第527話、したい事を聞く錬金術師

紙の擦れる音と、何かを書き込む音に、かすかに感じる振動。

そして溜め息の様な息遣いと、悩む様に微かに唸る声。

眠る私の耳にそれらが届き、少しずつ意識が覚醒するのを感じた。


「・・・んみゅ?」


ぼーっとした意識で目を開くと、先ず視界に入って来たのは部屋の壁。

次に認識したのは安心する人の匂いと体温で、ぼーっとしたままそれを堪能する。

暫くそのまま心地良い時間を過ごしていると、目の前に見覚えのある存在が現れた。


『あら、起きたのね』


使用人服は着ているけど、浮いている時点で普通の人ではない存在だ。

本来二本の足がある所にも大きな魚の尾びれが見えている。


「・・・人魚?」

『ええ、人魚さんよ。おはようセレス』

「・・・おあよう」


ニマッっと笑う彼女は胸を張って応え、私はまだぼーっとした気分で応える。

どうにも今の状態が心地良くて、このままで居たいという想いが強い。


「起きたのか?」

「ふぇ?」


ただそこでリュナドさんの声が耳に入り、もそもそと動いた事で自分の状況を理解した。

彼は私と話していた時と同じ場所に座っていて、けれどテーブルが動いていた。

私が抱き着いていたせいで片手が塞がり、ただ空いた手にはペンが握られている。


そしてテーブルには幾つもの書類が積まれていて、明らかに仕事をしていた事が伺えた。

つまりリュナドさんは、私を抱きかかえたまま、ずっと仕事をしていたという事だ。


「――――――!」


しまった。やってしまった。そうだ、考えれば当たり前の話だ。彼は仕事中だったのに。

なのに私はそんな都合も頭から吹き飛んで、本能に従うままに寝てしまった。

二度寝したいなーって思ってはいた。彼の傍で寝れたら幸せだとは思った。


けど彼の仕事を邪魔してまでしたいとは思ってない。思った事も無い。

でもどう考えても今の状況は仕事の邪魔で、完全にやらかしてしまった。

自分のやらかしに血の気が引いて行く。余りの状況に声が出ない。


「セ、セレス、起きたんじゃないのか?」

「―――――」


思わずぎゅっと力が入り、そんな私に対し彼は怒った様子が欠片も無い。

むしろ私の行動に戸惑っている声音で、何時もの優しい彼を感じる。

そうだ。彼は怒らない。怒られない。滅多な事では怒らない。


だから良いとは思わない。やってしまった事は事実だ。認識もしてしまっている。

訳も解らず理解も出来ず気が付いてもいないなら、きっと私は気にしてないと思う。

でもちゃんと解っているなら、迷惑をかけたと明確に解っているなら。


「―――――ごめん、なさい」


ちゃんと謝るべきだ。優しい彼だからこそ想いはしっかり口にするべきだ。

そう思い彼から少し離れて、彼の顔を見つめながら謝罪を告げた。


「え、ええと、何の謝罪?」

「その、寝ちゃって・・・仕事の邪魔、しちゃった・・・」

「あー・・・まあ、何とかなったし、別に良いよ。今日は訓練も無いし」

『そうそう、仕事は問題なく出来てるから問題無いわよ』

『『『『『キャー♪』』』』』


そう言うと彼は片手で書類を軽く纏め、人魚に手渡し別の書類を広げる。

人魚は受け取った書類を別の場所に纏め、何かまた別の書類を取り出した。

精霊達も手伝ってるような・・・ただ落書きを量産してるだけの様な?


