降ってるにも関わらず、傘を差さず裸足で庭に出た。
女性は雨に打たれながら右腕を伸ばしてボクの左頬に触れる。
その直後、身体の中から何かが吸い取られる感覚があった。
身体に入り込んでいた異物が、徐々に女性の手に吸い込まれていく。その力は頭から足先まで、体の隅々にまで及び、容赦なく異物を取り除いていた。
女性に触られてから十秒後、誰にも言われずとも、ボクの体にあった異物がすべて消失したことを実感した。
「継音さん、ネネ……」
同時に、異物に埋められていた記憶も元に戻っていた。
継音さんはボクの顔から手を離し、優しく微笑んだ。
「おかえり。ユズちゃん」
雨に濡れて冷えた体を湯船で温めた後、いつものメイド服に着替えてリビングに戻った。
リビングでは、継音さんとネネがリビングのソファーに座っている。二人とも濡れていたはずだが、ネネは体を拭いており、継音さんは別のゴシックドレスに着替えていた。
「ホットミルクが出来てるから、こっちで飲も」
テーブルには温かい牛乳が入ったカップが置かれている。ボクは継音さんを凝視した。
「継音さんが作ったんですか?」
「驚き過ぎじゃない? ユズちゃんと会うまでは私が家事をしてたんだから、これくらい当然よ」
「家事? あれが?」
ネネがフッと笑った。
「台所はぐちゃぐちゃ。部屋はここ以外はゴミ溜め。料理はすべて外食かカップ麺。それでよく家事をしてたって言えるね」
「ネネの餌もやってたでしょ」
「それくらいだろ。あれじゃあ一人暮らしを始めたばかりの大学生の方がマシだ」
「あっそう。じゃあもう餌あげない。自分で準備してね」
「お? それやっちゃう? 戦争かな?」
二人が立ち上がって睨み合う。何回目かも分からないほど繰り返した喧嘩だ。そしてすぐに仲直りするのも定番の流れである。
けど今回にかぎり、ボクは二人の間に割り込んだ。
「止めて下さい。喧嘩するならもうここには来ませんよ」
「え゛?!」「にゃ?!」
二人は、この世の絶望を見たかのような顔を見せた。
現在ここのほぼ全ての家事をするボクがいなくなれば、ここは以前のゴミ屋敷に戻るだろう。ボクが来る前ならともかく、綺麗で快適な生活を知った今の二人にとって、ボクの存在は必要不可欠になっている。
そんなボクの宣告は、予想以上に効果抜群だった。
「な、なに言ってんのかなー、ユズちゃん。来ないなんてやめてよねー」
「そ、そうだにゃ。いつでも遊びに来ちゃいにゃよ。オイラの体触ってもいいからさ」
あからさまな動揺を見せる二人を見て、心地良く感じていた。
ボクは二人に必要とされている。家事という付加価値のお陰とはいえ、その事実は嬉しかった。
たとえ、山木さんの言葉が真実だったとしても。
「冗談ですよ」
ボクは笑顔を作った。
「もう何度も二人の喧嘩を見てるんです。こんなことで来なくなるわけないでしょ」
二人は安堵してホッと息を吐く。どうやら本気で心配していたそうだ。
ボクはソファーに座り、用意されたホットミルクを飲んで心を落ち着ける。淹れて少し時間が経っているのか、飲みやすい温度だった。
「それで、何があったの?」
継音さんはボクを見ている。普段はダメ人間という言葉が何よりも似合う人だが、仕事の話となると別だ。呪いに真剣に向き合おうとする。
ボクはカップをテーブルに置く。その間も、継音さんは真剣な表情を崩さなかった。
「ネネから聞いたんだけど、強い霊力を感じたのは汽車の中だったって」
「そうそう。で、駅に着いても下してもらえなかったから、乗客に出してもらったわけよ。鳴き声を出したり、体を動かしたりしてな」
「その間、ネネはユズちゃんたちから離れていた。だから山木くんの状態が分からないのよ。そのとき何があったか、教えてくれない?」
ボクは「はい」と頷いて記憶を辿る。汽車の中で何をしてたか、山木さんの家に着くまではどうしていたか、家に入ってからはどんなことをしようとしてたか。
思い出してると、ボクの顔は熱くなっていた。
出会って間もない男子に抱きしめられたり、腕に抱き着いたり、家でシャワーを浴びたり、部屋を物色して匂いを嗅いだり、終いには事に及ぼうとしていた。もしネネが来ていなかったら、来るのがあと数秒でも遅かったら……。
鏡が無くとも、顔がタコのように真っ赤になっているのを感じる。ボクは両手で顔を覆った。
「い、言わなくちゃだめですか?」
「そりゃね。除霊の参考にしたいから」
「そ、そうですよね……」
除霊のために必要なことだ。集めた情報を伝えるのがボクの仕事だ。
ボクは恥を覚悟し、出来る限りの詳細な経緯を伝えた。あまりのやられっぷりに笑われることを覚悟したが、ボクの覚悟と真剣さが伝わったのか、二人は真面目な表情で聞いてくれた。
そうしてボクが話し終えると、継音さんは「なるほどね」と頷いた。
