第2話

 山木さんの身に異変が起きたのは先週からだった。

 いつもは誰とも挨拶を交わすことなく、一人で登校している山木さんだったが、その日は皆が山木さんに話しかけてきた。クラスメイトだけでなく、一度も話したことのない生徒、上級生や教師が、山木さんを見かけると、皆一様に張り切って声を掛けた。

 そのときはまだ気のせいだと考えていたが、中間テストの結果が返ってきたときに異変が起きていると確信した。

 テストの結果、学年順位の真ん中よりやや高め。いたって普通の成績である。教室内には山木さんよりも上位の生徒が何人もいた。

 にもかかわらず、クラス中の生徒全員が僕の成績を褒め称えたのだ。

 「凄い」、「素晴らしい」、「最高です」。惜しみない拍手と言葉がかけられる。最初は馬鹿にされているのかと思ったが、声や表情から嘘や冗談を言っている様には見えなかった。

 男子も女子も、成績上位者も教師も。皆が心の底から山木さんの平凡な成績を祝っている。そこでようやく、山木さんは異変を確信することとなった。

 その後も異変は続いた。体育の授業では皆が当たり前に出来ていることをしただけで称賛され、授業で特に難しくもない問題を回答しただけで拍手が起きる。昼食時は皆が弁当を持って来て一緒に食べようとし、下校時も一緒に帰ろうと集まって来る。挙句の果てには、ただ歩いているときや座っているときでも「かっこいい」と褒められる次第だとか。

 何をしても、何もしていなくても、無条件に褒められ持ち上げられる。山木さんの立ち位置は、正に一国の王様のようだった。


「いつも誰かに見られているので、ちょっと困ってるんですよねー」


 打ち明けられたお陰か、山木さんは清々しい顔をしていた。彼の身に起こった事は、なかなか他人に打ち明けられるような話ではない。内心、悩みを言えないストレスを抱えていたのだろう。

 そして話を聞き終えた継音さんは、「《虚飾》の呪霊ね」とすぐに答えた。


「えっと……なんですか、それは?」


 山木さんの質問に、継音さんは淡々と説明する。


「あなたに憑りついている呪霊の事よ。呪霊は呪いをかける幽霊……何の害もない浮遊霊と違って人を呪ったりする有害な霊なの。《虚飾》の呪霊は人を騙す類の呪霊で、憑りついた対象を呪詛士の……あなたを呪った人の都合の良い姿に変えてしまう呪霊よ」

「……はぁ」


 理解が追い付いてないのか生返事だ。いきなり呪霊とか呪いの説明を受けても、すぐには理解できないだろう。

 だが継音さんは問題ないと思ったのか話を続けた。


「今も憑りつかれてるけど、ただ祓うだけじゃだめ。呪霊は人の想いで発生する。ここで祓っても呪詛士を特定しない限り、また新しく生まれた呪霊に憑りつかれる。だから呪詛士を探さないと根本的な解決にはならない。呪詛士を見つけて原因を解決してから、あなたに憑りついている呪霊を祓うのが一般的な手順なの。緊急時の場合はこの限りじゃないけど、今の呪霊の様子だとすぐに命にかかわることにはならないから、あなたに協力して欲しいの」

「……なるほど?」


 分かってるのか分かってないのか、不安になる返事だった。


「簡単に言うと、ただ除霊しただけではまた呪われる可能性があるので、まずは呪詛士を見つけて呪霊をつくらせないようにします。その後に山木さんに憑りついた呪霊を祓いますので、そのために協力をお願いしたいということです」


 協力してもらえれば、憑りついた呪霊の様子を観察しながら調査できるので、原因究明の手間が大分楽になる。逆にすぐに祓えば当面の危険は無くなるものの、大きな手掛かりが無くなるため調査に時間がかかるそうだ。

 それらの要点を掻い摘んで説明すると、山木さんの表情に自信が満ち、「なるほど」と強く頷いた。


「それで調査のためにあなたとその周辺を調べたいの。いいかしら?」

「あ、はい。大丈夫です」


 山木さんの快諾に、継音さんは安堵の笑みを見せた。

 早速継音さんは山木さんの連絡先を聞き出した。名前、年齢、住所等の個人情報を聞き終えると、代わりに対呪霊用のお守りを山木さんに渡す。ある程度の呪霊の働きを抑えられる代物だ。

 お守りを授けると、その日は山木さんを家に帰した。山木さんは礼儀正しい振る舞いで部屋を出て、洋館から離れていった。

 ボクは山木さんの姿が窓から見えなくなると、「帰りましたよ」と継音さんに告げる。すると継音さんは、張りつめた糸が切れたかのようにだらんとソファーに寝転んだ。


「あ~……疲れた……」


 気が抜けた継音さんに、山木さんを相手にしていたときの面影はない。うつ伏せになって脱力している。


「服に皺ができますよ」

「いい。クリーニング出すから」

「出しに行くのボクでしょ」

「お小遣いあげるからお願い」

「子供のお使いですか」


 ボクはテーブルに残ったコーヒーカップを回収して台所に運ぶ。カップを洗ってリビングに戻ると、継音さんは仰向けに体勢を変え、テーブルに置いていたクッキーを食べていた。