「この通り補佐が居るからな。不服だけど」

『精霊公補佐でーす。愛人とも思われてるわよ♪』

「おいマテ誰だそれ言い出したやつ」

『私が匂わせておいたわ。いつの時代も人間は噂話が好きよねぇ』

「おいふざけんな。噂って言うかお前が発信源になってんじゃねえよ」

『美しいって罪よね。私の美しさが噂の信憑性を高めてしまうなんて』

「こいつ、ほんと話を聞かねえな・・・!」


人魚が補佐をしていて、だから特に仕事に支障は無かった。

つまり私を抱えていた事なんて、何の邪魔にもならなかったと言ってくれている。

けど流石の私でも、それを素直に受け取るのは難しい。でもきっと彼は私を責めない。


今までがそうだった。今回もきっとそうなんだろう。なら私はどうしたら良い。


「リュ、リュナド、さん」

「え、は、はい。なに?」


思わず彼の名を口にして、彼も突然呼ばれたせいか慌ててこちらを向く。

ただ思わず呼んでしまったものの、何か考えがあった訳じゃない。

むしろ何も思いつく事が出来なくて、頭の中は真っ白だ。


けど何か言わないといけない気がする。そう、いけない気がするんだ。

でも何を言えばいいんだろう。どうしたら良いんだろう。焦りだけが増していく。

そもそも私彼の力になりたいと思ってきたはずなのに、何で仕事の邪魔してるの。


そうだよ。何か、何か力になれれば、何かできれば、そうしてあげられる事ないかなって。


「わ、私に、したい事、何か、ない!?」

「・・・え」


あ、あれ、私今何て言った? 焦りすぎて自分の発言が解ってない。

でもリュナドさんが首傾げて固まってるし、また訳の分からない事言っちゃった!?


ー-----------------------------------------


セレスが寝てしまった後、暫く彼女を抱きしめながらどうしたものか悩んだ。

つーかそもそもがっちり抱き着かれてるから引きはがせねぇ。何でそんなに力強いの。

いや起こそうと思えば起こせたんだけど、起こす気になれない自分も居るというか。


「・・・おい人魚、どうせにやけて見てんだろ。出てこい」

『あら、段々鋭くなって来たわね?』

「もう慣れただけだ。はぁ・・・」


誰も居ない空間に声をかけると、にやけた顔の人魚がそこに現れた。

とても楽し気に俺達を見る様子は、近所の世話焼き婆さん達と余り変わらない。

違いが有るとすれば、こいつはどこにでも潜めるからたちが悪いという事か。


『ふふっ、可愛いわねぇ』

「・・・寝顔はな」

『あら、私が言ってるのは貴方も含めてよ。寝てしまったセレスを引きはがしもせず、私の発言を否定もせず、未だ動かずに抱きしめてる貴方も可愛いわよ?』

「・・・ぐぬ」


言い返したいが、言い返すだけ墓穴を掘る予感がして唸るしか出来ない。

実際人魚の言葉を否定できる材料も無く、腕を回してる時点で説得力も無い。


「・・・仕事するから手伝え」

『はいはい。じゃあお着換えしましょうかねー。ふふっ』

「精霊達はテーブル動かしてくれ。この位置だとやり難い。ああ、セレスに当てない様にな」

『『『『『キャー♪』』』』』


人魚は楽し気に応えると使用人服を棚から取り出し、その間に山精霊がテーブルを動かす。

多分注意しなくてもセレスには当てないだろうが、念のため注意しておいた。

ただ俺の脛に掠ったのは雑過ぎるだろ。もうちょっと俺にも気を付けて下さい。


『はい。ペンはこれで良いわよね?』

「ああ」

『『『『『キャー』』』』』

「10本も20本も持ってくるな。対抗するな」


その間に着替えた人魚は書類を俺の傍に移し、足を人間の足にして出て行く。

暫く手元の書類を片付けていると、人魚は茶と追加の書類を持って戻って来た。


とはいえ追加の書類が来る事は解っていたし、先回りしてくれるのは有難い。

今セレスは素顔で寝ているし、寝ながら仮面をつけるのも窮屈だろう。

となれば素顔で居られる人間だけが出入りする方が良い。


『『『『『キャー?』』』』』

『おやつは無いわよ』

『『『『『キャー!?』』』』』

『うるさいわね。あんまり騒ぐとアンタ達の大好きな主様が起きちゃうわよ』

『『『『『・・・!』』』』』

『動きがうるさい』


まあ、出入りしてるの全員人間じゃねーけど。精霊達は無音で暴れるな。

そうして暫くするうちにセレスが目を覚まし、仕事の邪魔を謝って来た。

珍しく、本当にとても珍しく、唯々申し訳ないって感じの声音と表情で。


とはいえ最早途中から殆ど気にしてなかったんだよなぁ。

つーかむしろ、いや、うん、止めよう。この考えは止めておこう。

とりあえず迷惑と思う様な事は結局無かったし、仕事も出来てたから問題は無い。


そう思って気にするなと伝えたつもりだったんだが――――――。


「わ、私に、したい事、何か、ない!?」

「・・・え」


―――――セレスさん、一体何をおっしゃっておられるのでしょうか。


いや、したい事って、いや、えっと、そう言う事、だよな。

待て待て待て、何で突然そんな話になった。何考えてんだ。

つーかセレスなんか様子おかしくないか!?


