第4話
今は梅雨である。一年を通して比較的雨の降る量が多い時期だ。だから天気予報の確認と折り畳み傘は欠かせない。
しかし城央高校に来る前、ネネをバッグに入れる際に折り畳み傘が邪魔になったため、うっかりそれを置いてきてしまった。
夕方から雨が降るという予報を忘れて。
「災難でしたね」
雨が降り始めたのは、城央高校と最寄り駅の中間地点辺りを歩いていた時だった。近くにコンビニは無く、山木さんも傘を持っていなかったため、走って駅に向かった。
駅に着いたときには髪と服がびしょ濡れになっていた。「そうだね」と同意する山木さんも同じ状態だった。
ハンカチを取り出して髪や服の水滴をとる。何度もハンカチを絞って拭うが、濡れた範囲が広いため拭いきるのに時間がかかってしまう。
そんなボクの様子が気になったのか、山木さんはチラチラとボクに視線を向けていた。
「ごめんなさい。ちょっと待ってくださいね」
「あ、いや……」
山木さんは挙動不審な態度を見せてから、鞄に手を突っ込んでタオルを取り出す。
「これ、使う?」
山木さんが取り出したのは、あまり使って無さそうな白くて綺麗なタオルだった。ハンカチの代わりに使えば、体を拭くのが楽になる。
「ありがとうございます」ボクは礼を言って受け取った。「洗って返しますね」
「大丈夫だよ。どうせこれからうちに来るんでしょ。うちで洗濯するよ」
「いえ、そういうわけには……」
「いいからいいから。ここはほら、先輩のおれの顔を立ててよ」
強引な申し出だったが、ボクが損をするわけでもなく、ここまで言われたら好意を無下にするのは失礼かもしれない。ボクは「ではお願いします」と好意を受けとった。
「じゃあ早くホームにいこっか。この時間だと人が多いし、雨だからいつもより混んでるかも」
タオルで体を拭き、切符を買ってから駅のホームに向かう。市内の駅なだけあって、ホームには会社帰りのサラリーマンが数十人いる。間もなくして駅に着いた汽車には、満員に近い数の人が乗っていた。
汽車に乗れたが碌に移動できるほどの隙間が無い。隣の人との距離がかなり近く、汽車が少し揺れるだけでぶつかってしまいそうだった。
こうも密集していたらバッグに入っているネネが圧し潰される。ボクはバッグを席上の網棚に置いてネネの安全を確保すると、山木さんも鞄を網棚に置いた。
汽車が出発し、小さな振動を繰り返しながら進み続ける。しばらくして何度か駅に停まっても、密集状態が解消することは無かった。
「けっこう混んでるな。大丈夫?」
「ちょっと息苦しいですね。満員電車なんて初めてで……。都会だとこれが普通なんですよね」
「いや、もっと酷い。乗ったことあるけど、あれは地獄だったな」
「これよりもきついなんて……ボクは都会じゃ生きれそうにないですね」
「住んでみたかったの? 都会に」
「……そうですね」
ボクは首にかけたタオルを右手で握った。
「都会は日本中から色んな人たちが集まるじゃないですか。だから色んな人を受け入れてくれるんじゃないかなって……」
「ユズは自分のことを『ボク』って言ってるけど、それと関係あるの?」
「いえ。これは男として育てられてたから、たいして気にしてません。……いや、ちょっとはあるかも―――」
カーブに入ったのか、少し汽車が傾いた。満員電車に乗るのが初めてなボクは上手く踏ん張れず、体勢が崩れて山木さんに体を寄せてしまう。
汽車の傾きが戻ったときには、ボクは山木さんの胸に顔を埋めていた。
ボクは「ごめんなさい」と謝って離れようとする。だが山木さんはボクの背中に右腕を回すと、ギュッと抱きしめるように引き寄せた。
突然のことに驚いて顔を上げる。視線の先には山木さんの顔がある。
しかし、その表情はさっきと違った。
「言ってみなよ。聞いてあげる」