 食べかすがぽろぽろと落ち、口元や服に付着している。あまりの弛みっぷりに、大きくため息を吐いてしまった。


「そんなに疲れるのなら、かっこつけるのやめたらどうですか?」

「かっこよくなきゃ頼りないでしょ」


 ボクはウェットティッシュを取って継音さんの口元を拭う。胸元にまで付いた食べかすも拭き取ると、体を起こさせて座らせる。その間継音さんはされるがままで、ボクの手に逆らわなかった。


「やっぱ働き者のメイドがいると生活が捗るわ」

「全くだな」


 継音さんの言葉にネネも同意した。


「結弦がいなかったときは、メシ無しの日が週に半分以上もあったからな。助かる助かる」

「仕方ないじゃん。疲れてて外に出られないんだからさ」

「客が来なかった日も言ってたな。お前が元気な日はいつになったら来るんだよ」

「……明日」

「言ったな? じゃあ明日はお前が買い出しに行けよ。結弦に頼まずお前が行けよ」

「……の翌日、の翌日……の翌日の翌日の―――」

「いつだよ。行く気ねぇだろ。このダメ人間が」

「あー! ダメ人間って言った! はいヤメ! もう行かない! 働かない! ネネの餌もなし!」

「てめっ……ふざけんじゃねぇぞ! お前はどうでもいいがオイラの飯は用意しろ! 体売ってでも用意しろ! その無駄に良い体使ってオヤジ共から金を搾り取れ!」

「無駄じゃないから! ちゃんと使ってるから! さっきの子見たでしょ?! 私にメロメロだったじゃん! この魅惑のボッディーのお陰でさ!」

「使い方に差がねぇじゃねえか!」


 ボクの目の前で、継音さんとネネが口喧嘩を始めた。人と猫がギャーギャーと本気で言い争う姿は、多分世界のどこを探してもここでしか見られない光景だろう。しかし何度もこの茶番を見てきたボクにすれば、特に珍しいモノではなくなっていた。

 喧嘩に巻き込まれないよう離れて見ていると、「もういい!」とネネが窓の方に向かった。


「出ていく! こんな奴と一緒の家に居られるか! 家出だ!」

「そう! ならとっとと出て行ってよ! あんたの顔なんか見たくないよ!」

「それはオイラのセリフだ! 窓開けろよ!」

「ほら開けたわ! 出てった後も少しだけ開けたままにしてあげるわ!」

「一階はちゃんと戸締りしとけ! 開けるのは二階の窓にしろ!」

「朝ご飯までには戻りなさいよ!」

「オイラの勝手だ! ちゃんと用意しろよ!」

「うっさい! 怪我しないでよ!」


 ネネは「余計なお世話だ!」と言い残して窓から出て行った。継音さんは「もうっ!」と憤りを見せながらソファーに座り直す。

 見慣れた茶番が終わったのを見計らって、ボクは継音さんの向かいのソファーに座った。


「それで、さっきの呪霊についてどう調べますか?」

「え?! ……あぁ、そっか。呪霊ね。……うん、覚えてるよ」


 喧嘩で上がっていたテンションが一気に下がる。平常心を取り戻せたようだ。


「準備は今日から始めるよ。本格的に調査するのは明日からで、ユズちゃんにも手伝ってもらうから」

「調べるのは学校ですよね」

「うん。あと山木くんの家とか。呪霊の痕跡があるか調べてちょうだい。ネネも同行させるから、分からないことはネネに聞いて」


 ネネは呪霊を視認できるうえ、大抵の呪霊を追い返すことができる。知識も豊富なので、一緒に調査するなら継音さんよりも頼りになる猫だ。


「山木くんにも連絡しとくから協力してもらってね。無いとは思うけど、危なくなったら逃げちゃっていいから」

「危険な呪霊なんですか?」

「ううん。お守りで力を弱めてるし、元々命を直接狙うような呪霊じゃないから大丈夫よ」


  《虚飾》は、周囲の人間が持つ対象への印象や見た目を呪詛士の思いのままに変化させる呪霊だ。この呪霊に憑りつかれれば、本来ならば褒め称えられるほどの善行をしても、歴史に残る悪行をしたかのようにな扱いを受けることになったり、どんなに身なりを整えても、薄汚れた浮浪者に変えられてしまう。

 何をしても思い通りの評価を受けず、終いにはないがしろにされてしまう。この呪霊により追い詰められ、精神が弱った対象が自殺してしまった事例がいくつかあった。

 故に状況によっては早期解決が必須となるのだが、今回はそれに該当しないようだ。


「私は夜に調べるから。まぁ二人の調査次第で行かなくて済むかもしれないけどねー」

「そんなに簡単なら最初から継音さんだけで調べたらどうですか? たまには昼間に外出しましょうよ」

「外は暑いから……じゃなくて、私じゃ調べられないからユズちゃんに頼むんだよ。ほら、私目立つし」


 継音さんはどんな季節でも、どんな時間でも、長袖ロングスカートのゴシックドレスを着ている。このじめっとした梅雨の時期にそんな格好で出歩けば、目立って碌に調査もできないだろう。着替えれば済む話だが、それが継音さんの正装らしいので脱ぐ気は無いらしい。


「けどボクも無理ですよ。城央高校の生徒じゃないから目立っちゃいます」


 放課後に行けば生徒は少なくなってるだろうが、教師や警備員は残っているはずだ。見つかれば他校の生徒だとすぐにばれてしまう。

 だが継音さんは「大丈夫」と言い切った。


「あそこの生徒になれば良い話だよ」


 そういうことで、ボクは女子高生になった。

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