「わ、わたし、リュナドさんに、だって、ないかなって、出来る事が、えっと」

「セ、セレス?」


普段のセレスからは想像できないぐらいにワタワタとしていて、言動が明らかに纏まってない。

始めて見るセレスの態度に困惑して、ただ彼女の名前を呼ぶ事しか出来ない。


「と、とりあえず落ち着け、な、セレス。深呼吸。深呼吸しよう」

「へ、あ、う、うん、えっと、あ、あれ、呼吸、どう、するん・・・だっけ・・・けふっ」

「セレス、本当にどうした!?」


かひゅー、かひゅー、と変な呼吸をし出したセレスを落ち着かせようと背中をさする。

何で突然こんな事になってんの!? さっきの発言のせいか!? 

そんなになる程嫌なのにあんな事言ったの!?


あと人魚はにやけてねーでちょっとは助けろよ! お前本当にさぁ!


「げほっ、けほっ、ひゅー・・・ひゅー・・・」

「大丈夫、大丈夫だから、ゆっくりでいいから落ち着こうなー」


とりあえずセレスの背中をポンポンと叩き、子供をあやす様に落ち着かせる。

こんな状態じゃ会話もままならないし、発言を問い詰めるのは後だ。

というか俺も大分混乱してるんだよ。何でこんな事になってんだ。


・・・いや、よく考えたら問い詰める必要は無いか。原因が最初の発言なら答えは出てるし。


「なあセレス、そのままで良いからゆっくり聞いてくれ。返事は声に出さなくて良い。軽く頷いてくれたら解るから・・・良いか?」


相変らず変な呼吸をしながらセレスが頷くのを確認して、抱きしめたまま続ける。

ただゆっくりと、出来るだけゆっくりと、優しく聞かせる様に。


「前にも似た様な事言ったと思うけどさ、俺はセレスが望まない事はする気が無いんだよ。でなかったら既に今の関係なんて壊してる。壊したくないから今のままなんだ。ヘタレだ何だって周囲に思われてるのも、そもそも言われてるから自覚してるけど、それでも嫌なんだよ」


辛そうにしているお前なんて見たくない。俺の隣に居るのが辛いなんて思わせたくない。

そんな風に思わせてしまうなら、最初から関係を進めないでいる方が良い。


「俺はお前が笑っていてくれる方が良い。だから無理はしなくて・・・良いよ」


普通の男共なら、きっとありがたく頂くのだろうよ。きっとそれが普通なんだろう。

まあ後悔が無いかと言われれば無いとは言い切れない。俺だって男だし。

けど俺はどうしてもやる気が起きない。セレスが泣くのを見たくない。


「ただ、まあ・・・そうだな。これぐらいは許してくれるか?」


それでも胸に想いは有って、だからこそセレスを大事にしたいと思っている。

その想いを伝える様に、軽く頬に唇をつけ、心臓が跳ねるのを感じた。

後戻りのできない事をやったと思う。今まで何だかんだ何もしなかったんだから。


「・・・はえ?」


ただセレスはというと、ポカーンとした表情で固まっていた。

俺が口をつけた頬に手を当て、そのまま動かなくなってしまう。


「あ、あの、セレスさん?」


やべえ、なんかこう、勢いでやっちまった。

嫌だったらしないって言いながら何してんだ俺は。

今更ながらに脂汗を流し、恐る恐るセレスに声をかける。


「・・・そっか」


するとセレスは小さく呟き、すっと俺に抱き着いて来た。

そして俺の頬に唇をつけると、すぐに離れて首を傾げる。

今度は俺が驚いた表情でセレスを見つめ、彼女はそんな俺に口を開く。


「えっと、これで、良い、かな。他にも、ある?」

「え、えっと、良い、です」


暗に唇じゃなくて良いのかと聞かれた気がしたが、俺はそうとしか答えられなかった。

・・・どちらにせよ視界の端ににやけ顔の人魚が要るせいで、それ以上する気起きねえし。





ただ、こうなると、次に顔合わせた時が怖いな。俺、ちゃんと止まれよ。

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