最初の大人しい顔とは打って変わり、自信に溢れた顔がある。寛容で、頼もしさを感じる表情だった。
「……ボクは皆に隠していることがあるんです。それをずっと誰にも言えずにいて、ばれないようにいつも他人を騙しています。言ったら……皆がボクを仲間外れにするから」
誰にも言えなかった秘密を、ボクは語り出していた。ずっと悩み、継音さんに会う切っ掛けになった事を、出会って一日しか経ってない人に話している。
この人ならボクのことを受け入れてくれる。そんな確信があった。
「都会で生きることを考えたのも、それが理由です。人が多い都会なら、上手く紛れ込むことができると思ったんです」
「じゃあ何で行かないの?」
「……もしかしたら、皆が受け入れてくれるんじゃないかって思ってるんです。継音さんとネネに会えて、そう思い始めました。あの二人は、ボクの秘密を知っても受け入れてくれそうだから……」
数々の呪いと人を見てきた、呪い屋の継音さんとネネ。色んな人と出会い、色んな人の想いと向き合って来たコンビだ。子供っぽいところはあるが、他人に対しては寛容だった。
あの人たちになら、いつか全部打ち明けられる。僅かな期待がボクの心に芽生えていた。
「本当にそう思うのかい?」
山木さんは疑問を口にする。ボクはハッと息を呑んだ。
「どういうことですか?」
「君はあの人たちを信頼しているようだけど本当かな? そう自分に言い聞かせてるだけじゃないのか」
ボクは憤然とし、山木さんのシャツを強く握った。
「何を言っているんですか。ボクは二人を信頼してます。そうじゃなきゃ仕事の手伝いなんてしてません」
「違うな。君は彼女たちに献身的に尽くすことで見返りを求めてるんだ。これだけ尽くせば彼女たちは受け入れてくれるだろう、ってな」
「そんなこと―――」
そんなことはない。ボクはただの好意で二人と一緒に居て、そのついでに身の回りの世話をしているだけだ。見返りなんて求めていない。
だけどボクは、それを言葉にできなかった。
「心のどこかで思ってるんだろ? 彼女たちも、結局は今まで君と出会った人たちと同じで、打ち明けたら拒絶するんじゃないかって。だから君は今も打ち明けていない。違うか?」
「……はい」
ボクは肯定していた。さっきまでは否定していたのに、山木さんの言葉に同意した。
彼の声を聞いていると、それがすべて正しいことに思えた。
「仕方ないさ。日本人は異物を排除する生き物だ。横並びであることを強制し、出る杭を打つ習性がある。そのせいで特別な人間は社会から迫害される。君みたいにね」
「そんな……」
味方はおらず、周囲の人間全てが敵。学校でも、家でも、この汽車の中でも、継音さんの下でも。
隣どころか周囲に誰もいない孤独な人間。一人寂しく朽ちていく人生。ボクの待つ未来がそれだ。
恐怖からか、雨に濡れたせいか、体が縮こまる。人がたくさんいるのに、寒さで体が震えていた。
すると山木さんは、ボクの身体を強く抱きしめた。
彼の体温がボクに伝わり、じんわりと身体が温かくなってくる。いつの間にか震えは止まっていて、寒さで伏せていた顔をまた上げた。
山木さんは、優しい笑みを浮かべていた。
「大丈夫。おれは、おれだけは君を受け入れよう」
彼の声が、スッと胸に落ちた。
「どんなことがあっても、何が起きても、おれは君の隣に居てあげよう。だから君はおれを信じてくれ」
外からだけでなく、温かみのある声でボクの身体を内側から温める。ボクは一切の疑問を持たずにと頷いていた。この人は裏切らない。ボクを守ってくれる。
「ありがとうございます。ボクを受け入れてくれて」
「気にすることは無い。だって当然のことだからな」
「当然、ですか?」
山木さんは嬉しそうに笑った。
「おれは王様だからな」
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