「多分、山木はお守りを手放してたんだね。そのとき呪霊が力を使ったみたい」
「けどお守りは持ってましたよ。学校でポケットに入れてたのを見ましたし……」
「ずっと入れてるのを見たわけじゃないでしょ。一人で廊下いる間に、お守りを鞄に入れ移したのかも」
教室を調査する際、ボクたちは山木さんを廊下に出していた。あのときならお守りを移すことができる。
「で、汽車で鞄を網棚に置いて、山木からお守りが離れたときに狙われたってこと。今はお守りはどうなってるの?」
「たぶん終点。出て行くときにも残ってたし、今頃は駅員に回収されてるだろ」
「じゃあ今は、山木は丸腰ってわけか。明日には何とかした方が良いかも」
「明日、ですか?」
本来の予定では、継音さんは今日の夜に調査をするはずだった。その時間を使えれば、今夜にでも山木さんの呪霊を祓えるはず。
ボクの思考を読んだかのように、継音さんは「うん。除霊は明日」と答えた。
「まだ準備ができてないし、呪霊の動きが読めないからさ。もしかしたら、この後ここに襲撃に来るかもしれないし。だから朝までは襲撃に備えて、明日の夜に除霊に行くの」
「あと雨だしな」
「そうそう……じゃない。あとユズちゃんのこともあるからね」
「ボクですか?」
継音さ「うん」と強く頷く。
「解呪はしたけど、念のために様子見したいから今日は泊まってって。一人で帰したら襲われるかもしれないしさ」
「けど迷惑じゃ……」
「んなわけないじゃん。むしろ朝からお世話になれるから超有り難い」
「右に同じく」
「……そういう理由ですか」
お世話になるのは気が引けるが、また攫われて二人に手間をかけさせるわけにはいかない。
ボクは「分かりました」と了承した。
「よし。じゃあご飯でも食べよっか。今日は私が料理しちゃうよ」
「料理できるんですか?」
「安心しろよ。お湯を沸かすだけだからあいつにもできる」
「うっさい」
継音さんは台所に向かう。リビングにはボクとネネだけが残った。
ネネはソファーの上で体を丸める。ボクは立ち上がり、ネネの隣に移動して座った。
「座る?」
ボクが太ももを軽く叩く。ネネは少し考えてから、ボクの足の上に移動して寝転ぶ。
「今日は助けてくれてありがとう」
ネネがいなかったら調査はできず、ボクは今頃山木さんの手に落ちていたはずだ。しかも二人のことを忘れたまま。考えるだけでもゾッとする展開だ。
そんな危機から、ネネはボクを救ってくれた。感謝してもし足りない。
「気にするな。仲間なんだから当然だろ。むしろ助けに入るのが遅かったくらいだ」
「そんなことないよ。とても感謝してる。ありがとう」
「……そうか」
ボクはネネの体を撫でる。水滴を拭き取れていないのか、黒い毛が少し湿っている。雨に濡れたせいか、動物特有の匂いが鼻をついた。
けど今は、その匂いに安心していた。
「じゃあ継音にも感謝してやれ。結弦を危険な目に遭わせたことにショックを受けてたからな」
ネネがボクの足の上からどく。同時に、台所から継音さんが出てきていた。
「ユズちゃん。うどんとラーメン、どっち食べる?」
継音さんは二つのカップ麺を持っていた。ボクはソファーから立ち上がって継音さんに近寄る。
「継音さん」
「なに?」
ボクは両手を前に伸ばした。
「ちょっと甘えさせてください」
「……え?」
返事を待たずに、ボクは継音さんに抱き着いた。継音さんは驚いてびくっと体を揺らした。
普段はぐーたらな生活をしているのに、継音さんの体は細くて抱き心地が良い。着痩せするタイプなのか、胸が思った以上に柔らかかった。
ボクは抱き着いたまま匂いを嗅ぐ。どこかかび臭く、じめっとしていた。
女性らしさを感じない匂いに、ボクはくすっと笑った。
もう二人の記憶を忘れない。そのために、しっかりと覚えておこう。
「どどど、どうしたの、ユズちゃん?! わ、わた、私の魅力に、今頃やられちゃった? 私は……そ、そっちの気はないんですけど」
「かび臭いですよ、この服」
「えぇー……」
顔を赤くして慌てていた継音さんは、一気に落ち着きを取り戻した。
「いきなり抱き着いてそれ? 流石に失礼でしょ……」
「これ、どこにあったんですか?」
「……ちょーっと奥の方にあって、クリーニングに出し忘れてたんだよねー……」
「そうですか。継音さんらしいですね」
「出し忘れたことだよね? 匂いの事じゃないよね?」
「両方」
「ひどっ!」
匂いを覚えると、ボクは継音さんから離れる。本気でショックを受けている継音さんと、軽くにやついているネネの姿が見えた。
「継音さん、ネネ」
ボクは二人に向かって、ここに帰って来てからまだ言えてなかった言葉を口にした。
「ただいま」
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